渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -241ページ目

映画『のび太の“新”宇宙開拓史』

当時観たなあ、小学生だったころ。たしか『のび太の恐竜』の次だったかな。

遅れて入っても映画は繰り返しやっていて、その頃は途中から観て、観たところまで確認してから出ていったという。そんな昔が思い起こされる。


今回は声優陣も一新(いっしん)されて、タイトルに“新”が添えられている。

声が違うと違和感があるのは、おれも同じ。小学生の女の子は親の言葉を聞いたのか、昔の声優陣のほうがよかったという。


最近のアニメは(まぁほとんど観ないのだけど)画風が似通っている。『ヤッターマン』なんかもやけに小奇麗で、光のテイストがほかと同じ。全部PCで作業されているからか。


そのむかし、母親はセル画に色をつける仕事をしていた。あらかじめ指示された通りに、裏から絵の具をザックリ塗って一見(いっけん)下手に見えるのだが、表から見るとツヤツヤしてなんだか綺麗だったのを覚えている。

それにしてもリメイクを見ていると、当時の台詞やサブキャラクターまでが同じで感激してしまう。


と同時に、世代が確実にひと回りしたのを否応(いやおう)なく突きつけられる。まわりの子供も大きくなってきた。

ぼくはシンクロする。

今、自宅には二人の子供がいる。従姉妹の娘、次女。そして弟の息子、長男。おれと同じ長男。

女の子は何歳でもとてもよく喋る。無口な長男に水を向けてもところ構わずだ。

そんな社交的な子に幼いころ、憧れていた。いや劣等感を持っていた。だが女の子の方は、愛されたい欲求がこちらにまで届いてむしろ可愛いものだ。

男の子は。。。相変わらず喋らない。おとなしいのではなく、じぶんと一緒なのだ。けれど大人たちはこう呟いてしまう。


『おとなしいね』


それはこどもをいたく傷つける。

おとなしい訳じゃないのだ。女の子が多弁(たべん)なのだ。

しかし不躾(ぶしつけ)なそのキーワードが、さらに男の子をそうさせる。ことばにはその影響力がある。男の子はそれを知らない。口にした大人もそれほど頭を回していたのでもない。

ぼくはかれにシンクロする。

賀正(がしょう)

毎年年末年始になると、我が家には親戚の子供たちが遊びに来る。

遊びに来る、とはいうものの、やっていることと言えば、”NintendoDS(ディーエス)”。

そして映画鑑賞用に契約しているCATVは、アニメで占拠(せんきょ)される。

ぼくもGAME好きで“Wii”も出してあげたいのだが、あまりの熱中度に空(そら)恐ろしくなり、却(かえ)って封印されている。