坂口涼太郎 オフィシャルブログ powered by Ameba

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菊池銀河くんとふたりでつくった歌「秘密の夜」のライブ映像を公開します。

 

 

 

 

 

 

この歌は2019年12月27〜29日に開催されたC.I.A presents ”SUPER LIVE 2019"のためにつくり、披露しました。

 

 

 

 

いまこの世界のなかでもう一度この歌を聴くと、当時とはまた違う響き方、届き方をするのではないかと思います

 

 

 

この歌が


いまのあなたに少しでも寄り添えますように

 

 

暗い夜を照らすひかりになりますように

 

 

こころとからだのぜんぶで 祈っています


 


 坂口涼太郎




 

 

 

 

 

 

 

 

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-前篇-はこちら



木ノ下歌舞伎「勧進帳」パリ公演初日。

 

本番前の静謐な楽屋で化粧をしながら、日本という場所以外でこの作品を上演することについて思いを巡らせていた。

 

公用語、文化、身体性の異なる環境でどのように受け取ってもらえるのだろうかという懸念の声もあったけれど、僕は日本にいる時分から、どれだけ台詞に日本独自の固有名詞が入っていようと、この作品の主題である〈境界線〉についての物語は世界のどこで上演したって伝わると信じていた。

 

だって、同じ人間なのだから。

 

この世界のどこにいたって、どんな人生を歩んできたって、人は誰でも「寂しい」と思うし、「楽しい」とも思う。

 

誰かのことを「好き」にもなる。

 

そんな当たり前のことを分かり合えるのだから、言葉や容姿や常識が違うことに、なんの障壁があるのだろうか!

 

気づけば「ベルリンの壁崩壊」の時にハンマーを振り下ろしていた人のような気持ちでファンデーションを塗っていて、鏡の中の自分と目が合った。

 

そこに映る顔への心境は安定していつも同じで、

「こんな顔してたっけ?」

と毎回疑念を抱く。

 

間違い探しのように見る度にちょっとずつ変わるその顔の態度は反抗的で、顔に意地悪されているのではないかと思う。

 

パリの楽屋の鏡に映る"THE 顔"も例のごとく馴染みがなく、その表情からは何の情報も読み取れない。

 

ただ、

「急げよ」

と言っているような気がした。

 

 

制限時間ぎりぎりいっぱいで準備を終え、心のハンマーを置き、楽屋から舞台袖へ向かう。

 

客席は満席で、森の木々が風に揺れるようにお客様の話し声で劇場がざわめいていた。

 

 

パリの街を歩くと至るところに小さな劇場がある。

 

演劇や一人芝居、スタンダップコメディーなどの演目が上演され、そのどこもが賑わっていた。

 

みんなディナーの後に

「ちょっと観ていこうか」

みたいな感じで開場を待つ列に並んでいて、その劇場との距離感は我々にとってとても理想というか、いかに劇場と生活が密接に関わっているかということを物語っていた。

 

僕らの公演も夜の八時半に開演する。

 

きっと皆さん、一日の締めくくりに劇場に来てくださったのだろう。

 

 

薄暗い舞台袖で舞台監督の大鹿さんから開演の合図を待つ間、

「たくさん心を動かそう」

と心の中で呟き、祈った。

 

目を閉じながら、パリの教会で出会った祈る人々の姿を思い出し、

「劇場も祈る場所のひとつなんだな」

と思った。

 

 

「どうぞ」

という大鹿さんの声を聞いて、右足から舞台へ歩き始める。

 

僕らの姿が舞台に現れると、ざわめいていた客席が一瞬にして森閑とした。

 

 

そして、僕らは演劇を始めた。

 

 

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鳴り止まない拍手は、まるで何かを鼓舞するかのように揃ったり、再び雨音のようにばらけたりしながら、僕らを五度も舞台に連れ出してくれた。

 

カーテンコールが終わった瞬間、開演前以上のざわめきが客席からどっと発生した。

 

「騒然」という言葉がぴったりなほど、お客様同士が感想を述べ合い、

「私はこう思ったけれど、あなたはどう思うか」

というような議論があちこちで繰り広げられていた。

 

ロビーにいらっしゃった主宰の木ノ下裕一さん(先生)は終演後にお客様から質問攻めに合い、なかなか楽屋に帰って来られなかった。

 

質問や感想を、前髪が焦げそうなほどの熱量で伝えにくる人々は演劇関係者だけではなく、花屋さんやパン屋さんなどの職業の方もいらしゃったそうで、

「フランスは話す文化だから」

と以前フランスの方が仰っていたことを思い出し、そのことに全力で頷ける出来事だった。

 

 

それに反して、上演中は客席に一人も観客がいないのではないかと思うほど静かだった。

 

まるで舞台の上以外は時が止まっているのかと思うほど、これまで演劇をしてきた中で一番の静けさだった。

 

同時に、もの凄く真剣に観てくれているということがノールックでわかるほど、僕らの一挙手一投足を見逃すまいという迫力のある視線が束になり、面となって、肌が覆われているようだった。

 

時々起こる笑い声で、真に存在しているということを確認できた。

 

 

笑いが起こるタイミングは日本で上演していた時と同じだった。

 

ただひとつ面白かったのが、山伏問答の際に弁慶が富樫に

「九字真言というおまじないはどうやって行うのか」

と問い詰められ、それを説明する場面で、

「九字真言を切ろうとする時はまず、正しい姿勢で立ち、歯を三十六回叩き合わせ、~」

という台詞の後に笑いが起こったこと。

 

僕らは全く疑問に感じていなかったけれど、その反応の後に改めて、"おまじないをする為に歯を三十六回かちかちと叩き合わせている弁慶"の姿を想像して、

「確かにだいぶ面白い」

とフランスのお客様に気づかせてもらった。

 

 

フランスのスタッフ陣が驚いていたのは、三日間三公演のうち、上演中にお帰りになったお客様が一人しかいないことだった。

 

最初その話を聞いたとき、

「途中でお帰りになったお客様がいらっしゃったんだ」

と少しショックを受けた。

 

日本だと一人でも上演中にお帰りになるお客様がいらっしゃると、割と大きなトピックというか、

「わ!あの人途中で帰りはったで!」

とその場にいる人々はなんだか

「おおっ」

という空気になる。

 

もちろん時間は有限で、その使い方は人それぞれ自由であり、

「いまここで時間を使うべきではない」

と思い、行動に移すことは全く間違っていないことだと僕は思う。

 

しかし、それを実行に移すにはちょっとした勇気も必要で、

「気になる人がいるだろうな」

とか、

「なるべく場の空気を損なわないところで」

などの懸念もあるだろうし、一方で"人それぞれ主義"の方は

「堂々と帰ってもいいじゃない」

という思いのもと、胸を張って退場されることもあるだろう。

 

しかし、フランスで途中で帰るのは当たり前なのだそうだ。

 

「大体1~2割のお客様が途中で帰ります」

という話に、ええ!? となったし、 

「それ出てる方としてはかなりメンタルやられるねんけど」

と思ったけれど、いたって普通の出来事なのだそうだ。

 

