東之川から前田峠へ | ア-ルの写真記

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標高約950mにある前田峠に前々から行ってみたいと思いながらも時が経つだけだったが、やっと行く事が出来た。

千野々の方から行くより、すでに標高が600mほどの東之川集落から前田峠を目指して登って行く方が楽だし、距離的にも近いので、東之川から行った。

東之川から前田峠を越えて下って行くと、大保木中奥の前田集落や大保木公民館がある千野々にいく古道がある。

昭和2年に東之川と西之川を結ぶ車や荷馬車が通れる大宮橋が完成するまで、前田峠を通るこの古道は、東之川と川下にある町を結ぶ主要な生活道だった。

かつて中奥に尋常小学校があった時代、通学で子供たちが何時間もかけて通った道でもあったそうだ。

かつて東之川で生まれ、後に中奥に嫁いできたK婦人は、毎日この前田峠を越えて通学していたという。

2012年、東之川集落は、西之川から通じる道が大規模jな崩壊により通行不能になった。

その後、道路付け替え工事に3年余りの期間を要し復旧した。

ずっと集落に住み続けてきた最後の一組の御夫婦は復旧を待てず山を下りた。

平家の落人集落といわれた東之川集落は、廃集落となってしまった。

 

東之川集落の瓶ヶ森登山口の駐車場に車を止る。

住友共電の水力発電のための取水口が東之川にあり、山を送水管がくぐり発電所がある千野々まで川の水が送られている。

下の写真の建物は、かつて取水するための管理事務所兼職員住宅だった建物だが、もうずっと前から無人のようだ。

 

そろそろ出発!

東之川の「おたるの滝」に行くこの階段を上っていく。

 

すぐ近くに、寺内代吉翁の大きな頌徳碑が建っている。

村会議長として活躍し、又東之川への定期バス誘致に貢献した人でもある人だそうだ。

 

バス誘致に際し、道路整備や車庫等の費用などを寄付した人の名前、年代などが刻まれた石碑が並んで立っている。

 

 

 

見るからに硬くて重そうな石。

このあたりの石は硬くて丈夫で石垣造りにはむいているようだ。

あたり一帯の山は結晶片岩で出来ているそうだ。

結晶片岩で出来た石段を登っていく。

 

排水のための溝も大きな石を組み合わせて造っている。

 

 

石垣の硬そうな石。

 

 

石段沿いに家がある。

 

 

 

稲木を組んだ屋根付きの干しざおが、狭い石段道に倒れずに残っている。

麦や大豆、トウモロコシなど穀物を干していたのだろう。

 

 

 

民家を通り越して行くと、規模は小さいが、谷川に出くわした。

 

どうやら、谷川の両岸は石を積んで石垣を築いていたのだろうが、長年の間の風雨で崩れている。

石橋もあっただろうが、架かっていなかった。

すぐ下に、板状の長い石が立ったままである。

おそらくこの板状の石が橋の役割を果たしていたのだろう。

 

これが石橋だったのだろう。

 

 

 

枝打ちはされているようだが?

間伐はあまりされていない植林地帯が広がっている。

所狭しと木が立っているので、直射日光があまり当たらず日光不足なのか、下草があまり生えていない。

落ちた枝や葉が枯れ一帯が茶色くなっている。

 

落ちた緑の枝を見ると、このあたりは杉と檜が植えられているようだ。

 

 

どんどん上に登っていくと、標高800m位いの所だっただろうか?

珍しく緑色の植物の群生地があった。何だろう?モミジガサ?

ここはちょっと陽がさしている場所だ。

 

 

 

 

上の方に青い空が見えてきた。前田峠も近そうだ。

 

峠に着いた。

登りきった峠の右側に四方を石積した台の上に高さ1.5m程の石碑が建っている。

その他は大きな人工物は見当たらないようだ。

昔は峠からの見通しも昔は良かったのだろうが、今は雑木に囲まれて期待していた石鎚山系山並みは見えない。

 

 

 

明治30年、工藤冨造、そして、室 トワと名前が刻まれている。

室 トワと名前が刻まれている所をみると、このあたりでは名の知れたお方だったのだろうか?

 

 

この道をどんどん下っていくと、中奥の昭和50年代に廃集落となった前田集落跡に行けるはずだ。

道は今もはっきりしてあるのだろうか。

前田集落跡までは何度か中奥の林道を通り、下から車で行ったことはあるが、地図を見ると、ここから歩いて行くには遠そうだ。

 

こちらの前田集落がある側の山肌に植林された木々は、荒れ放題だ。

 

尾根づたいにこちらの方に進んでいくと、菖蒲峠の方に行ける。

瓶ヶ森の方にも尾根づたいに今でも行けるようだ。

 

 

反対側の方に尾根づたいに行くと二ノ岳の方に行く。

二ノ岳方面には所有している山があると、同級生が言っていた。

今は都会に住んでいるが。

石鎚登山ロープウエイに乗ったとき、下の下谷駅の方に向かって正面に見える険しい山が二ノ岳だ。

風がどこからともなくきて頬をなぜる。

標高が1000m程もある峠あたりの風は思っていたより冷たい。

じっとしていると寒い。

峠からの見晴らしも期待していたが、殺風景。

もと来た道を早々と下りる事にする。

 

下山途中、山肌の林の中にひび割れがある大きな岩があるのを見つけた。その岩を見ながら、

大きな岩もいずれはそのうち少しずつ風化して行き、割れて、いくつかに分かれて、転げ落ちていくのだろう。

 

民家のある所まで下りてきた。

大小の石をランダムに混ぜ造った面白い石垣だ。

谷川や山に転がる石を積み上げ造ったのだろう。

石の角がとれている比較的丸い川石が多い。

 

 

 

 

民家の横から何か突き出た奇妙な形をした物が見える。

何だろうと、、、。

水車の心棒だ。

心棒以外はすでに朽ちてなくなっている。

 

水車の跡だ。

この水車のあるところから下を覗くと「おたるの滝」が見える。

だんだんと、昔の記憶が甦ってきた。

おたるの滝付近に昔地面を平らにセメントで覆った簡単な展望台があった。

40年程前に滝見見物に来た時、展望台から滝に向かって左上を見上げると家があり、家の横で水車が回り、水が落ちていた光景が頭の片隅にかすかに記憶として残っていた。

記憶は間違っていなかったようだ。

これがあの時、下から見上げた「水車」だったのだ。

 

小屋の中の木組みを覗いてみる。

水車が回転し心棒が回り、小屋内で粉ひきなどに使っていた水車の構造だとわかる。

今回は東之川から高低差350m程を行く前田峠まで行き、そこからまた引き返して帰るという道のりだったが。

東之川からこの前田峠をさらに越えて下っていき中奥の小学校に通うには、さらに2倍近くの距離がある。

かつて、子供たちは通学のため、ここを行き来していたと思うと、すごいとしかいいようがない。