北の富士と33代庄之助の対談。北の富士の師匠は千代の山、庄之助の師匠は前田山である。
前田山と千代の山は何かとつながりがあり、千代の山は昭和24・10,25春と連覇を果たしながら横綱を見送られているが、これは直前に前田山が野球観戦に始まる一連の騒動から強制引退となったことが影響している。つまり横綱陣への目が厳しくなった。大関で連覇を果たしながら横綱昇進しない例はこれを最後にないあたり、当時の協会から見ると英断であった。それだけ戦後の混乱と合わせて深刻な時期だったともいえる。いわば千代の山の最初の挫折だった。
前田山の話に移り
庄 入門したての頃なんですけども、前田山の高砂親方がほめたりしかったりしてるんですけど、なんか変なんですよ。取組に勝った人を怒ったり、負けた人をほめたりしてる。なんでと子供の僕にはどういうことなんだか、まるで理解できませんでした。今となっては逃げて勝ったり、姑息な相撲を取った時はしかりつけ、負けても堂々のいい相撲の時は褒めていたんですね。
北 当時の高砂は押し相撲の力士が多かったからそんな風に持って行ったんだろうなあ。前田山サンは怖かったけども、そういったところもあって人を引っ張る力を持っていたよね。ユーモアもあった。
昭和30秋の幕内を見ると、朝潮、宮錦、嶋錦、国登、十両に大戸崎、森ノ里といったところで押しが多い。前田山は当時の角界からみると異端といわれるが、現代から見ると先を行っていた。洋式トイレや洋食など海外通であるのもあったか。女人禁制を古いと評したり、何かと前例とぶち破ろうとしたのがうかがえる。
海外つながりではそれ以上に面白い話があり
北 ジェシーが相撲に入るきっかけになったハワイ巡業のこと、よく覚えてるよ。向こうの人たちに稽古をつける時間になったらそこにジェシーがいた。入門の話はだいぶ進んでるらしくて、親方が柏戸さんや大鵬さんに「わかってるね、わかってるね」と甲高い声をかけている。
得たりやおうと、あの柏戸や大鵬がまた上手に負けてやるんだ。ジェシーはもうご機嫌さ。それを見ていたのがこの前亡くなった若浪さんだ。「気に食わねえな」とあのブッ太い声で一言いうと、のっそり立ち上がって土俵に出て行って、いとも簡単にポイと投げ飛ばしてしまった。自分よりずっとちっしゃなお相撲さんにやられたジェシーは今度はパニックさ。「もう相撲を取るのは嫌だ」とまで駄々をこねだしちゃった。
目に浮かぶ。入門のために横綱大関があえて負けておだてる作戦はよく聞くが、高見山は当時19歳でこんな手が通じたのか。それをみて俺が倒してやろうと土俵に上がる若浪もサムライ。
若浪も酒は底なし、宵越しの金は持たないという豪快な力士で誰でも吊り上げてしまう豪放な相撲も特徴だった。入門前の高見山など赤子だろう。ただ幕内の成績では高見山の5勝3敗。もう嫌だと駄々をこねてどう収めたのか… 若浪にみるように当時の幕内は魑魅魍魎というべき一癖も二癖もある力士が多くいた。上位を狙う力士はこういった力士に必ず苦杯をなめたもの。いわばこういった個性が角界を支えていた。