じぶんのなかにいる母親
新たな1歩を踏みだすとき、ぼくたちは決まって躊躇(ちゅうちょ)してしまう。
でもそれは、けっして不甲斐(ふがい)ないからではない。
人間が身を守る大切な本能が息づいている。
じぶんのなかにいる母親が、
○○ちゃん、危ないからやめときなさい。
転んだらどうするの?
失敗したらどうするの?
ふつうに生きてくれればいいのよ。
と、教えてくれる。
むしろ、その能力は失ってはいけないもの。
ただし、じぶんを形成するたいせつな何かは、その声を聞いてどうするのか、にある。
でもそれは、けっして不甲斐(ふがい)ないからではない。
人間が身を守る大切な本能が息づいている。
じぶんのなかにいる母親が、
○○ちゃん、危ないからやめときなさい。
転んだらどうするの?
失敗したらどうするの?
ふつうに生きてくれればいいのよ。
と、教えてくれる。
むしろ、その能力は失ってはいけないもの。
ただし、じぶんを形成するたいせつな何かは、その声を聞いてどうするのか、にある。
先生(せんせい)
先生って言われるんだね、演技講師をしていると。
先生ってガラじゃないからさ。
名前で呼んでくれない?
って、最初のころは言ってた。
でも、そうすると言いづらくなっちゃうんだね。
社長、とか部長、とか主任、とか先生、って、
声をかけやすいんだ。
年齢が離れていても、それだけで敬っていることになるからね。
個人的には、現場で”監督”って呼ばずにあいての名前を呼びたいけど。
共演者と同じで、どういうひとなのかが演技に影響してくるから、
でもそれが、もしあいての思うところじゃないのなら。
よく知らないときは、みんなと同じように呼ぶべきなんだろうね。
先生ってガラじゃないからさ。
名前で呼んでくれない?
って、最初のころは言ってた。
でも、そうすると言いづらくなっちゃうんだね。
社長、とか部長、とか主任、とか先生、って、
声をかけやすいんだ。
年齢が離れていても、それだけで敬っていることになるからね。
個人的には、現場で”監督”って呼ばずにあいての名前を呼びたいけど。
共演者と同じで、どういうひとなのかが演技に影響してくるから、
でもそれが、もしあいての思うところじゃないのなら。
よく知らないときは、みんなと同じように呼ぶべきなんだろうね。
いちど戻る勇気
演技を教えているうえで一番のやっかいは、間違ったアプローチをしてしまっている場合だ。
たいていは、じぶんの成長を信じて走りつづけるものだが、いったん道に迷うと、成功に近づくどころか逆にどんどん遠ざかってしまう。
そんなときは、いちど戻ってこなければならない。
しかし、その非効率に堪えられず、迷子のまま出口を探そうとするなら、講師は無力だ。
これはモデルやアイドルをかじったひとに多い 。
そのうえ、へたにキャリアがあるともう、ひとの話しを聞けなくなってしまう。
気持ち的に耳をふさいでやり過ごそうとするなら、かける言葉はない。
だってじぶんの人生は結局、じぶんで責任を負うしかないのだから。
たいていは、じぶんの成長を信じて走りつづけるものだが、いったん道に迷うと、成功に近づくどころか逆にどんどん遠ざかってしまう。
そんなときは、いちど戻ってこなければならない。
しかし、その非効率に堪えられず、迷子のまま出口を探そうとするなら、講師は無力だ。
これはモデルやアイドルをかじったひとに多い 。
そのうえ、へたにキャリアがあるともう、ひとの話しを聞けなくなってしまう。
気持ち的に耳をふさいでやり過ごそうとするなら、かける言葉はない。
だってじぶんの人生は結局、じぶんで責任を負うしかないのだから。