風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -144ページ目

さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、
神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。

─創世記第6章1~2─

その子供たちはネフィリムと呼ばれる巨人になって人の悪が地にあふれました。そこで神は洪水を起こしました。いわゆるノアの方舟のお話です。
しかし、巨人がいたなら発掘されていても良さそうですが、そんな情報はありません。

この「神の子ら」が誰かについては説がいくつかあります。
●堕落した天のみ使い(天使)たち。
●人間の権力者や支配者。
●アダムが属する教会の人たち。人の子とはそれに属さない人たち。
●神を信じたセツの子孫で邪悪なカインの子孫と結婚してできた者たち。
「*どちらもアダムとイブの子です。神を信じるセツの子孫と、神を信じないカインの子孫がいて、それぞれが結婚してできた者たちということです」

諸説があるということは、実は分かっていないということで、これを爬虫類人「レプティリアン」と読んでしまえばスッキリします。約10万年前です。
ちなみにアヌンナキも進化をして、人類を奴隷として扱うのをやめ、その後に来たのがレプティリアンとグレイだといわれています。

人類が長く奴隷となっていたのに、さらに今現在もそうだと言われてもいるのに、神は何もしないのでしょうか? 救いの手は差し伸べないのでしょうか?

しません。なぜなら〝唯一の存在〟〝在りて在るもの〟は観察者だからです。
だから、神に向かって祈ることには実は何の意味もありません。教会に通うことも、朝晩祈りを捧げることも、崇拝することも赦しを請うことも、無意味なのです。
しかし神が確かに存在することを信じ、愛することには大いに意味があります。

〝唯一の存在〟は魂を宇宙に送り出しました。しかし、いつまで待っても魂たちは帰ってきません。〝唯一の存在は〟あらゆる事を試しました。そしてそのキーワードを見つけました。それは「愛」だったのです。
愛を添えて送り出した魂たちはやがて帰ってきたからです。

神は存在するものであり、冷たい言い方をすれば傍観者です。私たちが何をしようと諫(いさ)めたり、罰を下したりしません。一切文句を言いません。滑り台を登って階段を下りることをひたすら繰り返そうと、レゴを頭に載せて遊ぼうと、お人形を振りまわそうと、「それは遊び方が違うよ」と干渉したりはしません。
なぜなら〝唯一の存在〟は宇宙のあらゆる魂に自由意志を与えたからです。
もしも〝唯一の存在〟の思い通りに操れるとしたら、魂たちが思う存分探求する機会を妨げることになります。
だからこそ選択の自由を与えたのです。
選択の自由が与えられたということは、何をしても罰せられることはないのです。このことからも、特に旧約聖書に描かれる姿は、神とは遠く離れた別物だということが分かります。


ヘミシンクの生みの親であり、体外離脱者である故ロバート・A・モンローは、著書の中で神をこう書いています。

●我々が人間として生きている限りは、我々の理解を超えている。
●我々もその一部として参与している進行中のプロセスの設計者である。
●我々の理解の及ばないようなことにも、目的を持っている。
●右(横書きのため、上)のプロセスにおいて、必要に応じて調節。微調整を行う。
●万人、万物に適用される単純な法則を定める。
●崇拝も賛美も、おのれの存在を認めることも要求しない。
●「悪」や「あやまち」を罰しない。
●我々の人生での行いに関して、勧めたり妨げたりしない。

ロバートモンロー著 「究極の旅」 (日本教文社)

僕にはね、未だに理解できないことがあるんだ。
その反応にびっくりするのさ。
言ってみようか。

「痩せた?」

僕はきっと具合でも悪くしたんじゃないかと心配して口にするんだ。でも、これに喜ばなかった女性がいないんだよ。
僕には分からない。理解できないんだよ。

何年前だろう、TVでやってたことがある。男に意見を聞くってやつ。
そしてその意見は僕と一緒だった。そら見たことかと僕はガッツポーズを作ったよ。
その答えは、女性はふくよかなほうがいいって答えた若い男が多かったって事。