 

そんな話をしたあと、また別の公演で上演中に席をお立ちになったお客様がいらっしゃった。

 

客席の中央に座っていたその男性は、なんと座席の背もたれ部分によじ登り、さながら綱渡りのようにそのまま横に伝って、通路にほぼ身を投げ出すみたいな形で退場された。

 

それを見ていた先生は

「随分派手に出て行くなあ!気に入らないならもう少し周りに配慮して帰ってくれたらいいのに!」

と思ったらしい。

 

しかし、しばらくしてその方は客席に戻ってきた。

 

恐らく体調が優れず席を離れたかったのだけれど、お芝居も割とクライマックスを迎えそうだし、他のお客様に声をかけて座席の前を通っていくのは悪いと思い、我慢に我慢を重ねたけれどもう限界で、自分なりに最大限の配慮をした結果、通路まで一瞬で出られる

「綱渡り方式、からの、身を投げる」

を選んだのだと思う。

 

終演後にその話を聞いたとき、その一連の彼の逡巡を想像して、なんだかとても愛おしい気持ちになったのであった。

 

 


初日を終えた夜はパーティーが開かれ、フランスのスタッフの皆さん、観に来てくださったお客様、演劇関係者の皆さんなどと歓談した。

 

ピナ・バウシュさんのヴッパタール舞踊団の方々やパリで活動するアーティストの皆さん、世界の様々な場所からいらしてくださったディレクターの方々のお話はとても鮮やかで、彩り豊かな夜だった。

 

そして、改めて日本以外の場所でこの演劇のメッセージがそれぞれの心に届いたことを知り、

「世界のどこでも、文化や宗教や常識や容姿が違えど、人間は皆同じだ」

ということを、今まではただ心の中で信じている状態だったけれど、それが確かな事実であるということを身をもって実感できたことは僕にとってとても嬉しく、意義深いことだった。

 

まるで予言していたことがばちっとその通りに起きたように、言葉に実が伴った瞬間で、痛快な気持ちだった。

 

ではなぜ、国境、国籍、宗教、ジェンダー、過去と現在、自己と他者などのボーダーラインは存在するのか、誰が望んでいるのか、なぜ無くならないのかということを考え続けなければならないと思った。

 

「○○人はだめだ」

とか、

「○○教の人はだめだ」

とか、

「男はこうで、女はこうだ」

とか、どうして一括りにしてしまうのか。

 

その一括りは個人の集まりであり、そのひとりひとりを知っている訳ではないのに、なぜ全否定に行き着いてしまうのか。

 

そこにはやはり、対人、対話することが足りないのではないか。

 

どうか身をもって実感してから、言葉に実をもってから発言してほしい。

 

わからないことがあれば、身をもって確かめてみてほしい。

 

「みんながそう言っているから」

とか、

「普通はそうだから」

とか、

「常識的に」

とか、そういうこと全てを疑って、自分で心の底から信じられることを見つけてほしい。

 

そうすれば、誰しもがもっと生きやすくなるのではないか!

 

「I have a dream」なのではないか!

 

今度は「ワシントン大行進」のときに演説するキング牧師の気持ちになりながらブログを書いている自分に今気づき、話をパリでの日々に戻そうと思う。

 

 

 

翌日。

 

少し遅めに起きて、スーパーで自分の直感を信じて買ったら泥のような味がした珈琲をばくさんに振る舞い、のんびりと出かける準備をする。

 

今日は僕が行ってみたいレストランが歩いて行ける距離にあったので、ばくさんとのえみさんをお誘いして、夕方の劇場入りまで近所を散歩してみようということになっていた。

 

まず、向かったのはフランスの家庭料理を食べたくて訪れたレストラン

 

AUX BONS CRUS

(オウ・ボン・クリュ)

 

店内は木を基調としたどこか懐かしさを感じさせるインテリアで、赤いギンガムチェックのテーブルクロスがアクセントになり、穏やかでチャーミングな雰囲気を醸し出していた。

 

僕は南瓜と栗のポタージュと、シューファルシを頼んだ。

 

ポタージュは自然がそのまま体に染み渡っていくような、素朴だけど力強い味がして美味しかった。

 

シューファルシ(chou farci)は牛の挽肉とキャベツをミルフィーユのように重ねて包み、その上にトマトクリームのソースをたっぷりとかけてオーブンで焼いたロールキャベツのような料理。

 

一口食べた途端、三人同時に

「んーーーん!」

と声が漏れるほど美味しかった。

 

肉もキャベツもトマトクリームも全てがジューシーかつ濃厚で、ハンバーグとシチューとポトフが合体したような最強さがあった。

 

そして、忘れてはいけないのはここでもやはり"バゲット"で、口火を切ったのはのえみさんだった。

 

「ねえ、バゲット欲しくな…Excuse-moi! Une baguette,s'il vous plaît !(すいません!バゲットください!)」

と、それはそれは流麗に、僕らの返答を待たずして同意だということを感じ取ってからの、流れるような注文への切り替えしはかなり見応えがあった。

 

のえみさんのおかげでやってきたバゲットは例のごとく魔法にかかっていて、お皿に残った最強のソースを、魔法にかかったバゲットで掬って食べたときは、たぶん三人とも失神していたと思う。

 

「せてとれぼん!せてとれぼん!せてとれぼん!」

(C’était très bon : 美味しかったです)

とみんなでギャルソンさんに浴びせかけてから店を後にした。

 

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「いやー美味しかったですねー」

「シューファルシ最強ですねー」

とお互いの感動を確認し合いながらしばらく歩いていると、大きな教会があったので入ってみることにした。

 

サンタンブロワーズ教会

(Église Saint-Ambroise)

 

中に入ると僕らの他には誰もいなかった。

 

さっきまで聞こえていた車が走る音や、風が吹く音、遠くから聞こえてくる人の声などが水の中に潜ったように止んだ。

 

訪れた静けさと共に、子供の頃の記憶が蘇ってきた。

 

ブレザーに半ズボンの制服。

 

革のランドセルに描かれていた鳩の紋章。

 

緑色の布地に金色の太陽と月が描かれているブックカバーをかけた聖書の重さ。

 

 

僕は小学校低学年の二年間、キリスト教信仰の学校に通っていた。

 

毎朝礼拝があり、聖書の一節を朗読し、賛美歌を歌い、「アーメン」と声に出して祈った。

 

今思い出すと、その時間はとても平穏なひとときだった。

 

僕が「人の祈る姿が一番美しい」と思うこの思想のルーツは、その当時の記憶が影響しているのかもしれない、とふと思った。

 

あの頃の礼拝堂を連想させるような懐かしさを感じた教会だった。

 

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外に出ると日差しが眩しく、コートがいらないぐらい暖かかった。

 

のえみさんがお土産にチョコレートを買いたいと仰っていたので、ショコラトリーに向かうことに。

 

そのお店の名は

 

ジャック・ジュナン

(Jacques Genin)

