パリ滞在記 -前篇- | 坂口涼太郎 オフィシャルブログ powered by Ameba

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2018年の十一月。

 

木ノ下歌舞伎「勧進帳」パリ公演の為にフランスへ滞在しました。

 

パリでの思い出を綴りたいなあ、綴らなきゃなあと思い続けているのに、キーボードを前にすると手が動かず、九ヶ月。

 

どうしてだろうと思っているとき、作家の沢木耕太郎さんが"深夜特急"をお書きになるまで、

「旅から帰ってきて七、八年は書く気になれなかった。書くことによって旅の実感は整理されてしまい重みを失った」

というようなことを仰っていて、この謎の躊躇の理由がわかった気がしました。

 

記憶を記録に変換する作業は、焦点は合っていくけれど、その周りにある境目のない部分に境目を作らなければいけない。

 

でも、記録は記憶を呼び醒ます。

 

体は旅の余韻に浸り続けていたかったのかもしれないけれど、手のひらに乗せた砂が風に舞っていくようにどんどん忘れていくし、遠くなっていくわけで、何がなんでも忘れたくないパリでの日々をようやく文章に起こしたいと思います。

 

 

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「お前はもう死んでいる」

と言われても三秒ぐらいで納得できる、生きているのか死んでいるのかよくわからなくなった十二時間のフライトを終えて、シャルル・ド・ゴール空港へ到着。

 

現地のスタッフの方が空港まで迎えに来てくれて、滞在するホテルまで車で送ってくれた。

 

パリ市内へ行くまで、車窓から見えるフランスの街並みは静謐で、まだ夜の七時くらいなのに人の気配もあまりない。

 

車内ではドライバーさんの趣味なのであろうごりごりの何語かわからないヒップホップが流れていて、その対比が面白かった。

 

ホテルはバスティーユ(Bastille)という街にあり、部屋はとても広くて、キッチンもついていた。

白壁で、床は白樺的なフローリング。

リビングにはソファと丸い机、大きな窓の前には食卓、もう一つ部屋があり、そこはベッドルームだった。

 

僕は共演者の重岡漠さん(ばくさん)と相部屋で、

「いいですねー」

「さながらアパルトマンですねー」

「パリジャン気分」

とか言いながら荷解きした。

 

シャワーを浴びて、先に現地に到着していたスタッフチームと合流して、夜ごはんを食べることになった。

 

バスティーユ広場の近くは賑わっていて、古い映画館やたくさんの店があり、それぞれのネオンの色が混ざり合って、石畳を照らしていた。

 

真っ赤にライトアップされたレストランのテラス席に座り「Santé! (サンテ!)」の合唱でみんなと乾杯。

 

生まれて初めてエスカルゴを食べた。

 

日本ではサイゼリヤでしかお見かけしたことがなく、いつも見て見ぬふりをしていた。

 

「かたつむりさんか」と思ったけれど、たぶん全然美味しかった、と思う。

 

というのも、味が全く思い出せない。

 

「塩の味がした」

ということしか思い出せない。

 

でも、パスタもチーズもバゲットも、全ての料理が美味しかったのは覚えている!

 

橙色の光がふわふわと灯る街を行き交う人々を眺め、聞こえてくるフランス語の会話に耳を傾けながら食事をしていると、やっと

「今フランスにいるんだ」

という実感が湧いてきた。

 

夢みたいだけど本当にいるんだと思うと嬉しくて、それ特有の浮遊感を味わいながら帰路につく。

 

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朝になり目を覚ますと、ここが自宅ではないことに一瞬戸惑い、

「あ、そうや、フランス来てるんや」

と思い直して起床。

 

フライトの疲れか泥のように眠った。

 

深い眠りの向こう側で、隣で寝ているばくさんが部屋を何度かうろうろしていたような気がして聞くと、

「俺寝ながら歩く癖があるみたいなんだよね」

とさらっと言うから、へえー、と納得しそうになったけれど、

「ちょっと待って、それは夢遊病的なあれですか?」

と聞くと、

「でも必ず寝床に戻ってくるらしいから大丈夫」

と妙に自信ありげな表情で仰っていた。

 

そんな話をしながら支度をして、今日は夕方のリハーサルまで、ばくさんともう一人共演者の高山のえみさんと三人でパリの街を冒険しようということになっていた。

 

まず向かったのは、のえみさんが行きたいと仰っていた

 

奇跡のメダイユ教会

(Chapelle Notre-Dame de la Médaille Miraculeuse)

 

この教会のメダイユ(メダル)を持つと奇跡が起こると言われていて、僕も以前からなんとなく知っていた。

 

でも、旅の前に〈パリで行きたいところリスト〉を自分で作成したとき、優先順位的には下というか、まあ行かなくてもいいかなと思っていた。

 

でも、のえみさんがメダイユを買いたいと仰っていたので、じゃあ行きましょう! ということになり、行ってみたらまあ素晴らしくて、ちょうどミサを行なっていた礼拝堂の中の温もりのある神聖さ、そしてメダイユのひとつひとつ美しいこと!