何処の誰だい?
女性をガリガリにさせて儲けようって魂胆を抱いてる奴は。女性は青い袋のアイスじゃないんだよ。

君は君らしくいよう。君の基準が絶対正しいとは限らない。それはどこかの誰かに押しつけられてはいないかい? もっとしっかり自分を持ってごらん。

基準を教えてあげよう。だらんと下ろした腕の二の腕の内側を指先でリズミカルに触ってごらん。
つきたてのお餅のようにぷるんぷるんしてたら合格。ちょっとでも筋とか骨に触ったらアウトだ。

あ、お医者さんに注意されるぐらいの状態なら、健康のために頑張ってみるのもいいよ。
でも、君はどう見てもその範疇じゃない。

君の腕に我が子を抱く強さと柔らかさを。頬に我が子の頬を撫でるすべらかさを。足に命を背負って立つ強さを。

君は女だということを忘れてはいけない。男なんてちっぽけな生き物を蹴り飛ばす強さがあることを忘れてはいけない。
でも、それを出しちゃだめだよ。
最終兵器は使わないものさ。だからこそ最終兵器たり得るんだ。


岩崎宏美 「マドンナたちのララバイ」




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人類の創世に関しては、ゼカリア・シッチンというパレスチナの考古学者であり言語学者である人が、古代シュメール文明の粘土板に刻まれた古文書を解読しています。
シュメール文明とは、メソポタミア(現在のイラク)南部バビロニアの南半分の地域に突如現れた、現在確認されている世界最古の文明です。〝くさび形文字〟と聞けば思い出すかも知れません。
この文明が異様なのは、言語、人種、文化共に、他の文明と何らの関連性がなく、その知識となるベースも見あたらないということです。まさしく突如現れた文明なのです。

さて、シッチンによれば、太陽系には長大な楕円軌道を描き、3600年周期で太陽の周りを公転している、ニビルと呼ばれる惑星があるそうです。
44万5000年前、そのニビルから知的生命体「アヌンナキ」が地球にやって来ました。
彼らの故郷である惑星ニビルは大気と地熱が失われつつあり、それを守るために黄金の粒子でシールドを創る必要があったそうです。しかしニビルでは黄金はほとんど採掘できないため、目をつけたのが黄金の豊富な地球だそうです。

しかし、発掘の作業があまりにも過酷なので、下級労働者が反乱を起こしました。そこでアヌンナキは地球の猿人に遺伝子操作を施して人間を創り出した、としています。要するに奴隷として人類を創りだしたのです。約30万年前です。
古代シュメール人はこのアヌンナキを神と崇めました。

アヌンナキとは何者かと言えば、プレアデスがアセンションする際、ポジティブとネガティブが紛争を起こし、敗れて追放されたのがアヌンナキだと言われています。
ただし、オリオン座近くの惑星エササニに住み、近年盛んにコンタクトをしている宇宙人「バシャール」はプレアデスの祖先がアヌンナキだとしています。
しかしそれは重要なことではありません。太古の話であり、人類を創ったのはアヌンナキである、というメッセージは一致しているからです。

バシャールは人類のレベルに近い宇宙人と言えるでしょう。しかし、その情報量は人類をはるかに超えています。人類の近未来の姿が、このバシャールでしょう。

人類を創ったのは〝唯一の存在〟ではなく、宇宙人「アヌンナキ」であるという結論はここで出しても問題はないようです。
彼らの手による遺伝子操作で人類は創られました。そして奴隷としての立場に疑問を持たないように、前人類の長い寿命も短縮されました。病ももたらされました。死という恐怖も植えつけました。

アヌンナキの後にはレプティリアン(爬虫類型ヒューマノイド宇宙人)がやってきたようです。
旧約聖書を書かせたのは、このレプティリアンではないかともいわれ、その支配は今現在も続いているとのまことしやかな説もあります。
まぁ、これもどうでもいいことです。はたして僕たちに何かできるでしょうか? できません。できないものは放っておきましょう。大事なのはこれからの未来です。