 

日本にはまだ出店していないショコラトリーなので、お土産には最適! ということで店内を物色。

 

僕は店員さんにチョコレートの味を教えてもらい、気になった九個を自分用に金属のボックスに詰め合わせてもらった。

 

その夜、ホテルに戻って一粒いただいたら、味と香りが口の中で爆発し、視界の解像度が爆上がりした。

 

「いいチョコレートは一度に何個も食べなくても満足できるんです」

みたいなことをチョコレート通の方がテレビの中で仰っていたのを見て、

「んーなこと!絶対上品ぶって痩せ我慢してるわ!はよ楽になり!」

と涅槃像の姿勢で揶揄していたけれど、その方が仰っている意味がわかった。

 

このショコラの爆発は日に何度も耐えられるものじゃない。

 

解像度が上がりすぎて分子とか見えてきそうだもの。

 

それほど、美味だった。

 

 

 

その後、訪れたのは400年前に創られた、パリ最古のマルシェ

 

アンファン・ルージュ

(Marché des Enfants Rouges)

 

世界中の料理が食べられるほど様々な屋台があり、とても活気のあるマルシェだった。

 

食材だけでなく民藝品などもあり、見ているだけでとてもわくわくする。

 

ケーキやパンを買い、劇場に向かった。

 

 

 

二日目の公演を終えて、演出の杉原邦生さんが仕事の都合で翌日フランスを発つことになっていたので、みんなで食事をした。

 

邦生さんはフランスで日本語を普及させようと活動しているかのようにフランスの方々に対してよく日本語で接していたけれど、往々にしてなんとなく伝わっていて、その様子が面白かった。

 

「まさかパリまで来るとはねー」

と二年前に松本で上演する為に稽古していたときには想像もしていなかった展開を回顧し、一足先に日本に帰るだけだけれど、人はいつ会えなくなるかわからないし、いつだって最後の瞬間になり得るのだという思いのもと、

「邦生さんありがとう」

と邦生さんを拝んだ。

 

店を後にし、陽気な足取りでみんながホテルへと帰る後ろ姿を見て、ピカソやルソー、ヘミングウェイやダリやモネやルノワール、ゴッホやサティなどの芸術家達も、こうやってパリの夜道を歩いていたのかなあ、と想像して、人は生まれて死んでゆくけれど、時の流れには境目が無いのだな、と果てしない気持ちになった。

 

 

 

翌日。

 

千穐楽を迎える日の朝。

 

ばくさんはパリに来ているお姉様とお母様と一緒に観光をするそうで、先に出かけていった。

 

僕はCMのオーディション用の映像を撮って送らなくてはいけなかったので、部屋で撮影。

 

その時は気がつかなかったけれど、今見返すと顔はぱんぱんに浮腫み、声はスナックのママのようにがらがらに嗄れていて、

「これは受からないだろうよ」

と我ながら思った。

 

 

準備を済ませ、今日はのえみさんをお誘いして前日に寝つけなくなるほど心待ちにしていたところを巡る。

 

まず向かったのは

 

マドレーヌ寺院

(Église de la Madeleine)

 

高級ブティック街にいきなりでーん、とギリシャ神殿風の建物が現れ、その光景には柱の影からヘラクレスとかふらっと出てきてもおかしくないような、唐突なギリシャ神話感があった。

 

しかし、中に入るとヘラクレスのことなんて微塵も思い出せなくなるほど、嘘みたいに美しくて豪華な礼拝堂が現れた。

 

他の教会に比べて、彫像や天井画の存在感が強く、それに寄り添うように装飾や配色の調和が取れていて、どこかロマンチックな雰囲気を醸し出している。

 

帰りに売店で、中にマリア様が描かれた薔薇の花の形をしているシルバーのロケットと、鳩の姿が描かれたシルバーのチャームを購入。

 

 

 

 

外に出るとやっぱり少しだけヘラクレスが顔を覗かせたけれど無視し、ロワイヤル通りを南に進み、コンコルド広場に出た。

 

聳え立つオベリスクの向こうにエッフェル塔が見える。

 

そして、空がとても広い。

 

パリには高い建物が少ないので、どこにいても空の存在が大きく、足元まで光が届いていた。

 

その色はどの時間帯も彩度が高く、ぐっと心を掴まれるようにワイルドな印象があった。

 

 

そして、ここへきてようやく気づいたのは、

「パリの街にはライオンモチーフがとても多い」

ということ。

 

僕は獅子座なので、昔からライオンが好きで、ライオンモチーフのアクセサリーや雑貨などを蒐集している。

 

なので、ライオンモチーフの何かが街中にあると、ライオンセンサーが反応して、自動的にそちらに引き寄せられるようになっている。

 

パリの街を散策して、水飲み場の蛇口がライオンだったり、ドアノブがライオンだったり、食器や建物や看板がライオンだったりするなあ、とは思っていた。

 

そして、遂にコンコルド広場で立派なライオンの彫像を発見したとき、ようやく

「これは様子がおかしいぞ」

とライオンセンサーが遅ればせながらも訴えかけてきた。

 

「ありすぎじゃない?」

 

この数日のうちに、普段では考えられないほどのライオンを感知していた。

 

「どうもこれは只事じゃない」

というライオンセンサーの統計を踏まえて調べてみると、皇帝ナポレオンの「ナポレオン」という名前には〈荒野のライオン〉という意味があり、だからパリにはライオンモチーフが多いのだという。

 

それを知ったとき、ばらばらだった伏線が一度に全て回収されるように物語が繋がった。

 

僕はナポレオン・ボナパルトと同じ誕生日なのである。

 

そして、やっていることというか、考えつくこと一緒やん! とナポレオンに全力でツッコミを入れたくなった。

 

「パリは僕を喜ばせてくれているのだろうか?」

と思っていたら、ナポレオンを介して本当にそうだった。

 

 


突然やってきた皇帝気分を味わいながら、僕が子供の頃から訪れたいと夢見ていたところへ向かった。

 

オランジュリー美術館

(Musée de l'Orangerie)

 

子供の頃からクロード・モネの「睡蓮」に魅了されていた僕は、ここに来なければ見ることができない「睡蓮の間」に行くことを夢見ていた。

 

そして、その夢が叶った。

 

 

真っ白な空間を進んで行くと小さな入り口があり、そこを潜り抜けると、どんなに言葉を尽くしても表現しきれないあの色彩に染まる水面が、一面に広がった。

 

三百六十度「睡蓮」に囲まれた部屋に身を置いたとき、自分でも気づかないうちに緊張していた体が蒸発するように和らいで、熱い息が込み上げてきた。

 

更に進むと、なんともう一部屋「睡蓮の間」があり、とても驚いた。

 

二部屋あるとは知らなかった。

 

こちらは水面と共に柳の木が描かれていて、より深い印象を抱いた。

 

どちらの部屋も空間全体に

「この世界に対する願い」

みたいなものが満ちていて、今生きていることを何か大きな存在に許してもらえたような気持ちになった。

 

