死んだ日に生きた男/ウェイロン・ジェニングス | Baby you a song

Baby you a song

You make me wanna roll my windows down,
…and cruise !

 2月3日(1959年)は「音楽が死んだ日(The Day the Music Died)」と呼ばれていますね。
(バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパー、3人のロック・スターが飛行機事故により亡くなった日)

 

 ところがこの日、幸運にも事故を逃れ、後にカントリーアーティストとして成功を収めた人がいます。
彼の名前はウェイロン・ジェニングス(Waylon Jennings)。

ウェイロン・ジェニングス(Waylon Jennings)
ウェイロン・ジェニングス(Waylon Jennings)
1937年6月15日~2002年2月13日(64歳没)

 事故があった1959年冬、ウェイロン・ジェニングスはバディ・ホリー達のバックバンド(ベース担当)に抜擢され、ウィンター・ダンス・パーティと題されたアメリカツアーを巡っていました。

 

 彼等はアイオア州での演奏後、次の目的地であるノースダコタ州へ飛行機で向かおうとしたのですが、この小型機はパイロットを含め定員4名!
 ウェイロン・ジェニングスは風邪を引いたビッグ・ボッパーに席を譲ったのでありました・・・。
(ウェイロンはバスでの移動)

バディ・ホリーの飛行機
ビーチ・エアクラフト社「ボナンザ」N3784N


ここでウェイロンとバディ・ホリーとの間で、ちょっとしたジョークが交わされます。

「お前のバス、凍っちまえよ」

(この日は凄く寒い日)
バディ・ホリー

「君の飛行機こそ、落ちちまえ」
ウェイロン・ジェニングス

 


ウェイロン(左)と、バディ(右)

「はっはっは」というお互い軽いジョークだったのでしょう。
が、飛行機のほうは、その後、なんと実際に墜落してしまったのです;;

バディ・ホリー墜落現場
アイオワ州の墜落現場

 それから何年もの間、ウェイロンは「飛行機なんか落ちろ」と言った自分を責め続け、「バディ達を死なせた事故は、自分のせいだ」という罪悪感に苛まれたようです。
鳴かず飛ばずの音楽活動こそ続けていましたが、お決まりのような自堕落な生活、薬物の乱用・・・。

 ウェイロン・ジェニングスに再び転機が訪れるのは、事故から26年後、1985年のことです。
ウィリー・ネルソンやジョニー・キャッシュが主催するスーパーユニット「ザ・ハイウェイメン」に誘われるという幸運に恵まれたのでした。
ザ・ハイウェイメンのファーストアルバム「Highwayman」は、すぐにカントリー・チャート第1位という快挙を成し遂げます。

 この時こそ、バディ・ホリーのツアー以来、彼にとって人生第二の絶頂期!

『Highwayman』/ザ・ハイウェイメン
『Highwayman』/ザ・ハイウェイメン


 しかしその後、ウェイロン・ジェニングスに、悲劇というか喜劇が訪れるのでした。
ザ・ハイウェイメンで名を上げたウェイロン…。すると彼に、なんと、かの「ウィ・アー・ザ・ワールド」のレコーディングオファーが舞い込みます。
ご存知の通り、この時のレコーディングメンバーは、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、ボブ・ディラン、ダイアナ・ロス等、そうそうたる面々。

かつては失意のどん底にあったウェイロンにとって、これはとんでもない人生最大の晴れ舞台!!

『WE ARE THE WORLD』/USA for AFRICA
『WE ARE THE WORLD』/USA for AFRICA
(世界中で少なくとも1,000万枚の売り上げを記録)


 今を時めくアーティスト達が集まるスタジオの入口には「扉で自分のエゴを確認しろ(Please check your egos at the door)」という張り紙があったといいます。
それぞれのエゴがぶつかり合っちゃ、レコーディングは絶対に成功しませんよねえ・・・。
 が、ウェイロン・ジェニングスは、ここでヤラかしてしまいます。

 年長者でもありましたし、ザ・ハイウェイメンでの成功に増長していたのでしょう。
「ウィ・アー・ザ・ワールド」のパートをスワヒリ語で歌って欲しいという要望に、彼は「俺はカントリーアーティスト。そんな言葉で歌えるかっ」と・・・。
激しい言い争いの後、一人スタジオを出て行ってしまったのでした。

…ああ、エゴが爆発(ノ∀`)

『WE ARE THE WORLD』レコーディング風景
『WE ARE THE WORLD』レコーディング風景

 「スワヒリ語のパートを」というアイデア(USA for AFRICAなので)は、最終的に取り消しとなりましたが、ウェイロン・ジェニングスは、その後、二度とスタジオに帰って来ることはありませんでした。

 いや、帰って来たんだ、とも言います。
 が、スタジオのフォトセッションにおいても、「We Are The World」のビデオにおいても、彼の姿を一切確認することは出来ません。
おそらく歴史的なレコーディングには参加しなかったのでしょう。
(名前だけはクレジットされています)

 この数奇な人生を歩んだアーティストは、2002年2月13日、アリゾナ州チャンドラーで亡くなっています。
糖尿病の合併症が死因だそうです。

 

ウェイロン・ジェニングスのお墓

ウェイロン・ジェニングスのお墓

碑には「ごろつきの夢想家(A vagabond dreamer)」等と刻まれています。

その深い意味は分かりません・・・。