地球上には様々な文明が興り、そして滅びました。地殻変動で沈んだと言われる幻の大陸ムー、レムリア。巨大隕石による津波で沈んだと言われるアトランティス。
現在のメキシコを中心に、カリブ海に面した地方に栄えたマヤ・アステカ。現在のペルーを中心としたアンデス山脈に栄えたインカ。巨大ピラミッドを創りあげた古代エジプト文明。
その当時としては考えられないような技術や未だ解けない謎を残しています。
それぞれの時期に宇宙人との交流がありました。シリウス、プレアデス、オリオン。

これは文明史や人類史を書こうとしているのではありませんので、詳細は省きます。

忘れてはいけないのは、源は〝唯一の存在〟だということです。
そして、自らに似せて作ったのは姿ではないのです。正確に言えば、〝唯一の存在〟は自らを分けた魂を宇宙に送り出したのです。
様々な記述の中には、人類を創った宇宙人が魂を吹き込んだ、などというものも見かけますが、それは馬鹿げています。魂は〝唯一の存在〟そのものだからです。
人が子を産み出す時に、魂を吹き込んだりするでしょうか?
〝唯一の存在〟の分身である魂は自らやってくるのです。
そして僕たちは今、何らかの意志を持ち、人類の肉体をまといながら輪廻転生を繰り返しています。


「バシャール」はダリル・アンカという男性(歌手ポール・アンカの従兄弟らしい)が、
「チャネリング」することにより様々なメッセージを伝えている存在です。


バシャール「創造の4原則」



さて、これから荒唐無稽なお話を始めます。
君はついてこられるだろうか?

人を変えることはできません。できることはひとつ、自分が変わることです。
だから僕は、君を変えようとは思っていません。
君が変わろうとすることの手助けならしたい、そう思うだけです。

そしてこれは、聖書のお話では決してありません。
ろくに資料も持たず、構成の組み立てもせず行き当たりばったりに書き進めますので、どこかで途切れるかも知れません。

Long Long Time Ago…

それはそれは古(いにしえ)の昔のお話です。
天も地も、光も闇も、前後も左右も、そして時間さえもない「無の世界」に、意識を持ったエネルギーが存在しました。
その存在はひとりぼっちでした。そう、ただひとつの存在だったのです。
いつからそこにいて、いつまでそこにいるのか。

「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者、初めであり、終わりである」
─新約聖書 ヨハネの黙示録22章13─

アルファとはギリシャ語のアルファベットで最初の単語。オメガとは最後の単語。
「わたしが最初であり、わたしが最後である。事の始まりであるとともに、その行き着く究極である」

そのエネルギー体は思いました。
「自分が何者であるかを知りたい。体験したい」と。
しかし、他に何もない状態では知る術(すべ)がありません。そうです、比較するものがないのです。
運動能力に長けているとか、知力が秀でているとか、やさしいとか冷たいとか、それぞれ他というものがあってこそ認識されるものです。

そこで〝唯一の存在〟は思いました。
自分を分けて「自分とは何者であるか」を探求させようと。
そしてその場を創り出しました。


初めに神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

─旧約聖書 創世記1章1~5─


およそ137億年前のことです。
しかし、これは人類が計算しただけのことで、時間などないところに〝唯一の存在〟はいます。
だからそれは1000億年も前かも知れないし、ほんの数秒前かも知れません。
そしてその宇宙創生を、人類は現在ビッグバンと呼んでいます。

粒子の中でこれ以上細分化できないといわれる素粒子よりもはるかに小さいものがありました。それは無と有との間をゆらいでいました。やがて熱を持ち、真珠玉ほどに育ち、それから一気に宇宙になりました。


神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ」そのようになった。
神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。

─旧約聖書 創世記1章24~25─


そして、旧約聖書によれば〝唯一の存在〟は人類を創ります。


神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」
神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう」そのようになった。
神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

─旧約聖書 創世記1章26~31─


それから、〝唯一の存在〟は相対の世界を創り出しました。
上もなければ下もない。右もなければ左もない。登りもなければ下りもない。そんな絶対の世界では、味わえる経験が制限されるからです。
寒さを知って初めて、暖かいも暑いも実感できるからです。

