身体(しんたい) | 渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ

身体(しんたい)

こういう言葉をみつけると、抽象的でどこかとらえどころのない。遠巻きに眺(なが)めていたい気になる。


ひとはときに、理解不能な言動(げんどう)にでる。たとえば、好きなひとの前では『内面』が活発になる。ぐるぐるとなにかが渦巻(うずま)く。

もしかしたらところどころ、突然マグマが地表に現れるよう突飛(とっぴ)な行動をするかも知れない。

ラブコメでよくあるパターンだ。そうした状況はつまり、


身体がそういう状態になっているために、起こり得(う)る。


つまり自分がそうなろうと努力するしないにかかわらず。

かつ演技として結果的に同じ完成型を目指してはいる。が、解釈として、個人的にいままでに開いた多くの書物とは異なる導(みちび)き出し方だった。

ふだんの情報が、欧米よりになっているからかも知れない。

たいていは設定があり目的をはっきりさせ、突き進む。途中には多くの葛藤や障害が現れ。。。


すべての言動を言葉にすることは、ひとを頭でっかちにさせる。

でもだからといって、とっさの理解不能な行動を許可すると、とたんに演技を抽象化させるリスクを負(お)う。


今回のWS(ワークショップ)では、そのときに手繰(たぐ)られるべき1本のロープ、を手にした気がした。