渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -118ページ目

春がきた瞬間

なんだかきのうから春が始まった気がしますね。

雨もぬるくなって、これならなんとかなりそうです。


毎年、思うのですが。



春がきた瞬間って、アッ! て判りますよね。



厳しい冬を過ごしているうち、無意識に春を待ち焦がれているのか。

それとも本当に、たった一日で春はやってくるものなのか。



話は変わって現在、投資の勉強をしているのですが。

両手を広げたくらいのたくさんの書籍と格闘しながら、実際にPCの前で実践していると、あるときアッと気づくことがあります。

投資なんて、たいていのひとから見たら漠然とした、わざわざ不安をかかえる作業ですから、ふつうはなにかをつかまえる前に退散することがほとんどだそうです。


でも、実際に痛い目をたくさんみて。


辞書みたいな昔の、どこかの国の人の本をたくさん読み込んで。


雲をつかむような毎日を続けていると、前進する瞬間があるんです。


今だ! って。


いわゆる成長曲線ですよね。

徐々には進歩しない。

けど、あるときググッと伸びる。


もちろん春だと思ったら、またすぐに寒い冬に逆戻りすることもある。


けれど、おおくの経験を経(へ)てじぶんの成長を信じられると、いろいろと行動範囲が広がるものです。


ぼくも俳優なんて、夢みたいな職業を選びましたけど。


やれば、なんとかなるもんですね。


いずれにしろ、成長曲線がググッと立ち上がるまで、頑張らなきゃいけないですけどね。



霧の中だからといって歩くのをさぼっても、誰も何も言いません。

必要ならじぶんが行動するだけ。


最初からだれかが助けてくれるわけじゃないですから。

6分の1の確率

投資の勉強をしていると行動心理学のほかに確率論なんかの書籍も溜まってきます。


答えの決まっていない挑戦は、ひとによってはすべてギャンブルと思われがちですが、単なる博打(ばくち)ばかりではありません。

女性を口説くときに勇気は必要ですが、そう呼ばれることは少ないように。


ところで、なにか災難が続くと、ぼくたちはすぐに運の悪さを嘆きます。

そしておそらく幸運の女神に愛されたひとはこんな思いをしないのだろうなぁ、と天を仰(あお)いで羨(うらや)ましがります。

こちらの芝が荒れているのは、運命なんだと確信します。

だれかが、人生いいことと悪いことは五分と五分だよ、なんて口にしようものなら、けっ、なんで悪いのが続いていることがいいことを運んでくるんだよ! と罵(ののし)りたくもなります。


でもサイコロを振ったときに、6の出る確率はだれもが6分の1。

たしかに運が良ければ10回中10回は6が出るかかもしれません。

しかし長い目で見れば、だいたい同じ結果になります。

投資でもじゃんけんでも100回やってすべて負けるのは困難なのです。


そういう目で見れば、運が悪いというときはじつは単なるケアレスミスだったり。準備不足だったり。

それに試験範囲の一部にヤマをはっただけで、それを運不運というのでは、あまりに運がかわいそうというもの。


そもそも幸運なら当たり前、不運はながらく恨まれる分(ぶ)の悪い存在です。


こうしていろいろ解ってくると、ぼくのはそう運の悪い人生ではないようです。

投資と演技

このふたつはとてもよく似ている。

ひとの心理や思惑、本能がすべてさらけ出される場所。

おおくのひとが憧れ、そのほとんどが退場し、まただからこそリターンもすくなくはない。


ただ違うことと言えば、ぜんぶの責任がじぶんにあるということ。


世界情勢がこうなのに、このチャートはない! とまで、無理矢理責任転嫁するひともいるらしいが、じっさいにはみずから損を負わなければならない。

シンプルなだけに、他人を介する余地がない。

その点も気に入っている。


孤独で、だれにも当たれない場所だ。