1918年の戦争が終わった翌日に、フランスに「睡蓮」を寄贈するモネの人柄そのもののような、どこまでも温かく穏やかだけれど、同時にこの世界に対する怒りと哀しみも感じるような、混沌とした安らぎの気配がした。

 

モネはこの部屋の構想をしていた時にこんな文章を残している。

 

「仕事に疲れ切った神経は、そこで、淀んだ水に佇む風景に癒されるであろう。そして、この部屋は、ここで過ごす者にとって、花咲く水槽の真ん中で、安らかな瞑想を行うための隠れ家となるであろう」

 

〈 Les nerfs surmenés par le travail se seraient détendus là, selon l’exemple reposant de ces eaux stagnantes, et, à qui l’eût habitée, cette pièce aurait offert l’asile d’une méditation paisible

au centre d’un aquarium fleuri 〉

 

その通りの場所になり、どれだけの人がここで平穏な心を取り戻し、生きやすくなったのだろうかと思うと尊くて、目の前にある睡蓮がより滲んだ。

 

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その後、階下に降りるとルノワールやセザンヌ、ルソーやモディリアーニ、ローランサン、マチス、ピカソなど、錚々たるメンバーが描いた名画がずらりと並び、モネの「睡蓮の間」のことしか考えていなかった僕は「棚からぼたもち」ならぬ「階下から名画」に喜びを隠せなかった。

 

企画展も面白くて、筋肉質で体格のいい女性がバレリーナのチュチュとトウシューズを身につけて佇む姿を描いた絵画や、パンツ一丁の小さな少年が悪戯っぽい表情で展示室にいたりした。

 

全てを見終わり、売店でモネの睡蓮グッズを爆買いして、美術館を後にする。

 

 

 

ヴァンドーム広場を通り、北へ向かう。

 

途中、アルトサックスで「Take Five」を奏でる少年に出会ったり、アフリカンの方達がドラムを叩きながら何かに対してデモをしていたり、別の日には地下鉄の駅構内で弦楽四重奏のアンサンブルが「チャールダーシュ」を奏でていたりして、パリには生の音楽がとても身近にあった。

 

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お腹が空いて、ムール貝を食べてみたいという僕の希望でムール貝の白ワイン蒸しを食べられるお店に入った。

 

バケツのような大きさの鍋にたっぷりと入ったムール貝と、付け合わせのフライドポテトを交互に食べ、もはや忘れてはならない存在となった"バゲット"を、たっぷりと出汁が出たスープに付けていただいた。

 

心身を満たし、姿勢を正して向かった先は

 

オペラ座 ガルニエ宮

(Palais Garnier)

 

入った瞬間、咄嗟に

「ごめんなさい」

と心の中で謝ってしまうほど圧倒される豪華さで、

「これをひとつひとつ人間の手で…」

と思うと気が遠くなる緻密な装飾に囲まれていた。

 

それと同時に、ここを訪れて舞台を観ることがどれだけ特別なことなのかということを空間が物語っていて、相当な気合いを入れていないと立っていられないような、試されているような感覚になった。

 

金色に煌めき、シャンデリアと天井画と何枚もの大きな鏡で飾られたホワイエの豪華さには目眩がするほどだった。

 

通常は舞台の幕間に休憩する場所だけれど、ここじゃ全然心が休まらない。

 

むしろ疲れるだろう、と思うほどの美しさだった。

 


そして、遂に劇場へ足を踏み込む。

 

「これは舞台に立っている方が見惚れてしまいますね」

とのえみさんと話した。

 

相当出演者に華がないと観客は観てくれないのではないかと思うほど目移りする。

 

天井には、かの有名なシャガールの天井画「夢の花束」とクリスタルのシャンデリアがあり、

「あれをオペラ座の怪人は落としたのか…なんてもったいないことを」

と思いながら見惚れた。

 

ちょっと常軌を逸している豪華絢爛さの中で、シャガールの天井画だけは唯一心の拠り所というか、安らげる柔らかさがあった。

 

その、ミスマッチなようで絶妙な抜け感のあるバランスは、よりこの劇場を特別なものにしていた。

 

〈オペラ座の怪人謎解きゲーム〉的なものを開催していて、みんな怪人のマスクをつけながら劇場内を探検していたので、至る所にオペラ座の怪人がいて面白かった。

 

 

 

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圧倒的な美を浴びて、息も絶え絶えな気持ちで僕らの劇場に向かう。

 

途中でカフェに寄り、心を落ち着かせた。

 

気持ちの良いテラス席で珈琲を飲み、街行く人を眺めていた。

 

とても大柄なフランスの方がいて、

「フランスにも大きな人がいるもんだなあ」

と思ったら弁慶役のリー5世さんだった。

 

美味しそうなハムを置いていたお店で最後のジャンボン・ブールを買い、関係者入り口で審査官に「Bonjour !」と最後の挨拶をして、劇場に入った。

 

 

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千穐楽を無事に終えて、楽屋でみんなで写真を撮ったことまでは覚えている。

 

しかし、その後の記憶がどうしても思い出せない。

 


気がつくと僕は一人で楽屋にいた。

 

ポンピドゥーセンターのスタッフの皆さんに

「Merci beaucoup. A bientôt !」

(ありがとうございます。また会いましょう!)

と挨拶をして劇場の出口に向かうと、出口が閉まって出られない。

 

引き返してさっきまで上演していた劇場の扉を開けようとしても、ロックがかかって開かない。

 


僕はポンピドゥーセンターに閉じ込められてしまった。

 


このまま展示品になってしまうのだろうかと思いながら、みんなに電話をかけた。

 

制作の本郷さんとようやく電話が繋がり、劇場の中にいた通訳のミオさんに連絡してくださり、がちゃっと扉が開いた。

 

「すいませーん!」

と平謝りしながらもう一度劇場の中に入り、先程渾身の

「Merci beaucoup. A bientôt !!」

を伝えた皆さんに、こんなにも早く再会することになり、

「あれ?早かったね」

みたいな顔をされながら、

「今度こそアビエント!今度こそアビエント!メルシー!」

とどたばたと退散した。

 

 

「ボーダーライン、いと厳し」

と呟きながら、最後の越境を済ませ、ホテルに戻った。

 

 

 

シャワーを浴びてさっぱりしてから、バスティーユにあるレストランで、みんなとフランスで最後の晩餐をした。

 

なるべく思い残しの無いように! とメニューにあるフランスっぽい料理をありったけ頼んだ。

 

牛のタルタル、鴨のコンフィ、テリーヌ、パテ、ポワレ、ビーフブルギニョン、タルトタタン、クレームブリュレなどなど。

 

どれもとても美味しかったけれど、衝撃的に一番美味しかったのは本格的な"グリーンカレー"で、なんで? となった。

 

というか、なんで頼んだのだろうか。

 

みんな笑顔で、どこか力が抜けてとろんとしていて、どこを見渡しても幸せな気持ちになる夜だった。

 

 

 

翌日。

 

