テレビの視聴者が全年代で減少、NHK放送文化研究所の調査で、16~19歳と20代で7割、30代では6割近くが見ない結果。とくに高齢者も見なくなっている結果が大きい。

 

 

 

どうもこの凋落。動画配信もあるがそれだけではない。テレビが視聴者を置いてけぼりにしているように。まだまだ見るとこはある。といっても愚生も激減ですが。

 

 

 

 

たまに見ても、演者が楽しい、面白がっているだけ、見る側は何にも面白くない。

過剰なテロップ、ワイプ、効果音、CMによる引き延ばしなども目立つ。うるさく耳障りではBGMにもならない。

 

 

 

BS4K撤退、視聴率低下で記事にもなるが一向に変えようとしない。わざわざ見たくなくなるようなキャスティング。この頑固さ。大相撲中継もちょっとおかしいと肌感覚ながら思っています。

結局は長年作り上げた利権だけ?

 

 

 

NHKに関してはタレントを無駄においている番組も良くない 。最近の番組はほとんどこのパターン。芸能事務所とのパイプ、もっと言えば癒着もあろうが、視聴者には関係のない話でソッポ向くだけ。

 

 

 

ワールドカップ「日本vsオランダ」が34%を記録。テレビ離れといわれる近年ではかなりの高率。しかしその他が酷い。

 

 

 

民放局の全ての視聴率で、10%を超えた番組なし。NHKはかろうじて朝ドラ、朝のNHKニュースおはよう首都圏、ニュース7が10%超え。報道は比較的視聴者がいる。ところが、テレビ朝日の報道ステーションも落ちたようだ。

 

 

スポーツではミラノ・コルティナ五輪では、女子フィギュア決勝が同じく早朝ながら21%をとったという。

 

作り物は本物に勝てない、ということだそうで。特にドラマが酷いようである。

 

 

 

個人的にもドラマは見なくなった。まずはテンポが悪い。昔の名作とテンポと滑舌が段違い。プロの俳優の技術である。テーマも同じようなものが多くチープ。

 

役者も守られすぎのように思う。不祥事を起こしてもすぐに出てくる。一般社会ではクビ相当でも、需要だってそこまであるのか。低視聴率のツケをなぜ演者にも負わせない?

 

 

 

立川談志のことば

テレビは疑似友達。 友達作りはしんどい。だからテレビに求めていたと。

 

テレビは非常識を求める、だからテレビ側も期待に応え非常識をやらにゃとなる。しかし本当に非常識を置くと、えらい目に合うから、そこはプロを置く。上岡とかビートとか。

いっそ、「非常識テレビ」を作れ。食品のCMも「こんなうまいものないよ、何か聞きたいのかよ。あなた方。本当にうまいものを教えると思うかい」これをやるとCMが全部潰れる。

 

本質より利潤を優先する企業が、金儲けというマス目指す限り、マスは常識に生きなきゃいけないから却下される。牛耳っている電通や博報堂などがやっている限り無理だろうね

 

これは平成初期のものだが、本質を捉え、よく見抜いている。慧眼か。伝える以上に利潤、自分たちの安定が先でしょう。 

 

NHK会長はスクランブル化否定。受信料やめるとまずいのはわかってる。しかしそれを言っちゃあオシマイだよ式の論。言い張るよりない。

 

番組しか信頼はないのだが、その番組がいい加減。出演の人間が逮捕も。そもそも外注多い。庇貸してなんとかになっては…

 

既得権益を守ってどんどん落ちて行ってしまう。

 

もう非常識やるよりないでしょう。

元関脇長谷川が亡くなった。81歳。力士としては長寿の方だがすい臓がんだったという。

 

何といってもこの人は優勝と大関見送りであった。

 

昭和47春、魁傑との優勝決定戦で勝利し12勝で初優勝。しかし場所後の大関は見送りに。直前3場所は8・10・12の通算30勝。条件は満たした。 

 

いまではともかく当時は甘い時代。長谷川は1場所目の8勝がネックだが、2場所ではこの年の輪島が21、貴ノ花が22、北の富士の3場所28勝もあった時代。

 

この頃は時代を作る力士を協会が後押ししていた面もある。やはり輪島や貴ノ花が次のスター。すでにベテランに差し掛かった長谷川がその波に乗れなかったのか。


この年は毎場所優勝が違うという戦国場所。それだけに優勝の価値も下がってしまったように。さらに当時大関の八百長などがやり玉。上位陣への目が厳しかった。 


関脇21場所をはじめ、上位で活躍。大鵬柏戸栃ノ海佐田の山北の富士玉ノ海輪島と7人の横綱を倒し、金星9個。北の湖以外は対戦した横綱に勝っている。晩年の昭和50春、夏と大関魁傑を連破。

 

上位と一口に言っても以降の力士より内容が濃い。2つの時代にまたがって活躍したのが長谷川の特筆すべきところでは。

 

引退前場所も上位に在り長く全盛であったが、やはり昭和44年~46年ごろだったと思われる。初めて大鵬に勝った昭和44年夏。連勝ストップの翌場所。左四つで出るも大鵬に残され離れたが、いなして形勢を変えて一気に出た。休まなかった。この場所大鵬は13勝の優勝だけに価値が大きい。