もしも君が宇宙飛行士になって宇宙の空間を漂ったら、この絶対の領域の感覚は分かるかも知れません。
地球は頭上にも足元にも右にも左にも前にも後ろにも存在しうるからです。
宇宙船に戻った時初めて、君にとっての上下左右や前後が存在するのです。

〝唯一の存在〟は「自らに似せて人を創り」、自らを分けて〝自分探しの旅〟に送り出しました。

聖書に書かれていることには誤りがあります。なぜなら、人類を創りだしたのは〝唯一の存在〟ではないからです。
これにより、旧約聖書は〝唯一の存在〟とは違う何者かが書かせたものではないか、という推論が当然のことながら出てきます。

あの日のお天気はどうだったんだろう?
まったく覚えてはいないけれど、僕の見る景色は涙で歪んでいた。揺られる電車の動きにまかせて、それは勝手に流れていった。
僕は未練がましく君を送っていった。そう、君の実家のある、あの駅まで。

もうちょっと、もうちょっと、僕はそういって一緒に改札を出た。
僕はついに背中を向けた、こらえきれない涙が嗚咽になったから。でも向いた先は駅の売店だった。
それでも、僕の涙はこらえることができなかった。大の男が駅で肩を震わせて泣いている。目撃した人の心にはあの風景が未だに残っているに違いない。
そうそうある風景じゃないからね。

君を迎えに行き、君を送っていった駅。君と一緒に歩いたあの駅。
そして娘と手をつなぎ、娘を抱っこして三人で歩いたあの駅で、僕は悲しみの涙を流そうとは思ってもいなかった。

君とお別れすることも辛かったけれど、お父さんって呼ぶ娘と二度と会えなくなる、それは何にも勝る恐怖だった。

でも、それは起こった。

憎しみあって別れるわけじゃなから、君の言葉も僕には何の救いももたらさなかった。

僕は言ったよね、娘に合わせてくれ、きちんと話をさせてくれ、きっと分かってくれる。幼いからって騙しちゃダメだって。

でもそれは叶うことはなかった。

僕に似ていると言われた我が子よ、君は今どんな夢を見ているんだろう。
僕はあなたに、もっとたくさん教えてあげられることがあった気がする。
あなたの周りに、僕みたいに変な感性を持った人間はいるだろうか? いきなり死後の世界とか神さまの話とかを始める人間はいるだろうか?
いて欲しいと願う。
なぜなら、きっとあなたは僕の感性を受け継いでいるはずだから。


竹内まりや「駅」





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貧乏学生だった頃の話だけど、僕の住んでた所は共同の台所に共同のトイレの粗末なアパートだったんだ。黄色い電車が走る私鉄沿線だった。
でね、面倒くさくなると、たまに電気ポットでインスタントラーメンを煮たもんだよ。
うん……ラーメンって煮るとは言わないかな? ま、いいや。

電気ポットってあの縦長のヤカンね。それに半分にポキッと折ったラーメンを入れて鍋代わりにするんだ。
それを丼に移して食べるんだよ。結局電気ポットも洗わなくちゃならない羽目に陥るから、どう考えても手抜きにはなってなかったんだけどね。

で、それは1個煮る時の話で、豪勢に2個煮る時もあるからそれは台所でやるんだ。2個煮るからかといって粉末スープは2個分使わないから一袋の半分は余る。
それを続けていくと何袋かストックができるんだね。

そしてある日……僕のお財布からお金が消えた。
ううん、盗まれたんじゃなくて使い切っちゃったんだ。
大変だ!