 

メダイユのデザインに一目惚れしてしまい、しかも僕の一番好きな色のメダイユがあり、即購入。

 

奇跡の起きてほしい大切な人達の為にもお土産として買い、

「まだ出会っていないけれど、もしかしてこれから大切な人が増えるかもしれないから」

と謎な未来のことを思って、まだ見ぬ大切な人達の為にも余分に買い、布教かよっていうぐらいのメダイユを買った。

 

 

大満足の一行は教会を後にして、隣にあるデパートの洗練されすぎている食料品売り場で

「この生ハム!」

「うわオイスター!」

「これチョコレート?」

と一通り感嘆したあと、「Poilâne」というパン屋さんで美味しそうなクロワッサンと、大量の金貨が入っている袋を連想させる袋詰めクッキーをカンパニーのみんなへお土産として買った。

 

そして次に向かったのは

 

サン・ジェルマン・デ・プレ教会

(église Saint-Germain des Prés)

 

その後も僕は驚き続けることになるのだが、信じられないぐらい大きくて、豪華で、素敵な教会がパリの街を少し散歩する度にどかどかと出現し、そんな教会に出会う度に静かで安らかな気持ちになった。

 

日本にいるときはこの眩しいほど装飾的な神聖さとはなかなか出会えないけれど、この感じは完全に神社仏閣での居心地と同じだと思った。

 

そう思うと、フランスも日本も世界のどの場所でも人には心の安らぎや平穏の為に祈る場所がある訳で、愛しい気持ちになるというか、それぞれの文化の根源にあるものは等しく同じ人間から生まれたのだなと思い、遠い目になった。

 

 

神聖責め二連続をくらった我々は腹が減り、向かった先は芸術家が集う歴史ある名店

 

カフェ・ド・フロール

(Café de Flore)

 

その後色んな店に行ったけれど、この店のギャルソンの仕事ぶりが一番素敵だった。

 

惚れ惚れするようなホスピタリティから、この仕事、ここで働いている自分に誇りを持っていることが伝わってきて、とても格好よかった。

 

食器やテーブルに敷いてある紙のデザインも美しい。

 

僕はコーヒーとオムレツとオニオングラタンスープを注文した。

 

僕はオニオングラタンスープが大好物で、フランスで絶対に食べたいと思っていた料理の一つだった。

 

結果、今まで食べた中で一番美味しかった。

 

素敵なギャルソンさんに

「C’était très bon.(美味しかったです)」

と伝えると、

「Merci !」と笑ってくれた。

 

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ベーカリーでジャンボン・ブール(Jambon-beurre)を買ってセーヌ川へ。

 

「ジャンボン・ブール」はフランスパンにハムとバターを挟んだ、フランスの人達にとってのソウルフード。

 

日本でいう、たぶんおにぎり的な。

 

シンプルだけどとても美味しくて、滞在中何度も食べた。

 

噂には聞いていたけれど、どの店に行ってもバゲットが当然のように付け合わせとして出てきて、そのどれもが信じられないほど美味しくて、

「フランスパンってこんなにも!」

と感動を覚えるレベル。

 

「何が違うの?魔法なの?」

と思ってしまうぐらい毎回衝撃的に美味しくて、その感動に全然慣れなかった。

 

 

一行はセーヌ川の中州、シテ島の先端、ポンヌフに到着。

 

映画「ポンヌフの恋人」の舞台で、

「ここにドニ・ラヴァンとジュリエット・ビノシュが住んでて!」

「この道で二人がダンスしてて、向こうで花火が!」

と観光客感丸出しにもほどがあるぞという興奮状態で写真を撮った。

 

 

 

 

 

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そして、僕がどうしても行きたいと切望したところへ。

 

それは

 

サント・シャペル

 (Sainte-chapelle)

 

中に入ると、マリアブルーと真紅で彩られた美しくこじんまりとした薄暗い礼拝堂があった。

 

その脇に小さな螺旋階段があり、暗くて窮屈な階段を登っていくと、突然視界が開けた。

 

すると、眩い光と色彩が洪水のように目の前に押し寄せてきて、思わず息を呑む。

 

そして、ほとんど反射的に涙が溢れた。

 

