風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -50ページ目

旧約聖書によれば、人間は同じ言葉を話していたとされている。「ノアの洪水」後の話だ。

石の代わりにレンガを作り、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れた人間は、天まで届く塔を建てようとして神の怒りを買った。神は人々の言葉を分けた。言葉が通じなくなった人々は、その地から散っていった。


ブリューゲル「バベルの塔」
Pieter Prueghel (1525-1569)

こうしてエホバは彼らをそこから地の全面に散らし、彼らはその都市を建てることからしだいに離れていった。
それゆえにそこの名はバベルと呼ばれた。そこにおいてエホバは全地の言語を混乱させたからであり、エホバは彼らをそこから地の全面に散らされた。

(創世記11:8-9)

僕たちの母国語は日本語だ。だから言葉は理解できる。当然のことながらすべての意味もわかる。
けれど、届かない言葉と通じない思いがある。

伝えたいことを言葉にする。思いを形に換える。
しかし、様々なことが相まって100%きれに変換されないのもまた言葉だ。

相手との関係性や己の性格もあるだろう。
受け取る側もまた同じことが言える。そのせいか誤解や曲解も起こりうる。

何より言葉は意思であり、感性が発するものだからニュートラルとは言い難い。

ふとした瞬間、自分の周りには日本語の響きを持つ異国語を話す人が多いということに、僕たちは気づかされる。
だからこそ、言葉が通じる者同士を馬が合うというのだろう。

僕が書き殴る言葉たちは、君に通じているのだろうか。
僕は君の言葉を、心から理解できるだろうか。

僕は君と、ダンスを踊れるだろうか。
そう、ひとりきりじゃダンスはうまく踊れないから。

井上陽水/ダンスはうまく踊れない



JWordクリック募金


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村



腕時計を気にしながら駅へ急いでいると、そう、僕は30秒に一回ぐらいの忙しなさで時計を見る。そんなとき、唐突に、そう、まさに唐突に、長針がピョンと進んでいることがあって慌てる。

そんなことないだろうか。
その原因はきっと、この世には時間がゆっくり流れる場所と早く流れる場所があるからに違いないと僕は思っている。

僕はそれを知っているから、頻繁に時計を見るのだ。

時というのは、誰にも等しく流れるわけではないことはわかっている。楽しい時間はすぐに過ぎて、退屈な時間は長い。そんなことじゃない。
それとは根本的に違う何かが、この世には隠されている。

それじゃあ、世界中の人達の時計が違ってくるはず?
ううん、誰にも気づかれないように、こっそり合わせてるに違いない。
それはきっと、時計の神様の仕業。

そしてそれは、人の気分が落ち着いて、時計をあまり気にしない時に限られるだろう。

ほら、君の腕時計、今、ちょっと戻ったよ。
明日は晴れるといいのに。

とまどうペリカン/井上陽水



JWordクリック募金


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村


価値観(かちかん、英:sense of values)とは、何に価値があると認めるかに関する考え方。

価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となるものの見方。

ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断。

─Wikipediaより─

好む食や衣服もそうだし、金銭感覚や趣味、ライフスタイルそのものも価値観の違いで様々だろう。
価値観は物事の優先順位にも現れる。

価値観の違いは埋まるのだろうか。
いや、それは無理な気がする。
無視するか、妥協するしかないだろう。

これをきれいな言葉に言い換えると、歩み寄る、だろうか。

僕は仕事に最大の重きを置く人が好きではない。
仕事なんて生活のためのツールにすぎないと考えるから。

ただし、これは自分と同じ仕事に限定される。
全く違う仕事なら、プロフェッショナルとして尊敬するし、興味もある。

なぜ同じ仕事の人が嫌いなのか。
僕は仕事人間ではない。かといって、のらくらしているわけでもない。
だから、多くの人間と噛み合わない。

仕事人間は仕事が第一だ。善悪も仕事を中心に考える。仕事にプラスなら善。マイナスなら悪だ。
だから、世間的な不正も組織ぐるみで堂々と働く。
そんな人間は屑だ。

仕事に関しては、僕は誰にも歩み寄らない。
君はどうだろう。


JWordクリック募金


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村



君が緑で、僕が青で、あの人は赤。
個性があって楽しいね。話が弾んで嬉しいね。



でも、人はすべてのことを分かり合えたりなどしない。
だって、その部分こそが自分なのだから。

人は少し分かり合えて、少し孤独が正しい。


JWordクリック募金


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村

忙しさにかまけて、8月15日もそれらしいブログを上げられなかった。
調べてみたら、終戦記念日に合わせて、掲載中の小説を中断して「翳(かげ)りゆく愛に」を再アップしたのは2年前だった。

時間があれば何かできるのかといえば、そうでもなかったりする。けれど、時間がなければできないことも多い。

小説が書きたいと強く思うのだけれど、時間がない。
いや、本当にそれは時間がないからなのだろうか。自分でもよくわからないけれど、ブログを上げるのが精一杯なのは偽りのない話だ。