何の自慢にもならないけど、それから何日か、僕はインスタントラーメンのスープだけで生き延びたことがある。
そう、その電気ポットでお湯を沸かしてね。
それでも最後の最後はやってくるんだ。袋に5分の1もなさそうなスープ。お湯を入れたら色がちょっと付いてるぐらい。それにお塩を足して飲むんだ。
やおら取り出したお塩の袋をスープの上でちょんちょんちょんって振ってたら、ドサッ、ジャボッて……。
飲んでみたけどお塩の味しかしない。

僕はあのピンチをどうやって切り抜けたんだろう?
もう忘れちゃった。
え? 学校に行って友達に借りれば良かったのにって?
定期も切れてて電車賃もなかったっていう恐るべき真実。
それに電車賃があったらきっとインスタントラーメンを買ってたね。

え? 何の話かって?
何事も慌てちゃいけないし、塩分の摂りすぎには注意が必要だって教訓だよ。
あ、なってない?
それはどうも。

ふん? タイトル?
あら、気がついてなかったの?
なでしこジャパンだったんだけど(T▽T;)

「なで肩ジャボン」とかのほうが良かったかなぁ? なで肩の飛び込み選手の話。
ま、実際問題そんな知り合いはいないんだけどね。

いいぞ川澄~勝った勝ったぁ~o(^▽^)o


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笑顔が天空一面に広がる青空だとするなら、悲しみは西を染める夕焼け色?
青空が希望だとするなら、夕暮れの空は失望?

突きぬけるような青はとても心地よいけれど、茜色はなぜか心寂しい。
遠くの空から、夕焼け小焼けが聞こえてきそう。

でも、青い空も茜の空も、本来無色透明「色の波長」が見せる違う姿。
前へ前へと進む赤。
横へ横へと広がる青。

ちょっと気弱でやさしい青は、あれにぶつかりこれに弾かれ青空を作り、一本気な赤は「そこどけそこどけ」と真っ直ぐ進んで夕焼けの色を作る。
どっちも君。
どれも一面。どれも間違えてはいない。
そしてどちらもそれぞれに美しい。

さ、一息ついたら一文字に結んだ唇をほどいて笑ってみよう。
無理にでも微笑んでみよう。
最初はうまく行かなくたって全然構わないよ。鏡を見て練習だ。
微笑みには神さまからの贈り物「愛」が含まれている。

頑張る君へ愛をこめて。


吉田拓郎 「落陽」


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TVで流れている鹿島建設のCM、なかなか印象的だね。


ラッシュのない都心

車イスでどこにでもいける世界

ゴミという言葉がない世界

ホタルが棲む渋谷

天の川が見える新宿

〝人が想像できることは、必ず人が実現できる〟 ジュール・ヴェルヌ


ジュール・ヴェルヌって「海底二万里」とか書いたSF作家だよね。この言葉は正確にはこうではなかったようだけれど、これで良かったのかな? と思わせる言葉です。

もちろん、かつては渋谷にだってホタルが棲んでいたはずだよね。
渋谷の宇田川交番のちょっと奥にも畑があったし、東急ハンズができる前は、あの辺りまで歩く人などほとんどいなかった。
それはもちろん大昔の話じゃないよ。

童謡〝春の小川〟のモデルになったのは渋谷川の支川、河骨川(こうほねがわ)。
小田急線の代々木八幡駅の近く、代々木公園の西側に位置する辺りに石碑がたっている。
今はほとんど暗渠(あんきょ)になっているから見ることはできないけれど、この河骨川は宇田川に注ぎ、渋谷川に合流し、古川と名前を変えて今も東京湾に注いでいる。

人は自然を壊し、また自然に恋い焦がれる。
僕たちが自然を壊したわけではないけれど、僕たちの集合的な意識が自然を壊してきたであろう事は確かだ。
利便と享楽と利益を求めてね。

深海に棲む魚には、天空に輝く太陽は想像できない。
清流を泳ぐ魚にとって大海原は四次元の世界。
台所でコソコソしてるゴキブリは草原を渡る風を知るよしもない。

人はいつまで山を削るのだろう。
人はいつまでビルを建て続けるのだろう。

人はいつまで、食糧を捨て続けるのだろう。

いったい人は、いつまで争い続けるのだろうか。

こんなことを続けていたら、バビロンのバベルの塔の傲慢はまたもや人類の言葉を違(たが)わせ混乱へと導くに違いない。
ワンネス─ONENESS─から遠く離れた迷い道。

