渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -239ページ目

身体(しんたい)

こういう言葉をみつけると、抽象的でどこかとらえどころのない。遠巻きに眺(なが)めていたい気になる。


ひとはときに、理解不能な言動(げんどう)にでる。たとえば、好きなひとの前では『内面』が活発になる。ぐるぐるとなにかが渦巻(うずま)く。

もしかしたらところどころ、突然マグマが地表に現れるよう突飛(とっぴ)な行動をするかも知れない。

ラブコメでよくあるパターンだ。そうした状況はつまり、


身体がそういう状態になっているために、起こり得(う)る。


つまり自分がそうなろうと努力するしないにかかわらず。

かつ演技として結果的に同じ完成型を目指してはいる。が、解釈として、個人的にいままでに開いた多くの書物とは異なる導(みちび)き出し方だった。

ふだんの情報が、欧米よりになっているからかも知れない。

たいていは設定があり目的をはっきりさせ、突き進む。途中には多くの葛藤や障害が現れ。。。


すべての言動を言葉にすることは、ひとを頭でっかちにさせる。

でもだからといって、とっさの理解不能な行動を許可すると、とたんに演技を抽象化させるリスクを負(お)う。


今回のWS(ワークショップ)では、そのときに手繰(たぐ)られるべき1本のロープ、を手にした気がした。

優しく接しているのに~(その2)

それともうひとつ。


相手のためになにかしてあげることが、とても好きなひとがいる。

なにかにつけプレゼントをあげたり、手助けをしてあげたり。



でもそれが、かならずしも相手の望みでなかったりする。


ほんとうに優しいのなら、まず相手がなにを欲しているのかを知ろうとすること。

なにかをしてあげる気持ちの良さに、酔ってはいけない。


そのちいさなギャップが、じつは多くの悩みを生じさせている発端(ほったん)なのかもしれない。

優しく接しているのに~(その1)

そうこうしていると、なんとなく解ってきた。2つ。


ひとつ目は、相手に対しての+(プラス)要素ばかり覚(おぼ)えていること。


逆に相手への-(マイナス)要素で相殺(そうさい)されている。どころか迷惑をかけていることには、無頓着(むとんちゃく)だったりする。


たとえば10日のうち9日間、とても優しく穏やかでいられたとしても、あと1日は癇癪(かんしゃく)を起こすひとがいれば。


いつ落ちるかも判らない雷を気にしながら、だれがかれの優しさを享受(きょうじゅ)できるだろうか。