まるで、光が差し込む海の底から、この世界にあるすべての色が投げ込まれてくるのを見ているようだった。

 

それは覚えていないはずの生まれた瞬間のことを連想させた。

 

闇の中から初めて光を浴びて、この世界に登場したときの事を。

 

この礼拝堂に辿り着くまでの過程は、設計士によって全て演出されていたのだということがわかった。

 

人の創り出す果てしない力に畏敬の念を抱かざるを得なかった。

 

 

 

半ば放心状態になりながら、劇場へ向かう。

 

会場はコンテンポラリーアートの殿堂

 

ポンピドゥー・センター

(Centre Pompidou)

 

石造りの街の中に突如鉄骨で作られた工場のような巨大な建物が出現。

 

日本に帰ってきてから友人達に、

「ここで上演してな」

と写真を見せると決まって、

「工事中だったの?」

と聞かれて、

「これはデザ!こういう建物!」

と説明する一連のやりとりが定型文になっていた。

 

関係者入り口でみんなと待ち合わせて、劇場へ。

 

この”関係者入り口”で後々、関所同様の押し問答が繰り広げられることになるとは、その時の僕らは知る由もなかった…。

 

それはさておき、劇場に入るとすでに舞台のセットは出来上がっていて、僕らのスタッフチームと現地のスタッフチームが一緒に作業をしていた。

 

「Bonjour ! Enchanté !(はじめまして)」

 

とこの瞬間の為に何度もシュミったフランス語で皆さんに挨拶をして、楽屋へ。

 

その日は場当たりなどを行い、解散。

 

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夜はみんなでキャバレーへ行った。


クレイジーホース

(Crazy Horse)

 

もともと「クレイジーホース」のドキュメンタリー映画を観ていたので、生で観れるのをとても楽しみにしていた。

 

選び抜かれ、鍛え上げられた女性たちは美しく、神々しかった。

 

ダンスの実力も表現力も素晴らしいし、演出も衣装も芸術的でスタイリッシュだった。

 

ずっと見ていると人間の体の造形に疑問が浮かんでくるというか、どうしてこのデザインになったのか、みたいなことを考えてしまうほど次から次へと登場する体の数々に神秘を感じざるを得なかった。

 

 

その夜。

事件は起こった。

 

バスタブにお湯を溜めて温まり、その後シャワーを浴びていたらどんどん水温が冷たくなっていき、最終的にきんきんに冷えた氷水のような温度になり、「滝行かな?」という状態になった。

 

まあ、よくあることだし、しばらくお湯を出していたら戻るだろうと思い、しばらく待ってみたが、一向にお湯は出てこない。

 

流石にこれは何かの故障だろうと思い、凍えながらフロントに電話した。

 

「お湯が出なくて、確認していただいてもいいですか?」

と伝えると、

「明日の朝になればお湯が出ます」

と言われ、朝? と思い、

「今シャワーを浴びたいので、お湯が出るようにしていただけないですか?」

とお願いすると、

「夜はボイラーが止まるので、朝までお湯は出ません」

と断言されてしまった。

 

「なんとか今少しだけでもボイラーを動かしていただけないですか?」

と訴えても、

「Sorry.」「Désolé.」

と何度か聞こえてくるだけで、どうしようもできなさそうだったので、力なく

「D’accord...(わかりました)」

と呟いて電話を切った。

 

その日から毎晩、ボイラーが止まるまで温められていた最後のお湯頼みで、なるべく素早くお湯を節約しながらシャワーを浴びるように心掛けたが、どうしても最後の最後に体の泡を洗い流すタイミングで、決まってみるみるうちに水になり、「あ゛ーーーっ!!」と心の中で絶叫しながらシャワーを浴びた。

 

 

「修行じゃん…」

とぼやきながら、暖房をがんがんに効かせたベッドルームに退避して、布団に潜る。

 

あんなに朝が来るのを待ち遠しいと思ったことはなかった。

 

蛇口からお湯が出てくる朝を。

 

 

 

翌日。

 

温かいシャワーをちょっと泣きながら浴びて、のえみさんとばくさんと「Merci」というセレクトショップに向かった。

 

店頭には赤くて小さい車があり、洋服から家具、文房具、アクセサリー、化粧品まであらゆる生活用品が揃っていた。

 

日本の製品もあり、なんだか嬉しかった。

 

その後、美味しいガレットを食べて劇場へ。

 

 

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昨日と同様に劇場の関係者入り口から中に入ろうとした時だった。

 

空港の入国審査官的な出で立ちの警備員に行く手を遮られ、

「入り口は向こうです」

と一般入館口へ行くように案内された。

 

