去年、秋も深まる11月に「7月10日に石墨神社(久万高原町)で祭りがあるけど来ないか」と、面河地区の秋祭りで出会った本組に住む人に誘われてました。
以前、パソコンのインターネットを見ていて、石墨山頂下方に、見るからに神々しい岩陰があり、そこに祠があるのを画像など見て知り興味があり、誘われたとき、即答で「お願いします」と。
そしてその日を楽しみにして待ってました。
朝8時に神社前集合なので、時間に余裕を持って自宅を5時40分に出発です。
国道11号を走り河之内トンネルを抜けると、左に曲がり国道494号に入ると、曲がりくねる長い坂道が続きます。
黒森峠を越えて下りて行くと笠方の市口で面河湖に突き当たります。
道はそこで二手に分かれていて、国道を逸れて右の道へ。
少し行くと竹ノ本集落があり、そこから右に曲がっていく行く道がある。
その山道が近道なので、そこを通って目的地へ。
7時20分に到着。
神社前にはまだ誰もいませんでした。
朝早かったこともあってか、国道494号に入ってから目的地到着までは約1時間でしたが、その間、人や車とは一台も出会いませんでした。
普段の日でも、土日などの休日以外、すれ違う車の数はほぼ一桁台が多いです。
行き交う車はほんまに多くないですが、国道であるがゆえか、道の改良工事は昔から少しずつ行われていて、今は昔とは見違えるほどの国道494号となってます。
集落内にある石墨神社に皆が集合すると、まずは石墨山へと出発です。
林道を車で行けるところまで行き、そこからは石墨山下方の岩陰に座る石墨神社へと歩きで。
一列になって登って行く最後を、道脇の山を所有し、かつて林業に携わった79歳の方と登りはじめましたが、さすがでした。
ついて行けず、だんだんと距離を離され、最後は前方に人は見えなくなりました。
思っていたより長い道のりと、久しぶりの山歩きはきつく足が重かった。
やっと到着ですが、皆より遅れて最後になってしまったこともあって、私が到着するや一休みなしで行事は始まる。
集落の長老が音頭をとり、岩陰で修行し入定した修験者であった法性院を拝み、願いを献げていました。
石墨神社の歴史や法性院についての知識はあまり持っていませんが、法性院の功徳を讃え、石墨大権現という神様として祀り、祠を建て霊を弔っているようです。
間違っていたらすみません。
岩陰にある隣の石墨大権現を祀るお堂でも祈祷をし、終えるとその後はゆっくりと下っていきました。
岩陰に佇む祠
石墨山十二社大権現と書いた木板が掛かっていて、天保の文字や願主 木喰行者の赤い文字が刻まれていました。
お堂の祭壇左側に、木で作った?天狗の面が透明のプラスチックケースの中に二つありました。
また、骨だといういう白いものも祭壇の右側で見ました。
白い陶器製の骨壺に、割られた状態で入っていたのを、復元して置いているのだという。
空っぽになった白い骨壺が、岩陰で祀られていた。
集落内にある石墨神社と石墨山頂(1456m)下の岩陰に祀る祠と二ヶ所での祈祷で、下の石墨神社には集落の人たちが集まり、宮司を招いて神事の始まりです。
石墨神社の拝殿は石墨山を向いていて、本殿はないようでした。
神さんが鎮座する石墨山が見えるようにと、窓を開いての神事でした。
現在は途中まで車で比較的楽に行けますが、昔は、今はほぼ使わない石墨神社橫から続いていた険しい古道を歩いての長い行程だったようで、高齢などで行けない人たちのための遥拝場所だったのかな、と思ったりもしました。
大正13年に奉納された白い幕が、社の周りを囲んでいましたが、幕に石を○で囲んだマークが。
西日本最高峰の石鎚山と同じシンボルマーク。
石鎚山を意識しているのだろうか?
直会の時、集落のご婦人が差し入れしてくれたまんじゅうが、ものすごく懐かしくて、おいしかった。