フランスを発つ日の朝。

 

散歩をしていて気になっていたカフェがあったので、ばくさんとのえみさんをお誘いして、朝ごはんを食べた。

 

僕はふわふわのフレンチトーストを頼んで、珈琲と一緒にいただいた。

 

パリにいる間、ばくさんとのえみさんのおかげでとても楽しい日々を過ごすことができたので、

「ばくさん、のえみさん、Merci!」

と感謝の気持ちを伝えた。

 

併設していたナチュラルマーケットで共演者の大柿友哉さん(大柿くん)が前日に僕らの航空券のチェックインをしてくださったので、お礼に美味しそうなコンフィチュールを買ってホテルに戻り、お渡しした。

 

 

 

ホテルから空港までのタクシーの中で、制作兼字幕操作を担当してくださった堀さん(ホーリー)にフランスの方々へ向けたメッセージをフランス語に翻訳してもらった。

 

〈Merci beaucoup d’être venus voir nos spectacles !! C’était le meilleur séjour. A bientôt !!〉

 

「舞台を観に来てくださりありがとうございます!最高の日々でした。また会いましょう!」

 

 

 

空港に着き、息つく暇もなく飛行機に乗り込む。

 

また生死の境い目が揺らぐ十二時間のフライトが始まった。

 

ぼんやりとした意識の底で、ある夜、フランス語通訳のミオさんとタクシーに乗り合わせたときのことを思い出していた。

 

 

車窓から見えるパリの街があまりにも美しく、うっとりとしてしまって、思わずパリ在住のミオさんに

「やっぱり毎日見ていると、このときめきに慣れるものですか?」

とお聞きしたら、

「全然!いつ見てもときめきます」

と仰った。

 

それを聞いて、

「なんて素敵なことなんだろう」

と感銘を受けた。

 

目を覚まし、扉を開いて外に出かけると、目の前の世界に心をときめかせることができる。

 

それが、どれだけ日々を生きていくことの糧になるだろう。

 

旅は忘れていたことに気づかせてくれる。

 

今自分がいる場所にだって、一歩外に出れば必ず心をときめかせてくれる何かがある。

 

そういうものに目を向けること、感じ取ることを大切に、意識して生きていきたい。

 

いつかそのことを忘れてしまうような日が来たとき、その"意識"に救われる瞬間と出会うだろう。

 

その時まで、死を迎えるまで、この世界にときめいていたい。

 

 

生きているのか死んでいるのかわからなくなる深い眠りの奥底で、そんなことをたぶん思った。

 

 

 

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📷 〈Instagram @ryotarosakaguchi〉


 

2018年の十一月。

 

木ノ下歌舞伎「勧進帳」パリ公演の為にフランスへ滞在しました。

 

パリでの思い出を綴りたいなあ、綴らなきゃなあと思い続けているのに、キーボードを前にすると手が動かず、九ヶ月。

 

どうしてだろうと思っているとき、作家の沢木耕太郎さんが"深夜特急"をお書きになるまで、

「旅から帰ってきて七、八年は書く気になれなかった。書くことによって旅の実感は整理されてしまい重みを失った」

というようなことを仰っていて、この謎の躊躇の理由がわかった気がしました。

 

記憶を記録に変換する作業は、焦点は合っていくけれど、その周りにある境目のない部分に境目を作らなければいけない。

 

でも、記録は記憶を呼び醒ます。

 

体は旅の余韻に浸り続けていたかったのかもしれないけれど、手のひらに乗せた砂が風に舞っていくようにどんどん忘れていくし、遠くなっていくわけで、何がなんでも忘れたくないパリでの日々をようやく文章に起こしたいと思います。

 

 

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「お前はもう死んでいる」

と言われても三秒ぐらいで納得できる、生きているのか死んでいるのかよくわからなくなった十二時間のフライトを終えて、シャルル・ド・ゴール空港へ到着。

 

現地のスタッフの方が空港まで迎えに来てくれて、滞在するホテルまで車で送ってくれた。

 

パリ市内へ行くまで、車窓から見えるフランスの街並みは静謐で、まだ夜の七時くらいなのに人の気配もあまりない。

 

車内ではドライバーさんの趣味なのであろうごりごりの何語かわからないヒップホップが流れていて、その対比が面白かった。

 

ホテルはバスティーユ(Bastille)という街にあり、部屋はとても広くて、キッチンもついていた。

白壁で、床は白樺的なフローリング。

リビングにはソファと丸い机、大きな窓の前には食卓、もう一つ部屋があり、そこはベッドルームだった。

 

僕は共演者の重岡漠さん(ばくさん)と相部屋で、

「いいですねー」

「さながらアパルトマンですねー」

「パリジャン気分」

とか言いながら荷解きした。

 

シャワーを浴びて、先に現地に到着していたスタッフチームと合流して、夜ごはんを食べることになった。

 

バスティーユ広場の近くは賑わっていて、古い映画館やたくさんの店があり、それぞれのネオンの色が混ざり合って、石畳を照らしていた。

 

真っ赤にライトアップされたレストランのテラス席に座り「Santé! (サンテ!)」の合唱でみんなと乾杯。

 

生まれて初めてエスカルゴを食べた。

 

日本ではサイゼリヤでしかお見かけしたことがなく、いつも見て見ぬふりをしていた。

 

「かたつむりさんか」と思ったけれど、たぶん全然美味しかった、と思う。

 

というのも、味が全く思い出せない。

 

「塩の味がした」

ということしか思い出せない。

 

でも、パスタもチーズもバゲットも、全ての料理が美味しかったのは覚えている!

 

橙色の光がふわふわと灯る街を行き交う人々を眺め、聞こえてくるフランス語の会話に耳を傾けながら食事をしていると、やっと

「今フランスにいるんだ」

という実感が湧いてきた。

 

夢みたいだけど本当にいるんだと思うと嬉しくて、それ特有の浮遊感を味わいながら帰路につく。

 

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朝になり目を覚ますと、ここが自宅ではないことに一瞬戸惑い、

「あ、そうや、フランス来てるんや」

と思い直して起床。

 

フライトの疲れか泥のように眠った。

 

深い眠りの向こう側で、隣で寝ているばくさんが部屋を何度かうろうろしていたような気がして聞くと、

「俺寝ながら歩く癖があるみたいなんだよね」

とさらっと言うから、へえー、と納得しそうになったけれど、

「ちょっと待って、それは夢遊病的なあれですか?」

と聞くと、

「でも必ず寝床に戻ってくるらしいから大丈夫」

と妙に自信ありげな表情で仰っていた。

 

そんな話をしながら支度をして、今日は夕方のリハーサルまで、ばくさんともう一人共演者の高山のえみさんと三人でパリの街を冒険しようということになっていた。

 

まず向かったのは、のえみさんが行きたいと仰っていた

 

奇跡のメダイユ教会

(Chapelle Notre-Dame de la Médaille Miraculeuse)

 

この教会のメダイユ(メダル)を持つと奇跡が起こると言われていて、僕も以前からなんとなく知っていた。

 

でも、旅の前に〈パリで行きたいところリスト〉を自分で作成したとき、優先順位的には下というか、まあ行かなくてもいいかなと思っていた。

 

でも、のえみさんがメダイユを買いたいと仰っていたので、じゃあ行きましょう! ということになり、行ってみたらまあ素晴らしくて、ちょうどミサを行なっていた礼拝堂の中の温もりのある神聖さ、そしてメダイユのひとつひとつ美しいこと!