霊的に見て、あなたにとって何がいちばん望ましいかは、あなた自身には分かりません。
もしかしたら、あなたにとって最も嫌なことが、実は、あなたの祈りに対する最適の回答であることもありえるのです。


─シルバーバーチ─


ミケランジェロ作/ピエタ像

磔から降ろされたイエスと、その亡骸を抱くマリア。
イエスは何を示そうとしたのだろう。母マリアは何を祈ったのだろう。

みなさんにとって、明日が良い日でありますように。

JWordクリック募金


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村


幼い命を死に追いやった、裁けぬ殺人とは? 街路樹伐採の反対運動を起こす主婦、職務怠慢なアルバイト医、救急外来の常習者、飼犬の糞を放置する定年退職者……小市民たちのエゴイズムが交錯した果てに、悲劇は起こる。

残された新聞記者の父親が辿り着いた真相は、法では裁けない「罪」の連鎖だった! モラルなき現代を暴き出す、日本推理作家協会賞受賞作、待望の文庫化!



風の強い日、母親の押すベビーカーに乗った2歳の幼い男の子が、倒れてきた街路樹に命を奪われる。
新聞記者である父親は、その犯人を探し始める。
けれど、すべては罪に問えない些細なことの連鎖で起こった殺人だった。

いいも悪いも含め、設定や登場人物の描き方の強引さは貫井徳郎らしかったです。
貫井徳郎の描き方は、大相撲で一本背負いをするような強引さがあります。

それに、貫井徳郎は難しい言い回しが好きです。
けれど、何かに迫っていく、あるいは追い詰められていく、そんなときの描写はかなり上手い作家さんです。僕は好きですね。

分厚い本なので探しませんが、団塊の世代のことを書いた一行があったのです。
そうだよな。そうなんだよ。その共感が「団塊の世代に物申す」を書かせました。

読み終わってから気がつきました。腰が酷く痛いという理由で飼犬の糞を放置する定年退職者が、団塊の世代をモデルにしていることに。

倒れたのは、糞の溜まったその木だったのです。もちろん、糞のせいで根が腐ったとかの話ではありません。
でも、話の始まりは糞だったのです。

誰もが犯しうるマナー違反、モラルに反すること。
なかなかおもしろかったです。

でも、599ページは分厚すぎた。


JWordクリック募金


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村



夏らしくない天気が続いている。
お休みだった昨日もとても怪しい天気だったけれど、自転車で公園に向かった。

長居はできないだろうと、ボトルの缶コーヒーはやめて微糖の缶コーヒーを飲みながらタバコに火をつけた。

すると、ポケット代わりに羽織っているベストの左胸に衝撃が。
ハッと見るとアブラゼミだった。

そっと掴んで分かった。弱っているのだ。
死期を迎えたセミを植え込みにそっと置いた。羽も傷んでいる。それでも草を這い上がろうとしている。

セミだから、せめて木の幹で死なせてあげたい。でも、掴む力ももう無いだろう。

セミの抜け殻は木の幹だろうと葉っぱの先だろうと、ずっとくっついている。
それはやはり、若々しい生の力なのだろうか。

読書が一段落したら、試しに木の幹に捕まらせてみよう。無理かもしれないけれど、できるだけイガイガしたところを探して捕まらせてみよう。土の上でひっくり返って死なせるのはかわいそうな気がする。
僕は活字に目を落とした。

雨がふらなければ一気に読み終えてしまいたい。
貫井徳郎の「乱反射」、分厚い文庫本だった。
幸い雨もふらず読み終えた。感想はまた後日にでも。

そしてセミを探したら、いなくなっていた。
飛び立った気配もないのに、どこにもいなかった。

短い間とはいえ、あんなに自由に空を飛んでいたセミも、地面に落ちて死ぬ。

業なかばで倒れてもよい。
そのときは、目標の方角にむかい、その姿勢で倒れよ。

司馬遼太郎が描いた坂本龍馬の言葉として語られていますが、まあ小説ですからね、本当ではないでしょう。

司馬遼太郎の小説は面白いです。
でもあれを、歴史の真実と受け取ってしまうと大間違いを起こします。

ただ、歴史に埋もれていた坂本龍馬という男を発掘したのは司馬遼太郎です。彼が描かなければ、坂本龍馬はマニアックな人だけが知る人物だったでしょう。

それはまるで、歴史に埋もれ忘れ去られていたオルレアンの乙女「ジャンヌ・ダルク」をナポレオンが蘇らせたのに似ています。

とりとめのない話になりました。




JWordクリック募金


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村


団塊の世代の定義にはいくつかあるようだ。1947年(昭和22年)から1949年(24年)の間に生まれた人たちとするものもあれば、1947(昭和22年)から1951年(26年)とするものもある。

