旧約聖書によれば、人間は同じ言葉を話していたとされている。「ノアの洪水」後の話だ。
石の代わりにレンガを作り、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れた人間は、天まで届く塔を建てようとして神の怒りを買った。神は人々の言葉を分けた。言葉が通じなくなった人々は、その地から散っていった。

ブリューゲル「バベルの塔」
Pieter Prueghel (1525-1569)
こうしてエホバは彼らをそこから地の全面に散らし、彼らはその都市を建てることからしだいに離れていった。
それゆえにそこの名はバベルと呼ばれた。そこにおいてエホバは全地の言語を混乱させたからであり、エホバは彼らをそこから地の全面に散らされた。
(創世記11:8-9)
僕たちの母国語は日本語だ。だから言葉は理解できる。当然のことながらすべての意味もわかる。
けれど、届かない言葉と通じない思いがある。
伝えたいことを言葉にする。思いを形に換える。
しかし、様々なことが相まって100%きれに変換されないのもまた言葉だ。
相手との関係性や己の性格もあるだろう。
受け取る側もまた同じことが言える。そのせいか誤解や曲解も起こりうる。
何より言葉は意思であり、感性が発するものだからニュートラルとは言い難い。
ふとした瞬間、自分の周りには日本語の響きを持つ異国語を話す人が多いということに、僕たちは気づかされる。
だからこそ、言葉が通じる者同士を馬が合うというのだろう。
僕が書き殴る言葉たちは、君に通じているのだろうか。
僕は君の言葉を、心から理解できるだろうか。
僕は君と、ダンスを踊れるだろうか。
そう、ひとりきりじゃダンスはうまく踊れないから。
井上陽水/ダンスはうまく踊れない
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