渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -288ページ目

画面のサイズ

役者が画面のサイズを気にして、スタッフに反感を持たれることがあって、ぼくもむかし目撃した。現場によってはサイズをルーズ(遠く)にされる、目の前でなにかをナメる(物を入れ込む)といったことがある。

もちろんその俳優は作品を思って行動に移したのだろうが、相手には信用していないというように映(うつ)ったのだ。
これは演じ手にはまったくない発想で、ぼくらはむしろ、そんなに簡単に画(え)を変えても大丈夫なの? と戸惑う。

スクリーンの内と外では違う。見えない部分を想起(そうき)させることはとても大切だが、それを踏まえてもちゃんと収まるべきパーツもある。

カメラマンは映し込むのが仕事だから、それを邪魔されたくない。必要であれば勝手に撮る。被写体に意識されたくないのは自然の論理だ。
いっぽうで役者側も本来は気にしたくない。それこそ気が散る。

初めてのセッションで、お互いをよく理解しないうちはよくあることだ。だけど作品をよりよくすることに一生懸命なのはどちらも変わらない。

頭が固い?

映画のオーディション。シェイクスピアのマクベスをモチーフにしていて、すでに主人公は決まっている。どこの企画かは、まだ言えない。

海外の監督がバイリンガルの主役を介(かい)し、説明してくれる。状況は解った。何人かの候補が集まっていて、ほかの日にもやるらしい。
映画の出演経験を尋(たず)ねられたが、あまり重視していないと話していた。ほかに聞くこともないんだろう。

どのみち、監督と俳優ならセッションするのが一番早い。

主人公の根っからの親友。数分のシーン。ところどころにキーワードがあって、それを機(き)にシーンが進む。ノーカット。
昔なら監督の顔色を伺(うかが)い手を繋ぐことに腐心(ふしん)したが、いまは経験則(けいけんそく)がある。

自分が面白いと思ったことを感じられない監督の作品は、たいていが素晴らしくならない。それは世間の評価というよりも、あくまでも自分の感覚だから仕方ない。
そしてぼくはといえば、それだけの研究を続けている自負(じふ)を持つしかない。

頭が固いとだれかが言っても、べつに気にしない。それだけのことをしているし、最終的に自分が面白いと思わなければ、参加する価値も、いや資格さえないだろう。

魔裟斗(まさと)

先日のエキシビションマッチが終わったあと、カメラの前で魔裟斗(まさと)が対戦相手の愛弟子(まなでし)HIROYAに対し、こんなようなことを言っていた。

『練習中は自分が一番弱いと思って励(はげ)め。試合中は自分が一番強いと思って戦え』

じつは舞台上でも、同じことが求められている。ただぼくが言っても、ぼんやりとしか受け取られないことが多い。または、きょとんとされる。まだまだ、それだけの存在ではないね。