1973年3月
沖縄県大東島に行った時の写真です
南大東島から北大東島へ,
往路は南西航空の国産プロペラ飛行機、YS-11で南大東島へ。
飛行機に乗るのは生まれて初めてだった。
南大東島から北大東島へは、貨物船のような船にハシケを利用して乗船し行った。
北大東島でも荒波で船を接岸して下船が出来ないので、海上で艀に乗り岸に近づき、タイミングよくクレーンで吊り上げてもらっての上陸。
復路は、北大東から那覇までのろのろと船で帰りました。
客室はあるが立つと頭がつかえるような低い天井。貨物運搬が主のような500トン程の船で、何十時間も荒波に揺られながらの船旅でした。
南大東島から北大東行きの船は頻繁に便がない、港の空き倉庫を借り、船に乗船出来るまでの二日間ほどを、寝泊まりをしてそこで過ごした。
倉庫は電灯設備がなかったが、池之沢の翁長さんという人が貸してあげるよといってくれて、息子さんの秀男君と弟さんの二人で持ってきてくれた。その時の記念写真。
サトウキビを運ぶ機関車の線路。
当時はまだ現役。
線路の上をサトウキビを積んで行き来していた。
南大東島 サトウキビ運搬用の機関車だ。
当時、南北の大東島はテレビの電波はまだ届いてなかった。
旅にラジオは常に携行して聞いていた。
ラジオからはNHKだけが聞こえてきた。
朝早く、地元愛媛の南海放送のラジオ番組「黒田こうぞうの釣り情報」が、かすかに聞こえてきたのを覚えている。
地元の番組を遠く離れた沖縄の南海の孤島で聴けてうれしかった。
大気圏に電波が反射して運良く受信できたのだろう。
南大東島いた時の夕方に、どこからともなくにおおぜいの人がトラックの荷台乗って映画館前に来ていた。
「木枯らし紋次郎」 、萩原健一、懐かしいですねえ。
南大東島
リン鉱石をこの島で採掘していたという。その施設。
南大東 港風景
クレーンで吊り上げられた艀から撮影
北大東島へ行くには船便しかない。
旅客飛行機便はまだなかった。
船で北大東島へ上陸するのだが、今回は海が荒れて、舟を接岸させることが出来ないので、小さな艀に上陸する客を何回かに分けて港の岸壁近くまで運び、そこからクレーンで艀ごと吊り上げての上陸だった。
艀でゆっくりとやってくる目線よりも高いうねりの波をいくつも乗り越えて、少しずつ岸壁に近づいていく。
船に10枚ほど積みあげた荷の畳が、波を乗り上げた時、艀が少し傾き横にずれかけた。
それに船員が気づき慌てて直す。
一瞬それを見て、海に落ちても靴を脱いで泳げるように、靴のひもを緩めたのを思い出す。
水牛で牛車を引く島の人に道を尋ねる。 北大東島
沖縄独特の舟 サバニ
最近はこのサバニも見なくなった
サワラ 1㍍ほどある。ここで釣れる魚は大きい。
北大東島に食堂が一軒だけ港近くにあった。
那覇に船で帰るとき、サワラをのせた大東寿司をその店で食べた。
うまかったので、いまだに印象に残っている。
船が着いた時の港の風景
向こうに見える白い敷地は北大東の滑走路、当時は、那覇から北大東への飛行機は就航していなかった。
緊急用の滑走路のようだ。
鍾乳洞探検
北大東島の 精糖工場
精糖工程で出る暖かくてきれいな廃水を、ドラム缶に入れた風呂にはいらせてもらった。
久しぶりの風呂で気持ちがよかった。
当時、北大東島に水道設備は整ってなくて、水は大変貴重だった。
各家庭の生活用水のほとんどを雨水でまかなっていた。
島にいる間は雨が降れば外に出て、上半身裸になり雨のシャワーで体を洗った。
空き家を借りて活動していたら、夜に遊びに来てくれた子供達。
写真撮ってあげると言ったら、ポーズとってくれた。
ランドセルほったらかして元気に遊ぶ子供達
北大東島小中学校にて。
中学生が野球をしているのを、1人の小学生がじっと見ている。
体育の時間 北大東島小中学校にて
この日は、港近くまで船が近寄れた。
艀なしで乗船下船は出来る。
クレーンで荷物を吊り上げ運んでいる。
人も同じようにして乗船する。
那覇まで帰りは船で帰りましたが、貨物船のような船でした。
荷物を積むのも、人を乗船させるのも同じ。
荷物と人間、同じ扱いでした。笑
大東島での出港時間、乗船時間などははっきりしてないらしくて、港にいる人に聞いても、はっきりした返事が返ってこない。
出港は荷物の積みおろし状況や天気(海の波の状態)次第のようだ。
そんなことで、いつ出港するかわからない。
知らぬ間において行かれたら大変なので、港近くで朝から海眺めたりしながら待機して待つ。
当時、沖縄には沖縄時間があると聞いていたが、これもそのたぐいみたい。
一度、雨が降る中、乗船するため艀で本船に近づいた。
しかし波が荒くて艀も本船も上下に揺れ、船員の「お客さんはダメ、乗船できない」の一言で雨が降る中をハシケは引き返した。
我々こそどうなってもいいような服装だったが、乗船客の中には、スーツを着ていた人もいた。
一張羅が台なしだ。
昔、ハシケで乗船しょうとして命を落とした人がいたと聞いた。
船の乗船下船は命がけだったようだ。
3日目にようやく乗船出来て帰路についた。
北大東島の乗船風景
北大東島にさようなら。
だんだんと港が遠くなっていく。
だんだんと港から離れていく。
離れるにしたがって、次第に船が揺れ出す。
揺れる荒波を乗り越えながら船は那覇へ向かう。
波が荒くて船がゆれ、座って居れないので、仰向けで両手を広げて横になる。
船の揺れで体が畳の上で横ずれするのを防ぐためだ。
予定よりも大幅に遅れて港に着いた。
これも沖縄の人は気にしない。
これも沖縄時間というものだ。
航路から大幅に外れて引き返し、やっと港に入港したらしい。
こんな旅もいいもんだ。