大保木の銀納義民 工藤治兵衛 | ア-ルの写真記

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(日本写真家協会 会員)

大保木地区は、西日本最高峰を誇る石鎚山の北側に降りそそぐ雨を集め流れる加茂川の上流域の山間にある。

藩政時代、大保木地区は平坦な地が少なくお米はほとんど穫れず、村の人たちは毎年の米による納税に困りはてていた。

1664年、それを見かねた大保木中奥の庄屋である工藤治兵衛が地域の代表となり年貢を米の代わりに銀(お金)で納めれるように西条藩主に直訴をした。

しかし、訴えは認められず工藤治兵衛の幼い子供を含む、総勢16名が捕らえられて処刑された、と伝わっている。

その後、藩主の交替もあり6年後にやっと銀納が認められた。

村人たちは地兵衛への感謝の念をもって、村の恩人として「銀納義民」と称して、お墓やお堂を建て手厚く供養してきた。

350年あまり経った今もお墓には花が絶えず、お盆の8月16日、中奥の治兵衛堂では近くの住人たちの世話などにより法要が行われている。

8月24日は石鎚ふれあいの里で供養祭と盆踊りが行われ、また、11月の28日の命日にも石鎚ふれあいの里で慰霊塔清掃の後で義民祭がおこなわれている。

 

 

車を駐めて、石段道を歩いて上がって行く。

 

 

治兵衛堂から石鎚登山ロープウエイ乗り場に向かって走る県道12号線が見下ろせる。

お堂の近くに住むKさん、高齢にもかかわらずいつも中心になって地兵衛堂のお世話をしている。

そろそろ法要の始まりの時間。

 

治兵衛堂横に工藤治兵衛の墓はある。

石鎚山真言宗総本山 極楽寺の副住職がお経を唱える。

 

大保木の中奥という所にある治兵衛堂。

かつてはこのすぐ下に中奥尋常小学校がり、この辺りには多くの人たちが住み、村の中心地として賑わいをみせた。

 

 

 

 

 

昭和38年、銀納義民300年祭を記念して、中奥の婦人会が作った垂れ幕がかかっている。

350年祭も2014年11月16日に大保木 石鎚ふれあいの里において盛大に開催した時は、記録写真をたくさん撮った。

 

 

 

 

法要の後は、ひさしぶりに顔を合わせる人たちと和やかに話が弾む。                              治兵衛堂にて

 

 

 

 

Kさん特製の手作りのぼた餅。

 

 

 

Kさん特製のかしわ餅。

 

 

 

平成15年頃までは、毎年この境内にあるイチョウの木を囲むように輪になって、盆踊りをしたという。

今は場所を移動して、大保木の石鎚ふれあいの里で開催している。

 

 

 

義民さんたちが処刑された11月28日、命日に当たる日はお堂内にローソクの灯が灯してある。

この時期、境内はご覧のようにいちようの大木から落ちる黄色い葉で覆い尽くされる。

 

お堂の下に中奥尋常小学校があったころの全校生徒が体操をする様子を撮った古い写真。

生徒だけで100名はいるだろうか。

後に小学校は大保木中学校横に移転し、跡地は植林された。

その後成長した木々で覆い尽くされたが数年前に切り倒し、きれいに整地し、今は治兵堂を訪れる人たちの駐車場となっている。

写真の右下から左上に向かってある谷間を、現在は石鎚登山ロープウエイに行く県道12号西条ー久万線が走っている。             

中奥尋常小学校 西条市中奥 (撮影者不詳  大保木公民館蔵)