渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -243ページ目

できればキラキラしたものを。

やっぱり読んだときに、シナリオがキラキラしてないと。

あとから演出や演技でなんとかできると考えるのは、少し傲慢(ごうまん)な気がします。

カナヅチのスイマー

できない理由を一生懸命語られても困る。だからなんだ?

自信のないスケーターはリンクに入らなければいい。
泳げないのに競泳に参加されても、まわりが困惑するだけだ。

たとえまれでも、日本にだっていい作品といい俳優が出会うケースはある。
自分をその環境に身を置くのに、確率論は意味がない。

日本の俳優は1つの役しかできない。

ある監督と話をしていて、こんなことを言われた。


『日本の俳優は1つの役しかできない』


これを聞いて、素直な感想だな、と感じた。と同時に、なんか今までのことで思うところが多かった。


映画のオーディションに行くと、ストーリーや求められる役柄を提示されないことがほとんどだから。当初はかなり戸惑った。はっきり言って、なにをしたらよいか判らないのだ。

今までに演じたキャリアに触れられ、役に要(い)るのかどうか定かでない特技についてアピールし、まぁその中で仲良くなって結果、合わなかったねと言われる。


いったい、何に?


素朴に、そういうつかみ所のない答えにとまどう。もちろんオーディション時に求められるものをすべて把握する必要はないとも思う。
が、少なくともキャラクターを俎上(そじょう)には出したい。その上でおいしくないとか、それじゃないと言われるならまだ解るのだが。

それに対する答えのひとつが前述の台詞なのだろう。


でもそれは当然だ。日本では俳優よりも、稼ぎのよいCMやバラエティタレントが生き残る。
彼らにとっては多くのキャラクターを演じるよりも、なにかひとつ傑出(けっしゅつ)した存在でいることが生命線だ。

これは善し悪しではない。そして彼らがその流れで俳優と名乗るのも自然な流れなのだ。