 

メダイユのデザインに一目惚れしてしまい、しかも僕の一番好きな色のメダイユがあり、即購入。

 

奇跡の起きてほしい大切な人達の為にもお土産として買い、

「まだ出会っていないけれど、もしかしてこれから大切な人が増えるかもしれないから」

と謎な未来のことを思って、まだ見ぬ大切な人達の為にも余分に買い、布教かよっていうぐらいのメダイユを買った。

 

 

大満足の一行は教会を後にして、隣にあるデパートの洗練されすぎている食料品売り場で

「この生ハム!」

「うわオイスター!」

「これチョコレート?」

と一通り感嘆したあと、「Poilâne」というパン屋さんで美味しそうなクロワッサンと、大量の金貨が入っている袋を連想させる袋詰めクッキーをカンパニーのみんなへお土産として買った。

 

そして次に向かったのは

 

サン・ジェルマン・デ・プレ教会

(église Saint-Germain des Prés)

 

その後も僕は驚き続けることになるのだが、信じられないぐらい大きくて、豪華で、素敵な教会がパリの街を少し散歩する度にどかどかと出現し、そんな教会に出会う度に静かで安らかな気持ちになった。

 

日本にいるときはこの眩しいほど装飾的な神聖さとはなかなか出会えないけれど、この感じは完全に神社仏閣での居心地と同じだと思った。

 

そう思うと、フランスも日本も世界のどの場所でも人には心の安らぎや平穏の為に祈る場所がある訳で、愛しい気持ちになるというか、それぞれの文化の根源にあるものは等しく同じ人間から生まれたのだなと思い、遠い目になった。

 

 

神聖責め二連続をくらった我々は腹が減り、向かった先は芸術家が集う歴史ある名店

 

カフェ・ド・フロール

(Café de Flore)

 

その後色んな店に行ったけれど、この店のギャルソンの仕事ぶりが一番素敵だった。

 

惚れ惚れするようなホスピタリティから、この仕事、ここで働いている自分に誇りを持っていることが伝わってきて、とても格好よかった。

 

食器やテーブルに敷いてある紙のデザインも美しい。

 

僕はコーヒーとオムレツとオニオングラタンスープを注文した。

 

僕はオニオングラタンスープが大好物で、フランスで絶対に食べたいと思っていた料理の一つだった。

 

結果、今まで食べた中で一番美味しかった。

 

素敵なギャルソンさんに

「C’était très bon.(美味しかったです)」

と伝えると、

「Merci !」と笑ってくれた。

 

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ベーカリーでジャンボン・ブール(Jambon-beurre)を買ってセーヌ川へ。

 

「ジャンボン・ブール」はフランスパンにハムとバターを挟んだ、フランスの人達にとってのソウルフード。

 

日本でいう、たぶんおにぎり的な。

 

シンプルだけどとても美味しくて、滞在中何度も食べた。

 

噂には聞いていたけれど、どの店に行ってもバゲットが当然のように付け合わせとして出てきて、そのどれもが信じられないほど美味しくて、

「フランスパンってこんなにも!」

と感動を覚えるレベル。

 

「何が違うの?魔法なの?」

と思ってしまうぐらい毎回衝撃的に美味しくて、その感動に全然慣れなかった。

 

 

一行はセーヌ川の中州、シテ島の先端、ポンヌフに到着。

 

映画「ポンヌフの恋人」の舞台で、

「ここにドニ・ラヴァンとジュリエット・ビノシュが住んでて!」

「この道で二人がダンスしてて、向こうで花火が!」

と観光客感丸出しにもほどがあるぞという興奮状態で写真を撮った。

 

 

 

 

 

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そして、僕がどうしても行きたいと切望したところへ。

 

それは

 

サント・シャペル

 (Sainte-chapelle)

 

中に入ると、マリアブルーと真紅で彩られた美しくこじんまりとした薄暗い礼拝堂があった。

 

その脇に小さな螺旋階段があり、暗くて窮屈な階段を登っていくと、突然視界が開けた。

 

すると、眩い光と色彩が洪水のように目の前に押し寄せてきて、思わず息を呑む。

 

そして、ほとんど反射的に涙が溢れた。

 

まるで、光が差し込む海の底から、この世界にあるすべての色が投げ込まれてくるのを見ているようだった。

 

それは覚えていないはずの生まれた瞬間のことを連想させた。

 

闇の中から初めて光を浴びて、この世界に登場したときの事を。

 

この礼拝堂に辿り着くまでの過程は、設計士によって全て演出されていたのだということがわかった。

 

人の創り出す果てしない力に畏敬の念を抱かざるを得なかった。

 

 

 

半ば放心状態になりながら、劇場へ向かう。

 

会場はコンテンポラリーアートの殿堂

 

ポンピドゥー・センター

(Centre Pompidou)

 

石造りの街の中に突如鉄骨で作られた工場のような巨大な建物が出現。

 

日本に帰ってきてから友人達に、

「ここで上演してな」

と写真を見せると決まって、

「工事中だったの?」

と聞かれて、

「これはデザ!こういう建物!」

と説明する一連のやりとりが定型文になっていた。

 

関係者入り口でみんなと待ち合わせて、劇場へ。

 

この”関係者入り口”で後々、関所同様の押し問答が繰り広げられることになるとは、その時の僕らは知る由もなかった…。

 

それはさておき、劇場に入るとすでに舞台のセットは出来上がっていて、僕らのスタッフチームと現地のスタッフチームが一緒に作業をしていた。

 

「Bonjour ! Enchanté !(はじめまして)」

 

とこの瞬間の為に何度もシュミったフランス語で皆さんに挨拶をして、楽屋へ。

 

その日は場当たりなどを行い、解散。

 

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夜はみんなでキャバレーへ行った。


クレイジーホース

(Crazy Horse)

 

もともと「クレイジーホース」のドキュメンタリー映画を観ていたので、生で観れるのをとても楽しみにしていた。

 

選び抜かれ、鍛え上げられた女性たちは美しく、神々しかった。

 

ダンスの実力も表現力も素晴らしいし、演出も衣装も芸術的でスタイリッシュだった。

 

ずっと見ていると人間の体の造形に疑問が浮かんでくるというか、どうしてこのデザインになったのか、みたいなことを考えてしまうほど次から次へと登場する体の数々に神秘を感じざるを得なかった。

 

 

その夜。

事件は起こった。

 

バスタブにお湯を溜めて温まり、その後シャワーを浴びていたらどんどん水温が冷たくなっていき、最終的にきんきんに冷えた氷水のような温度になり、「滝行かな?」という状態になった。

