公傷制度について横審が言及した。けがに苦しみ2人が大関陥落、尊富士や朝乃山と大けがで番付を落とす力士が相次いでいることによるようだ。数年前にも公傷制度の復活を求め力士界の要望が出されたことがあった。しかし有耶無耶に終わっている。
公傷制度は2002年名古屋にのべ16人が休場、2001年ごろより大関の適用が多いなどから問題視され、武双山が2度にわたって申請ながら却下され、出場し勝ち越したことより廃止論が大きくなった。当時の北の湖理事長は原点に返るとしている。
また「場所後の巡業に参加し、場所前も稽古しながら、本番は休場する。1年に2度も公傷で休場した大関もいます。プロにとってけがは恥ですよ」と現状を批判。
横綱ながら7年休場なしで土俵の中心にあり続けた北の湖の意見だけに重かったようで、急速に廃止へ向け動き、2004年初より廃止となった。この時北の湖理事長は大関の降下規定についても、現行の「2場所連続負け越し陥落、10勝で再昇進」から「3場所連続負け越しで陥落、翌場所11勝で無条件昇進」に変更を提示したが反対が大きく見送られた。
武蔵丸がコラムで言及したように、仮病(ずる休み)による休場が明らかに多くなったのも廃止の一つのようだ。初めの認定は非常に厳格で、大関は対象外ということもあり、1972年の創設から10年間に認定された幕内力士はわずか7人。
7人の負傷内容をみると
丸山 右膝内障及び関節血腫
岩下 左膝関節内障・頚部捻挫・脳震盪
栃赤城 左足首関節捻挫・左踵靱帯損傷
琴風 左膝内側側副靱帯断裂・左膝半月板損傷・左腰部挫傷
栃赤城 右足首関節捻挫
闘竜 左足首関節挫傷
魁輝 左膝靱帯損傷
琴風の場合1度目の靭帯断裂は適用されていない。1979春に右肩関節脱臼をした千代の富士は手続きの不備(現認報告書の提出遅れ?)から公傷認定を受けられず翌場所3日目より出場。9勝と勝ち越した。
雑誌相撲の2003年11月号によると3年目(1974年)、7年目(1978年)、8年目(1979年)は幕内十両でゼロであった。今回調査しても、非常に少なく稀なものだったとわかる。
しかし1983年に大関にも適用されるようになり、このあたりから認定が緩和された。特に1993年から2002年までの認定は幕内53人、十両47人ののべ100人である。70年代のそれと比較して全く別物といっていい。
このころになると単なる全休力士は稀で、毎場所のように公傷力士がいる。1年間で2度公傷認定を受ける例もあり、負傷の程度こそあれ濫用といわれてやむを得ない状況。特に2000年になって以降急増し、公傷力士のいない場所はほぼなく、毎場所複数人の公傷力士がみられる。1998秋は公傷力士が4人、2000夏は全休・公傷力士が8人、2002名は公傷だけで7人という公傷バーゲン状態。
この急増について北の湖理事長は「スポーツ医学の進歩がある。以前は捻挫とされた怪我も、検査器具の開発で小さな骨折を発見できる。受け取り方が全然違う。」としていたが、それ以外にも原因があり、1992年九州の霧島の負傷をめぐって(当初歩行可能ということで却下したが、のちに靭帯断裂と判明)、診断書の提出期間が3日に拡大した。これにより審判部の公傷委員の判定よりも診断書を重視することになり、公認の有給休養のように利用するようになってしまった。こうなると休まなければ損だという精神で先を争って申請するようになったと、雑誌相撲の記事では振り返っている。
当時の公傷認定力士を見ても、全治2か月という診断が目立ち、比較的軽度の肉離れ、捻挫といったものでも認定されている。つまり診断書次第でどうにでもなる制度に変化してしまった。
公傷について横綱審議委員会の山内昌之委員長は
「どんな制度をつくっても、素直に適応して受け入れる場合もあるし、制度に頼って急場をくぐり抜けたいという気持ちが働くも人間だ。したがってデータや材料を集めて問題解決の準備にあたってもいい時がきてもいいのではないか」
「相撲界の貢献や将来の角界の発展などに十分に働いてもらうためにも公傷制度を検討するべき」
としている。
八角理事長は照ノ富士の例のように「けがで番付を落として、這いあがってくるのも修行の一つ」であるとし、復活に否定的なようだ。確かに怪我はすべて不可抗力とし、特別な処遇をしては、体重増加、押し相撲全盛の現代に収まりがつかない。取り口を変える、下半身の強化といったけがに対する向き合い方も重要である。
ただし大けがによる長期休場で番付を落とす例も相次ぐのは事実。公傷制度復活といっても、いわゆる慢性的なものと、靭帯断裂・骨折といった明らかな重傷に対する区別をどう規則に落とし込んでいくかが最重要であろう。「データや材料を集めて」という提言もあるが、ただ立てる、立てないではなく負傷部位ごとにどれほど回復期間がかかるかといった分析が必要だ。
負傷の内容以外にも、1年に1度、2年で1度といった回数の制限、公傷休場中は給与が半額に削減といった何らかのペナルティは必要である。ただ休めるなら休みたい、でも給与ももらえるでは誰でも利用したいというのが本音。特に近年は巡業スケジュールも過密で、どう見ても疲れの目立つ力士が多い。相撲界は番付が絶対的で、この種のペナルティや処分が十分ではない。
単なる全治2か月=公傷、制度を利用し急場を凌ぐということになっては元の木阿弥。そんなところに単なる診断書で認定できる公傷制度が復活しては大相撲にとってマイナスとなるだけだ。