リアボックスとサンダー
仕事でも利用するため、リアボックスを取り付けようと購入したが、それを乗せるキャリアというフレームが必要らしい。
それらがようやくが揃(そろ)い、くっつけるには、タンデムバーを外さなくてはならない。お気に入りだったのだが仕方ない。
左右のビス穴にあてがうと、今度はキャリアにボックスを固定したビスが下のリアカウルに当たる。ボルトカッターかグラインダー(サンダー)で短くしないと。また次にしよう。
それらがようやくが揃(そろ)い、くっつけるには、タンデムバーを外さなくてはならない。お気に入りだったのだが仕方ない。
左右のビス穴にあてがうと、今度はキャリアにボックスを固定したビスが下のリアカウルに当たる。ボルトカッターかグラインダー(サンダー)で短くしないと。また次にしよう。
大太鼓(おおだいこ)としてのクライマックス
オーケストラは、バランスを抜きには成立しない。大太鼓が楽曲中一度しかないからといって、自分のクライマックスだと張り切ってしまえばどうか。
観客が期待し、思い描いていた全体像はガラガラと崩れ、良く解らなくなり、やがて興味を失うだろう。
その音はもちろん悪目立ちするのだが、それを指揮者は(自分のイメージに確固たる自信がなければ)指摘できない。
かれらは心の奥底で、常に自分のそれを超越(ちょうえつ)して欲しいという本能があるからだ。そしてそのキャパシティがあるからこそ、カリスマであるとも言える。
だがそれは、自分の小さなイメージに封殺(ふうさつ)することでは決してない。創造は限られたフィールドの中で、最大限にのたうち回ることで産まれることもある。
ホームラン競争が、野球を超えるときは永遠にやって来ないのだから。
観客が期待し、思い描いていた全体像はガラガラと崩れ、良く解らなくなり、やがて興味を失うだろう。
その音はもちろん悪目立ちするのだが、それを指揮者は(自分のイメージに確固たる自信がなければ)指摘できない。
かれらは心の奥底で、常に自分のそれを超越(ちょうえつ)して欲しいという本能があるからだ。そしてそのキャパシティがあるからこそ、カリスマであるとも言える。
だがそれは、自分の小さなイメージに封殺(ふうさつ)することでは決してない。創造は限られたフィールドの中で、最大限にのたうち回ることで産まれることもある。
ホームラン競争が、野球を超えるときは永遠にやって来ないのだから。
これはスポーツではない。
チャンスが一度きりなのは、なにも本番ばかりではない。稽古場にはそれより長(た)けた目が、きみのその覚悟を伺(うかが)っている。
繰り返すための自由が何度もあるなんて、この中のだれか口にしたか? 演出家が粘り強いのは、全員の自由を奪(うば)ってでも解消すべきボトルネックに出くわしたからだ。
実の場合、舞台演技は格闘技と同じか、それよりももっと深刻だ。誰かが一方 的に打ちのめされても、割(わ)って入るレフェリーはいない。これはスポーツではないからだ。
しかし真(しん)の理由はそれではない。
喰(く)らったダメージに打ちのめされるのは、きまって研ぎ澄まされている演者、演出家、観客等。
ボコボコにされる俳優はたいていがパンチドランカーで、タオル投入も気づかず、あまつさえ勝ち名乗りを受けているかのよう。
観客はブーイングの許されない雰囲気の中で、静かにその席を立つほかはない。だが、それだけは決してさせてはならない。
繰り返すための自由が何度もあるなんて、この中のだれか口にしたか? 演出家が粘り強いのは、全員の自由を奪(うば)ってでも解消すべきボトルネックに出くわしたからだ。
実の場合、舞台演技は格闘技と同じか、それよりももっと深刻だ。誰かが一方 的に打ちのめされても、割(わ)って入るレフェリーはいない。これはスポーツではないからだ。
しかし真(しん)の理由はそれではない。
喰(く)らったダメージに打ちのめされるのは、きまって研ぎ澄まされている演者、演出家、観客等。
ボコボコにされる俳優はたいていがパンチドランカーで、タオル投入も気づかず、あまつさえ勝ち名乗りを受けているかのよう。
観客はブーイングの許されない雰囲気の中で、静かにその席を立つほかはない。だが、それだけは決してさせてはならない。