 

まあ、よくあることだし、しばらくお湯を出していたら戻るだろうと思い、しばらく待ってみたが、一向にお湯は出てこない。

 

流石にこれは何かの故障だろうと思い、凍えながらフロントに電話した。

 

「お湯が出なくて、確認していただいてもいいですか?」

と伝えると、

「明日の朝になればお湯が出ます」

と言われ、朝? と思い、

「今シャワーを浴びたいので、お湯が出るようにしていただけないですか?」

とお願いすると、

「夜はボイラーが止まるので、朝までお湯は出ません」

と断言されてしまった。

 

「なんとか今少しだけでもボイラーを動かしていただけないですか?」

と訴えても、

「Sorry.」「Désolé.」

と何度か聞こえてくるだけで、どうしようもできなさそうだったので、力なく

「D’accord...(わかりました)」

と呟いて電話を切った。

 

その日から毎晩、ボイラーが止まるまで温められていた最後のお湯頼みで、なるべく素早くお湯を節約しながらシャワーを浴びるように心掛けたが、どうしても最後の最後に体の泡を洗い流すタイミングで、決まってみるみるうちに水になり、「あ゛ーーーっ!!」と心の中で絶叫しながらシャワーを浴びた。

 

 

「修行じゃん…」

とぼやきながら、暖房をがんがんに効かせたベッドルームに退避して、布団に潜る。

 

あんなに朝が来るのを待ち遠しいと思ったことはなかった。

 

蛇口からお湯が出てくる朝を。

 

 

 

翌日。

 

温かいシャワーをちょっと泣きながら浴びて、のえみさんとばくさんと「Merci」というセレクトショップに向かった。

 

店頭には赤くて小さい車があり、洋服から家具、文房具、アクセサリー、化粧品まであらゆる生活用品が揃っていた。

 

日本の製品もあり、なんだか嬉しかった。

 

その後、美味しいガレットを食べて劇場へ。

 

 

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昨日と同様に劇場の関係者入り口から中に入ろうとした時だった。

 

空港の入国審査官的な出で立ちの警備員に行く手を遮られ、

「入り口は向こうです」

と一般入館口へ行くように案内された。

 

完全にポンピドゥーセンターを訪れた観光客だと思われている、と思ったので、

「Je suis un acteur de la compagnie Kinoshita Kabuki. (僕は木ノ下歌舞伎の出演者です)」

と説明したのだけど、

「Non.」

と言われてしまって、いやノンじゃなくて、と思ったけれど、今回は普通手渡されるはずの〈劇場関係者パス〉的な通行手形がなぜか配布されず、「言ってくれれば入れるんで!」みたいなノリだったのに、審査官にチラシや舞台写真を見せて説明しても全然信用してくれない。

 

しまいにはポンピドゥーセンターのホームページに載っている自分の写真を見せて、

「C'est moi!(これ僕!)」

と訴えかけたりした。

 

まさか劇場に入る為に、リアル関所での押し問答みたいなことを上演前にするとは、、と思いながら、フランス語、英語、日本語フル活用で弁慶さながらに訴え続けること数分。

 

「おーん」

という納得したのかしていないのかよくわからない返事と共にゲートは開いた。

 

 

その後も関所を通過するための道は険しく、亀島一徳さん(亀さん)はある日、

「スタバのグランデサイズ没収されたわ…」

と意気消沈して楽屋に入ってきたこともあったし、みんな各々厳しい審査を乗り越えて、なんとか楽屋へたどり着いた。

 

しかし、後半になってくると

「木ノ下歌舞伎というグループがここで演劇をやっているらしい」

ということが認知されたのか、

「Bonjour.」の一言で通してくれるようになり、

「ボーダーライン消失しました!」

と晴れやかな気分になった。

 

 

無事に稽古とゲネプロが終わり、この日の夜は外食せず、スーパーでワインとチーズ、オリーブ、生ハムなどを買って部屋で夕食を済ませた。

 

 

 

翌日。

 

初日を迎える日の朝。

 

お馴染みの三人で、バスティーユで週末だけ開かれるマルシェに出かけた。

 

アンティークの椅子や様々な種類のチーズ、靴やアクセサリー、屋台など、色んな出店がひしめいていた。

 

僕らはそこで、焼きたてのガレットを食べた。

 

「そんなに入れて包めます?」

と思うほど、素敵なムッシュが具をぱんぱんに入れてくれて、そのウエイトは

「いま南瓜持ってるっけ?」

と錯覚するほどだった。

 

 

そして、シテ島に向かい、訪れたのは

 

ノートルダム大聖堂

(Cathédrale Notre-Dame de Paris)

 

思っていたより二倍ほど大きかった。

 

壁の表面はびっしりと彫刻で装飾が施されていて、中に入ると広大な礼拝堂に世界中の国旗が掲げられ、蝋燭の光がそれをぼんやりと浮かび上がらせていた。

 

はるか高くにあるステンドグラスは巨大な万華鏡のように煌めいている。

 

部屋のように細かく仕切られた祭壇がたくさんあり、聖書の一場面を描いた絵画が美術館のように飾られていた。

 

 

 

「訪れたことがあるから」という理由だけではないショックを、四月に起きた火災事故からは受けた。

 

テレビから流れる、燃えるノートルダム大聖堂を見ながら、「地獄」という二文字が浮かんだ。

 

これは現実に起こっていることだ、と頭で理解しようとするけれど、体がついて来ず、呆然としながらもどこかで既視感のようなものを感じていた。

 

「そうだ、9.11の時だ」

と同時多発テロのことを思い出した。

 

燃えるワールドトレードセンターの映像を見ていたときも、この感覚だった。

 

信じられない気持ち。

 

今回のノートルダムの火事では、幸い人の命が失われることはなかった。

 

しかし、やはり人が祈りを捧げる為の建物が燃えたということに深い悲しみを感じる。

 

一度壊れたら、もう二度と同じものには戻らないのだということに、はっとさせられた。

 

気が遠くなるほどの歴史や時間や人生が、一瞬にして無に帰することの残酷さと、それが自然の摂理なのだという当然さを見せつけられた気がした。

 

ただ、どれだけ物質が破壊されようと、信仰は決して損なわれないのだと思うと、暗闇の中で明かりを見つけたときのような気持ちになる。

 

サン=テグジュペリの「星の王子さま」に登場するキツネが、

「いちばんたいせつなことは、目に見えない」

と王子さまに言うように、信仰や思想は各々の心の中に確かに存在するけれど、誰にも奪えず、壊されない。

 

パリを訪れ、”いちばんたいせつなこと”を元に人間達が創り出したものを目の当たりにして、その強さと揺るがなさをより感じた。

 

 

 

 

 

 