僕たちは元々分離なんてされてない。神という名のたったひとつのエネルギー体から派生した繋がっている「個」。
僕たちひとりひとりは神さまの出臍(でべそ)。へそだと思うから、分離していると感じる。
元をたどれば繋がっている立派な本体があるのに。

分離されていると感じるから心細い。分離されていると勘違いしているから、争う。
分離されていると信じているから奪う。分離されていると「個」だと思い込んでいるから傷つけ合う。

僕たちが神より授かった類い希なる想像力は、紛れもなく創造力だ。
もっともっといいものに使わなくちゃ宝の持ち腐れだよね。

ちなみにノアの大洪水後のバベルの塔は神が壊したのではなく、神が人々の言語を分かち、混乱を招いたから建設が中止されたんだよ。


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近所の歯医者さんのところに張り紙があってね、こう書いてあるんだ。

患者様へ

車の通行のじゃまたげになりますので
自転車は横に置いてください。

要は縦に置くと車の通行の邪魔になるよってことだけど、パソコンで作ってプリントアウトして、で、ラミネートをかけて、それで張り出した。
こんな手順だろうけど、なんでこれが人の目をすり抜けちゃったんだろうって、
僕は時々立ち止まって、ついつい読んじゃうんだ。
でも、うまくはまった意味合いとリズムから見れば立派なギャグの領域だ。

君もこんな間違い見つけたら、今度教えてね。

麻生さんはずいぶんたくさん読み違え、というか覚え間違いを露呈したよね。
頻繁(ひんぱん)を「はんざつ」と読んだり
未曾有(みぞう)を「みぞうゆう」と読んだり
踏襲(とうしゅう)は「ふしゅう」になっちゃうし、
覚え違いと言うより、国語能力がなさ過ぎたね。

もっとたくさんあるらしいけど(これならあって当たり前)ここまでにしておくね。

いつだったか電車に乗ってる時に、女子大生とおぼしき女性が二人ドアのところで話をしてて、そのうちに一人が「で、いたせりつくせりだったの」って。
相方の女性は何事もなかったかのように受け答えしてたけど、あれは気づいていたのか、はたまた気を遣って指摘しなかったのか、いまだに分からないんだけどね。

そうそう、かつて僕の上司が会議の席で「いずする」って連発するんだよね。
は? って思って頭の中で話を組み立ててみると、「意図(いと)する」だった。
指摘? しなかったよ。その人が好きでもなかったから。

嫌悪感と罪悪感がごっちゃになって、
嫌悪感(けんあくかん)とか罪悪感(ざいおかん)とかって言っちゃう人は意外と多いかも知れない。
正しくは「けんおかん」と「ざいあくかん」ってことぐらいは、君は知ってるよね。

僕たちはこんなにも難しい日本語を日々操る日本人なんだね。

だから間違いもするさ、人間だもの……って相田みつをかと。
ん? 君は相田みつをが好きなの? ふぅん。
僕? 実は知らない。どんな言葉を残したんだろうって今調べてみただけ。

それと、アナウンサー泣かせだった、「高速増殖炉もんじゅ」
こうそくじょうしょくりょ……こうちょくじょうしょくろ……こうしょくじょうしょくりょ
これは言い間違いと言うより、噛んだというべきか…


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昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
山に芝刈りに行ったおじいさんは、迷子になった子雀をかわいそうに思い家に連れて帰りました。
やさしいおじいさんはそのスズメをとても可愛がりました。
でも、おばあさんは、そんなスズメにやる餌はないと辛く当たります。

そんなある日、庭で洗濯をしていたおばあさんの洗濯糊をスズメが食べてしまいました。
怒ったおばあさんは、なんとスズメの舌をハサミでちょん切ってしまいました。
スズメは泣きながら山に逃げていってしまいました。

それを聞いたおじいさんはたいそう憐れみ、スズメにお詫びをするため山に向かいました。
「おーい、おーい、舌切り雀はおらんかぁ。舌を切られたスズメはおらんかぁ」

おじいさんはやっとのことでスズメのお宿を見つけました。
「お詫びに来たよ。悪いことをしてしまったなぁ」
そんな心優しいおじいさんをスズメは歓迎します。
「ようこそおいで下さいました」
その夜おじいさんは、子雀や仲間のスズメたちと楽しく過ごしました。

