渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -165ページ目

WS(ワークショップ)講師としての感想

もしかすると俳優として露出している人びとは、かならずしもほかより演者として優れていないかもしれない。

まず、そうした疑問を持っていない。

だからTVに出ているくらいになれば、出演できると考えている。


もし演技という基本的な能力が高ければ、ドラマという作品自体がもうすこしコンテンツとして海外に売れているだろう。


日本における、アメリカや韓国とおなじかそれ以上に。



プロであれば、ではなぜそうなのか、という研究とともに、時代に風でいつでも帆をはらませる準備をしていなくてはならない。


なぜならじぶんを表現するときに、風がないと不満を言うのではなく、どの風が欲しいのかを知っていたほうがおそらくいい。

感情のこもった演技をするには、という質問について

先日、感情のこもった演技ってどうやればいいのか? という質問をいただいたのですが。



そもそも感情のこもった演技、ってなんでしょうね。

あなたは本当に、そのシーンでそれをしなければいけないのですか?


じぶんのそうしたイメージを、まずはなんども疑ってみるべきです。



感情がこもれば、本当にそのシーンは素晴しい演技になるのですか?

そしてそれはどんな感情なのですか?

その感情がこもるのはナゼですか?


ちゃんと具体的に捉(とら)えられていますか?



どのような状態なのかぼくに判るすべもありませんが、もしただ漠然(ばくぜん)と感情をこめていたら、観客はとうぜん混乱するだけでしょう。



最後に、おそらく感情は、セリフにこめるものではないと思いますよ。

講師としてのスタンス

なんどか演技の講師をしていて、すこし慣れてきた感覚がある。

あらゆる方法のなかで、初め、じぶんのスタンスが分からなかった。

演出側なら、それぞれのなかでじぶんのやりたい画(え)を求めればいい。

というか、一例としてそうして欲しいと思う。


同業者であれば、現場に行くまでの準備が必要だろう。

現場での瞬発力は、バットを振り続けた人間にしか備(そな)わらない。

だが、たいていの場合、知らないひとほどじぶんの準備は他人と負けていないという変なプライドがある。


かれらは演技を判断する基準を持っていない。


だから不足や渇望(かつぼう)に鈍感なのだ。


または不安を抱き続けることで、安心しきっていることに気づいていない。



今回で3,4回目になるが、やっていくとどんなコミュニケーションをするのかは自然に湧き上がってくるものだった。