そして、いよいよ初日の幕が上がる。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

映画「SUNNY 強い気持ち・強い愛」が昨日から公開されています。



元々オリジナルの韓国版が大好きだったので、出演が決まったときはとても嬉しかったです。


しかも、監督は敬愛する大根仁さん。


大根監督の抜群のセンスでリメイクされ、観ると最高の気持ちになれる素晴らしい日本映画です。



僕は主人公奈美(広瀬すずちゃん)の兄・慎二を演じました。


すずちゃんとは映画「ちはやふる」以来二度目の共演で、この間はライバルでしたが、今回はまさかの家族。


しかも、母はキムラ緑子さん、父は橋本じゅんさん、祖母は三田和代さんという演劇好きにはたまらない、夢のような家族。


昔から皆さんが出演されている舞台を何作も観ている僕としては、並々ならぬ覚悟が必要で、撮影する日は武者震いしました。


もしかしたら、今まで経験した撮影の中で一番緊張したかもしれない。


それぐらい思い入れの強い現場でした。



僕ら阿部家は阪神淡路大震災がきっかけで、兵庫県の淡路島から引っ越してきた一家です。


家の細部までこだわり抜いた美術は素晴らしくて、1995年当時の懐かしい品で溢れていました。



僕の演じた慎二はアニメオタクで引きこもりの青年。


役作りとして撮影前にアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」を全作品見返したのですが、こんなに楽しい役作りはないと思うほど、純粋にエヴァに心酔していました。



カルチャー的なことが盛り上がっていた一方で、1995年は阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、ハルマゲドン、ノストラダムスの大予言などがあり、"引きこもり''という言葉もこの時期から使われるようになりました。


僕は当時5歳でしたが、あの頃のカオティックな雰囲気は鮮明に覚えています。


不安なことやショッキングな出来事がたくさん起こり、慎二のように現実を受け入れられず、心が弱っていた人は少なくなかったと思います。


なので、慎二という役を通して1995年という混沌とした時代を少しでも表現できたらいいなと思い、演じました。


当時しんどい思いをした方がこの映画を観て、笑ってくだされば幸いです。



僕は先ほど満席の劇場でこの映画を鑑賞してきました。(最後のひと席だった!)


鑑賞するのは二度目だけれど、ぼろぼろ泣きました。


劇場内では笑いが起きたり、涙を拭う音がしたり、スクリーンに向かってツッコミを入れる人がいたり、子供が親に質問したり、韓国の方々が観に来ていたりして、映画と同時に劇場内から感じ取れるものがたくさんありました。


これこそ映画館で観る醍醐味だと思います。


是非、劇場でたくさんの方とご一緒にご覧いただき、サニーな気分になってください!







最近とても眠い。

何をしていてもまどろみの中にいるようで、まるで吉本ばななさんの小説「白河夜船」の主人公みたいに一日中眠ってしまう。

白河夜船の主人公は恋人からの連絡にだけぱきっと目を覚ます。

僕はマネージャーからの連絡で飛び起きる。

そこが違うぐらい。


目が覚めて本を読んでも、先行きが気になるのに睡魔が襲ってきて、
「ああ、不可抗力、、」
と思いながら睡魔に屈し、その後目覚めてリベンジしても数ページ読み進めると本の隙間から、
なんか眠くなーい?寝なーい?」
と涅槃像のような体勢で話しかけてくる睡魔に逆らえず、
「くそう、、」
と歯を食いしばりながら眠りにつく、という堂々巡り。


気づけば一日の大半をデカいはんぺんのような白いベッドの上で過ごしていて、そして今はブログを書いている。


ベランダからは「ゲッゲッゲッゲッゲー!」というカエルなのか鳥なのか虫なのかわからない鳴き声が聞こえてきて、怖い。

あまりにも正体不明の声すぎて、ちょっと見に行けない。

「もし、おじさんとかだったらどうしよう」

という、予想外すぎる展開を想像して余計に怖くなり、その場合ちょっと立ち直れそうにないので、やっぱり見に行かないでおこう、と心に蓋をする。


睡魔と格闘しながらとはいえ、川上未映子さんの「ウィステリアと三人の女たち」三島由紀夫さんの「命売ります」又吉直樹さんの「劇場」などを読んだ。


そして、特に心を鷲掴みにされたのは川上未映子さんのエッセイ「きみは赤ちゃん」


読み始めて2ページ目でぼろ泣く、という衝撃。

その後はドラマの現場で訝しげな目で見られるほど声を出して笑い、電車の中で乗客に心配されるほど泣き、読み終えたときは件のはんぺんの上で本を抱えたまましばらく動けずにいた。


当たり前のことだけど、今この世界に存在している人間は皆、女性から産まれてきたのだ。


繁華街の雑踏の中に身を置いたとき、
「ここにいる人全員が女性から産まれてきたのだ」と思うと果てしない気持ちになる。

まるで「宇宙」について考えているときと同じような感覚。

そんな当然のことに改めて感動した。


そして、女性の身体について知らないことが多すぎた。

妊娠してからの身体の変化、精神的なこと、どんな風に出産や育児と向き合っているのか。

知識として知っているつもりだったし、女性の気持ちを想像して接しているつもりだったけど、実際は未知なことが多すぎて驚いたし、反省した。


同じ人間だけれど、男性と女性はほとんど違う生き物だと思って慎重に関わるべきだと思う。

どれだけ思いやっても、本当の実感は絶対に理解し合えないし、理解したつもりになってはいけないと思う。

身体の構造が違うということは、根本的な感じ方が違う。

それはトランスジェンダーやトランスセクシュアルの方々に対しても同様で、「違い」をちゃんと認識した上で、同じ人間としてお互いを思いやり、尊重し、敬意を込めて接することで、ようやく対等に関わる権利や資格みたいなものを得ることができるのではないか。


川上さんは出産や育児の記録をこと細かく、ユーモアを交えて正直に、真摯に綴ってくださっている。

いま生きていること、生きている人達について幸せな気持ちにさせてくださった。


いま僕は大切に思う人達にこの本を配布したい勢いです。

そして、世の中の男性全員に「きみは赤ちゃん」を読んでいただきたい。

僕は、男性は全員フェミニストでいいんじゃないかと思っている。

そのぐらいの感覚でやっと「平等な関係」に近づくのではないかと思う。

僕らが絶対に理解し得ない、子どもを産むことについて、少しでも知っておくべきだと思うし、純粋にこの本を女性以外の性の方に読んでみてほしいと思います。

本当にやばいですから。

産みの親ではないとか、血が繋がっている、いないとか、そういうことではなく、世の中のお母さん達への見方が変わると思う。

ほぼ神やもん。


さて、仕事の話しを。

毎週日曜よる10時30分から日本テレビにて放送の日曜ドラマ「ゼロ 一獲千金ゲーム」に出演します。


僕は今週の日曜日、7月22日放送の第二話から登場する島津という役を演じます。


島津がどんな役なのか、物語とどう絡んでいくのか、是非ご覧いただければと思います。


一千億円を賭けたサバイバルゲームの行方をどうか見届けていただきたい。


よろしくお願いします!


ゼロ 一獲千金ゲーム」の現場については第二話が放送してからじっくり綴ろうと思います。


お楽しみに!