 

北の富士との毎度のにらみ合い、肩を振る仕切りなど役者ぶりもあった。

 

土俵運と引き換えに私生活は運があった。佐渡ヶ嶽部屋でふぐ中毒で力士2人が死亡という事態。この時直前でうどんを食べに出て難を逃れた。さらに1966年2月、千歳発東京行きの全日空機の墜落。全員死亡。これに乗る予定だった。本当に乗る所だった。しかし直前に友人と会い急遽キャンセル。幼少時にも何度か危ない経験がある。

 

元関脇 長谷川勝敏さん 訃報

 

もともと佐渡ヶ嶽の継承は長谷川の予定。しかし琴櫻の引退直後に師匠急逝、琴櫻が継承し結局独立し部屋を持つこともなかった。このようにたられば、分岐点の多い人でもあった。違った世界線があればどうなったのか。

 

佐渡ヶ嶽部屋だが琴の力士名が付かず本名で終わったのも異色。

 

昨年の末には変わらず元気だったという。病気は急なものだったか。戦前生まれの幕内力士がまた一人減った。

 

 

宮城野部屋。あっさり消滅。白鵬の事ばかり終始してしまうがこの部屋も長い歴史があった。

 

 

2代目から部屋は続いてきたようだが、現代の宮城野は5代目の鳳凰にさかのぼる。鳳凰は明治19年に4代目の荒馬の宮城野から初土俵。3年後に師匠はなくなる。その後錦戸部屋に移り大関に昇進。しかし豪酒が祟って全盛は短かった。

 

 

鳳凰は引退直前に宮城野を継承し部屋を興したが、引退4年後の1907年に40歳で亡くなる。この時のちの横綱鳳は未だ幕下だった。1909年に入幕し、1915年に横綱。部屋はその間元五所車が継承していたが、実質は鳳の部屋。1916年に五所車は年寄を廃業し、鳳が二枚鑑札で当主に。

 

 

鳳は横綱としては終始脇役で、1920年引退。その後理事を務めるなど要職に在った。晩年は病気であったが、横綱としては比較的長命で昭和31年に亡くなる。ここで一旦部屋は途絶えた。唯一の弟子だった福ノ里は高島部屋に。

 

 

1958年に引退した吉葉山は一代年寄吉葉山を名乗り、吉葉山道場を創設した。翌年に一代年寄制度は廃止となり、宮城野を継承。宮城野部屋を復活させた。福ノ里も宮城野の門下となり、系譜はつながっているとしていい。

 

 

明武谷や陸奥嵐などを育て、自らも協会理事として審判部長も務めたが、 1977年に宮城野は死去。弟子は明武谷、陸奥嵐、宇多川、廣川が親方となったが廃業や移籍が続き、唯一の部屋付きだった廣川が継承。竹葉山などを育てた。巡業での売り込みで評判だったが、1989年に急逝、引退したばかりの竹葉山が受け継いだ。小部屋ながら弟子育成に尽くし、白鵬という傑物を出した。一時他門の金親が先代の娘婿となって継承、ゴタゴタで師匠返上となるなどトラブルもあった。

 

 

一方の伊勢ヶ濱部屋の源流は陸奥嵐が1979年に起こした安治川部屋である。糖尿病などにより1993年に廃業、元旭富士が継承した。旭富士は安の字を弟子につけ、先代弟子の陸奥北海が最初の十両となり、安美錦、日馬富士などを育てた。2007年に一門宗家の伊勢ヶ濱部屋が閉鎖し、伊勢ヶ濱を継承し名称だけだが復活させた。安の字を変え多くの力士は富士をつけるようになった。

 

2013年に間垣部屋、2015年に大阪相撲名門であった朝日山部屋を吸収。朝日山の中には旧桐山で伊勢ヶ濱部屋所属の力士もいた。

 

 

照ノ富士は2011年に間垣部屋から初土俵。親方の病気により苦労もありながら、2013年に部屋の閉鎖で移籍し十両。出世は早く2年後に大関に。しかし糖尿病やひざのけがで苦しみ、2017年に大関陥落。以降も不振で休場続き、2019年に序二段まで落ちた。そこから不屈の復活、2020年に再入幕し優勝、以降土俵の中心にあり、2021年に大関、横綱。以降はケガや体調が再度悪化し休場が多くなったが、皆勤の場合は存在感を示し優勝は6回。2025年に引退した。

 

 

このようにカオスといってもいい経過をたどり、伊勢ヶ濱として宮城野、旧安治川、旧間垣、旧朝日山、旧桐山を吸収。安治川時代に旧春日山も一時吸収、宮城野部屋は春日山から継承された旧中川の一部も受け入れている。

 

白鵬は2021年に引退、翌年に宮城野を継承。しかし2年も経たずに取り潰しとなってしまった。

 

宮城野の分家であった安治川部屋が勢力拡大し、本家を吸収したわけ。

 

ともかく長い歴史に終止符を打ったのだ。