団塊の世代とは、確か堺屋太一の書いた小説の造語だったと記憶している。

その世代も、70歳を目前にしている。達している人達もいるだろう。

はっきり言おう。僕はあなた達が好きではない。
若い頃は「戦争を知らない子供たち」だ。
何を言ってるんだ。知る努力を放棄するな、と僕は思う。

何しろ数が多いから競争にさらされてきた世代だ。それが強い競争意識と闘争心に現れているのだろう。

バブルでも美味しい思いをした世代だろう。
給料が高かったから、年金も多いはずだ。
それを支える世代は汲々としているのに。

そのせいだろうか、この世代は態度がでかい。
拝金主義だから、カネを払うほうが偉いと思っている人たちだ。
僕は何度、カチンと来ただろう。それはまあ、男の人だけれど。

それに、犯罪率が高いと言われるあなた方世代に、今時の若者は、などと批判する資格はない。
それは僕達の世代が担おう。

しかし、何事にも例外というのは存在する。
僕のブログにムッとした人は、明らかに僕が攻撃対象とした人たちだ。
なんとも思わない人は、良識あるマイノリティに違いない。

ムッとしたひと達にこの言葉を送ろう。
衣食足りて礼節を知る
ムリかなあ…頭どんどん硬くなってるだろうし。

もうひとつ気になることがある、団塊ジュニアはどうだ。
ひょっとして、モンスターペアレントと呼ばれた世代ではなかろうか。
給食費を払わなかった世代ではなかったろうか。

だとするならば、団塊の世代は二度にわたって秩序を崩壊させたことになる。
確かでないことに関して迂闊なことは書けないけれど。


JWordクリック募金


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村


いつだったろう。6月ぐらいのことだろうか。仕事帰りにホームに向かう通路を急いでいた。
すると、遠目にもわかる妙な光景が……。

階段の途中で座り込んでいる男性がいるのだ。階段を椅子代わりに座る姿は、明らかにおかしい。
混み合う電車だから通路もごった返す。その割に幅のあまりない階段だ。その途中で座っているのは異様だ。皆が避けながら昇り降りをしている。

階段に近づくにつれて状況が見えてきた。
両腕を前に伸ばして腰を浮かそうとしている。それがうまくいかないのだ。
要は、立ち上がろうとして立ち上がれなくなっているのだ。

どうしよう。僕は腕時計を見た。時間がない。
階段を上がり始めた。どうしよう。それでも僕は迷っていた。

その時だった。階段を降りてきた女性が、タタタと走りより声をかけたのだ。
それに一拍遅れるように、階段を上がる男性が進路を変えて声をかけた。

立ち上がれなくなった男性は、多分60代の後半ぐらい。小太りでゴルフウェアのようなものを着ていたろうか。
麦わら素材の、ソフト帽をかぶっていたような気がする。

お礼を言いながら苦笑していたから、意識ははっきりしている。お酒の飲み過ぎだろう。

その横を、僕は通り過ぎた。当然のことながら、電車の時間を気にした己を恥じて。

さっきのことだ。改札を通り、家路を急いでいた。
すると、柱の横で座り込む男性が。柱に背を預けているならまだしも、柱の横で体育座りのようにして腰を下ろしている。

この態勢は妙だな。

この時、階段で座る男性のことが思い浮かんだ。

みんな気にしているようだが行き過ぎる。その中で一人の男性が立ち止まった。そして振り返って見ている。
けれど歩き去ってしまった。

僕は迷わず声をかけた。男性の年齢は70代ぐらいだろうか。
「大丈夫ですか?」
反応は鈍い。その時僕は気がついた。おもらしをしていることに。
あ、お酒だな。僕はそう判断した。飲みすぎたのだ。

「大丈夫ですか?」顔を近づける。けれど反応が鈍い。
「立ち上がりますか?」男性は初めて反応を見せた。

僕は後ろに回り込んで両脇に手を入れて立ち上がらせた。
男性は柱に手をついた。

「歩くのが大変そうだったら、あそこに腰掛けたほうがいいですよ」
腰を掛けるといってもベンチではない。半径の違うパイプが段違いに並んだものだ。

「ありがと」男性の声がした。

あそこに腰掛けた方がいいなんて口にして、手を引くわけでもなくその場を離れた。

「偽善者」
僕の中の僕が嘲(あざ)笑ったような気がした。

駅を出て、広場を過ぎてマツキヨの前を過ぎる。
銀行を過ぎて前方の交差点の信号を見た時にふと思った。

あれ? あの人酒臭くなかったんじゃないか?
歩みを緩めた。引き返すべきだろうか。
いや、ありがと、と声にした。具合が悪いのなら違う反応があるはずだ。

それに、あれほど人がいるのだ。大丈夫だ。
僕は信号に向けて再び早足になった。

「偽善者」

スーパーで買物を終えた僕が、ずっと苦い顔をして歩いていたのは言うまでもない。
僕はしょせん偽善者にすぎないのだと思い知った、そんな夜。


JWordクリック募金


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村


今となれば、遥かに遠い昔話のように思える。

楽しい思い出になるはずだったものは、フラッシュバックに形を変えて僕を襲う。

時の流れとともに、僕はいろんなことを忘れたに違いない。でも、それにもまして、いろんなことを覚えているのだから。


J WALK/何も言えなくて・・・夏



JWordクリック募金


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村