そして翌日、スズメはお土産にと大きい「つづら」と小さい「つづら」を出しました。
「さあ、心ばかりのお土産です。お好きな方を持って帰ってください」
「そうかい、ありがとうね。ワシは年寄りだから重いものは持てない。じゃあ、小さい方を頂いていこう」
おじいさんは別れを惜しみながら、山を下っていきました。

家に帰りつづらを開けると。中には金銀財宝がぎっしり(おじいさん重くなかったんでしょうか?)
話を聞いたおばあさん、
「何で大きい方をもらってこなかったんだい。あたしが行って大きい方をもらってくるよ」

スズメのお宿に着いたおばあさん、
「泊まってなんか行かないから、お土産だけちょうだい」
おばあさんは大きいつづらをどっこらしょっと背負って帰ります。
でも、あまりに重いので途中で腰を下ろした途端、つづらの中から妖怪や蛇がたくさん出てきました。

びっくりしたおばあさんは腰を抜かし、やっとこさっさで家に帰り着きました。
「欲を張っちゃいけないよ」
おじいさんに言われたおばあさん、自分の欲深さを反省して、二人は幸せに暮らしました。


話のパターンはいくつかあるみたいだけど、思い出しながら書いたから割と適当だよ。
ちなみに「づつら」ってツヅラツタ、だったかな? それを編んだかごなんだね。
で、なぜおばあさんは大きいつづらを持って帰ったんだと思う?

欲深いから?
うん、そうだね。
じゃあさ、何で欲深いんだと思う?
性格?
ははっ、そうかも知れないね。

僕が思うに、おばあさんの心にあったのは「不足してる」っていう不安だと思う。
ほら、震災の後いろんなものが不足したよね。
ティッシュもトイレットペーパーも何もかも。
で、買い占める人がいた。お店をあちこち回ってティッシュボックスをたくさん抱えてる人がいた。
あれが「不足してる」っていう不安や恐れなんだね。
ティッシュもトイレットペーパーも何個かがセットになってるから、僕自身は一度も困ったことはなかったし、なきゃないで何とかなるって思ってた。
トイレットペーパーもティッシュもたかだか半世紀の歴史もないのに、あの現象は怖いね。

そうそう、もし世界が100人の村だったらっていうのがあったよね。覚えてる?
その中の一節だよ。

「もし冷蔵庫に食料があり着る服があり 頭の上に屋根があり寝る場所があるなら…
あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています」

〝神との対話〟の〝神〟はこう言ってる。
人間の行動のすべては、愛か不安に根ざしてるって。人間が暮らす物質的な領域には、この二つの在り方しかないって。

「欲しがったり与えたり、ためこんだり分けあったり、団結したり分裂したりという意志決定、自由な選択のすべてが、存在しうるただ二つの考えから発している。愛という考えか、不安という考えから。

不安はちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーである。
愛は広がり、解放し、送り出し、とどまり、明るみに出し、分けあい、癒すエネルギーである。
不安があるから、もっているものすべてにしがみつき、かじりつくが、愛があれば、もっているすべてを与えることができる。
不安はしっかりと抱え込み、愛は優しく抱きとる。

不安はつかみ、愛は解放する。不安はいらだたせ愛はなだめる。不安は攻撃し、愛は育む。
人間の考え、言葉、行為のすべてはどちらかの感情がもとになっている。ほかに選択の余地はない。
これ以外の選択肢がないからだ。だが、どちらを選ぶかは自由に決められる」

世界には、あるいは自分の周りには、あらゆるものが充分ではない。
その不安が、人を押しのけてでも手に入れようとするさもしい行動を生むんだね。
これは国家間でも同じことだ。
でも、日本人の大半は賢明だったと思う。
で、被災地の苦しみそっちのけで、我が事のみで買い占めに走った人たちはこの先どうなると思う?

違う世界に行っちゃうんだよ。
パラレルワールドへ……。

いつか君にもパラレルワールドのお話をしてあげよう。


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