完全にポンピドゥーセンターを訪れた観光客だと思われている、と思ったので、

「Je suis un acteur de la compagnie Kinoshita Kabuki. (僕は木ノ下歌舞伎の出演者です)」

と説明したのだけど、

「Non.」

と言われてしまって、いやノンじゃなくて、と思ったけれど、今回は普通手渡されるはずの〈劇場関係者パス〉的な通行手形がなぜか配布されず、「言ってくれれば入れるんで!」みたいなノリだったのに、審査官にチラシや舞台写真を見せて説明しても全然信用してくれない。

 

しまいにはポンピドゥーセンターのホームページに載っている自分の写真を見せて、

「C'est moi!(これ僕!)」

と訴えかけたりした。

 

まさか劇場に入る為に、リアル関所での押し問答みたいなことを上演前にするとは、、と思いながら、フランス語、英語、日本語フル活用で弁慶さながらに訴え続けること数分。

 

「おーん」

という納得したのかしていないのかよくわからない返事と共にゲートは開いた。

 

 

その後も関所を通過するための道は険しく、亀島一徳さん(亀さん)はある日、

「スタバのグランデサイズ没収されたわ…」

と意気消沈して楽屋に入ってきたこともあったし、みんな各々厳しい審査を乗り越えて、なんとか楽屋へたどり着いた。

 

しかし、後半になってくると

「木ノ下歌舞伎というグループがここで演劇をやっているらしい」

ということが認知されたのか、

「Bonjour.」の一言で通してくれるようになり、

「ボーダーライン消失しました!」

と晴れやかな気分になった。

 

 

無事に稽古とゲネプロが終わり、この日の夜は外食せず、スーパーでワインとチーズ、オリーブ、生ハムなどを買って部屋で夕食を済ませた。

 

 

 

翌日。

 

初日を迎える日の朝。

 

お馴染みの三人で、バスティーユで週末だけ開かれるマルシェに出かけた。

 

アンティークの椅子や様々な種類のチーズ、靴やアクセサリー、屋台など、色んな出店がひしめいていた。

 

僕らはそこで、焼きたてのガレットを食べた。

 

「そんなに入れて包めます?」

と思うほど、素敵なムッシュが具をぱんぱんに入れてくれて、そのウエイトは

「いま南瓜持ってるっけ?」

と錯覚するほどだった。

 

 

そして、シテ島に向かい、訪れたのは

 

ノートルダム大聖堂

(Cathédrale Notre-Dame de Paris)

 

思っていたより二倍ほど大きかった。

 

壁の表面はびっしりと彫刻で装飾が施されていて、中に入ると広大な礼拝堂に世界中の国旗が掲げられ、蝋燭の光がそれをぼんやりと浮かび上がらせていた。

 

はるか高くにあるステンドグラスは巨大な万華鏡のように煌めいている。

 

部屋のように細かく仕切られた祭壇がたくさんあり、聖書の一場面を描いた絵画が美術館のように飾られていた。

 

 

 

「訪れたことがあるから」という理由だけではないショックを、四月に起きた火災事故からは受けた。

 

テレビから流れる、燃えるノートルダム大聖堂を見ながら、「地獄」という二文字が浮かんだ。

 

これは現実に起こっていることだ、と頭で理解しようとするけれど、体がついて来ず、呆然としながらもどこかで既視感のようなものを感じていた。

 

「そうだ、9.11の時だ」

と同時多発テロのことを思い出した。

 

燃えるワールドトレードセンターの映像を見ていたときも、この感覚だった。

 

信じられない気持ち。

 

今回のノートルダムの火事では、幸い人の命が失われることはなかった。

 

しかし、やはり人が祈りを捧げる為の建物が燃えたということに深い悲しみを感じる。

 

一度壊れたら、もう二度と同じものには戻らないのだということに、はっとさせられた。

 

気が遠くなるほどの歴史や時間や人生が、一瞬にして無に帰することの残酷さと、それが自然の摂理なのだという当然さを見せつけられた気がした。

 

ただ、どれだけ物質が破壊されようと、信仰は決して損なわれないのだと思うと、暗闇の中で明かりを見つけたときのような気持ちになる。

 

サン=テグジュペリの「星の王子さま」に登場するキツネが、

「いちばんたいせつなことは、目に見えない」

と王子さまに言うように、信仰や思想は各々の心の中に確かに存在するけれど、誰にも奪えず、壊されない。

 

パリを訪れ、”いちばんたいせつなこと”を元に人間達が創り出したものを目の当たりにして、その強さと揺るがなさをより感じた。

 

 

 

 

 

 

そして、いよいよ初日の幕が上がる。

 

 

つづく