渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -166ページ目

滑舌が悪い、という質問について

滑舌(かつぜつ)については想定できる理由が多すぎる。


まず緊張していて、呼吸も浅い。

そして身体での響かせ方が解らない。

結果的に声がこもる。


または、単純にセリフを言いたくない。



ほかにも技術だけではどうにもならない、先天的にうまく喋れないひとがいる。

かつてはじぶんもそうだった。

ぼくは左右の鼻の通りを分ける鼻中隔(びちゅうかく)が曲がっていて、治療したら格段によくなった。

または舌が短いとか、かみ合わせが悪いとか。

耳が悪くてじぶんの声が聴こえにくい、なんてのまである。


ただ考えてみて欲しいのは、滑舌が良ければ良いほど素晴らしいセリフになるのかな。

いくら素晴らしい美声を持っていても、観客のこころに届かない歌手や俳優はゴマンといる。



お勧めなのは君のことをよく知っている先輩に、どうしたらよくなるのか? を具体的に教えてもらうこと。

どこが悪いかなんて、素人でも言える。

じゃあ、どうすればいいのかを考えるのがプロ。


同業者の先輩なら、きっと経験からいいアドバイスをもらえるんじゃないかな。



気持ちのこもった演技ができないことについては、また後日。

筆者たちの悲痛

いま、読んでる台本があるんだけど。


いい台本ってなんだろうね。


文章を生み出すのはだれだってできる。

現在は、だれもがBlog(ブログ)を書いている。


たしかにキャラクターやシーンを設定したりするのは劇作家の役目だけど、それだけではなく、たまに心の動く本がある。

小説なんか好きなひとは解るんじゃないかな。


ただ台本はそのほかいろんな要素が加わって成立するものだから、この段階ではある意味スカスカとも言える。

だから実際、台本を読むのが苦手なひともいる。

でもこれは書かない部分を決めているから作家にはじゅうぶんだし、役者にとってもじゅうぶん。

もしカラオケで歌う旋律までできあがっていたら、マイクを持つ必要もない。


ふだんからそんな読み方をしているから、マッチした台本を眺めるとひじょうに読みやすい。


それに裏の部分を見るのは人間の生きるための本能であって。


たとえば、たまにBlog(ブログ)を流し読みしていて、



楽しいです! 嬉しいです! 幸せです!



なんてあると、じぶんには



もっと楽しくなりたい! もっと嬉しくなりたい! 幸せになりたい!



っていう、筆者たちの悲痛さを感じることがある。



・・・って、深読みしすぎかな。

シーソーの真ん中らへん

ファミレスで台本を読んでる。テーブルが広いし、ドリンクバーが充実してるし、ある程度騒がしいのでかえって落ち着く。

夕食時になると家族連れも増え、とくに3人兄弟の5人組にはつい見入ってしまう。

うちの両親なら、もうじぶんの年齢では高校生を抱えていた。


振り返れば、まだ結婚もしていないし、子供ももちろんいない。

やりたいことを続けて悔いはないが、願わくば両方欲しいと願う。


学生のころ、物欲もなく、本能的ななにかが欠けている欠陥品だと感じていたじぶんとはえらい違いだ。

俳優にとってはいちばん大切な要素なので、いつか気づいたときにかなり焦(あせ)った記憶がある。

それがいまは家族が欲しいだなんて、人並みで笑えてしまう。


ドラマとは人間が変化していくこと。


不幸ばかり背負っていたり、幸せばかり噛みしめているひとにはとうてい演じられない。

そんなことはとうのむかしから理解しているはずなのに、たまにひどくしんどく感じる。


シーソーの真ん中に立って、どちらも触れずに気を使っているような。