渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -117ページ目

なにものでもない。

学生のころ、ぼくはなにものでもなかった。


現在なら、日本中の俳優から優秀な人材を募り映画を撮るということになっても、先駆者を尊敬はするがとくに臆(おく)しはしないだろう。


しかし所属していた中学野球部が地元の1回戦を突破するのすら、ぼくは信じることができなかった。


ほんとうに努力しているひとには足かせになっていたに違いない。


ぼくは二世でもないし、まわりに芸能に携わるひとは皆無だった。

考えてみれば、俳優を志すこと自体がぼくにとって逃避であり、たまたま出会い頭の衝突で身体が動き喋(しゃべ)れるようになったようなものだ。


あらゆる情報網が世界を縮め、その恩恵により今回ぼくは発見されたわけで。

学生時代の同級生は、ぼくを変わったと言うだろう。

現在のぼくを知っているひとは、学生時代を信じてくれないかもしれない。



ひとによってはおおげさに聞こえるだろうが、ルーツに出合ってこようと思う。


学生のころ、ぼくはなにものでもなかったのだ。

北の国から

年末にTV放送されてから、シナリオを手に入れて読んでみた。

情景やかれらのことがどんどん伝わってきて、ふだんからTVの安直な説明台詞に違和感を感じていたぼくは、そうそうこうでなくっちゃ、とひとり感動しながら読み進める。


ちなみに設定や世界観が不足して、単なる説明不足な数多(あまた)の台本も氾濫しているのはたしかで。

映画が終わったあと、ぜんぶは説明しないのであとは観客自身が考えてください、とそのまま放り出す制作者の無責任さを感じることも多い。


そうしてDVDを借りて、観てみる。


現在、見てみるとまるでホームビデオのような画質。

ワイドテレビに対応しているはずもなく、なにもしなければ横に伸びる。


だけど、なんなんだろう。


このキャスティングの絶妙さは。



富良野に息づくひとびとが本物に思えて。



たいていはTVのバラエティやCMにおおく露出しているタレントを起用するのが、当たり前のこの日本で。

楽曲でさえ、タイアップで作品とはおよそ関係のないイメージを平気で持ち寄るその傲慢さが。


少なくともこの作品には、ない。


これは出資者の長期的なビジョンがきわめて優れているのか。

はたまたクリエイター側の努力の成果なのか。


この作品にタレントの匂いを持ち込む俳優がいたら、その時点でなにをやっても嘘になる。

それに出演者の、台本の読み込みの深さ。


直接的な説明台詞がないぶん、その思慮深さが滲(にじ)みでてかれらのチャーミングさが倍増している。


生成(きな)りのセーターにニスを塗りたくりピカピカで綺麗だと言ってしまえるようなひとびとにも、かれらを見て人間の本物の魅力に気づいて欲しい。

ドキドキして欲しい。


ひとつ後悔したのは、台本を読んでからDVDを見たこと。


なにしろ、たいていの映画やTVドラマは原作にはかなわない。

時間制限やいろいろな制約に縛られているせいかもしれないが。


これは、知らないで見たほうがよかった。

それくらい、演出、出演者がよかった。


日本の作品が世界で一番、優れているんじゃないかとさえ思えた。

同窓会連絡

生誕40周年を機に、中高と両方の同窓会連絡がきた。

それぞれ今月の土曜日で、ちょうど1週間ずれている。


現在は落ち着いたものの、いままでに10回は引っ越したから近所に幼なじみはいない。

地元ではいまも交流があったり、成人式のときに集まったりしていたらしいが。


卒業アルバムにあるこちらの住所はとうのむかしに無効となり、どの住所が載っているのかもはやおぼえていない。


だれがどの学年で、どのクラスでどこのひとなのか。。。


それほど途中で学校は代わらなかった記憶があるが、そもそもじぶんがどの学年のときどの住所にいたのか、そもそもどの地域の人間なのか、じぶん自身の情報が曖昧なのだ。

東京生まれなので、地方に実家があるわけでもない。