風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -105ページ目

―ノーコンテストの時代―

誰々が大きなミスを犯したらしい。誰それが左遷された。どこどこの業績が振るわないようだ。どこそこに勝ったぞ。
やった! ついに撤退に追いやった。

それは、甘い甘い蜜の味。

僕たちはなに疑うことなく、こんな競争社会の中で生きてきた。
この本「競争社会をこえて」を読んだのは、かれこれ20年も前になる。



著者アルフィ・コーンは訴える。私たちは生まれて以来、競争社会の中に浸って生きてきたせいで、魚が水の存在について考えたり疑問をもったりしないように、競争することに疑問を持たずに生きているのだと。

競争が避けられないものであり、競争がより生産的なものであり、競争がより楽しいものであり、競争が人格を形成してくれるものである、という四つの神話は基本的に誤っている

競争は協力ほど成果を生まず、かえって悪影響が出る。他者の敗北なしに自らの喜びが得られぬ競争より、ともに達成感を味わえる協力・協同の方が力強い

「競争社会をこえて」には複数の人たちの言葉が紹介されている。

自分のチームが負けたあと泣き出してしまうリトル・リーグの野球選手、フットボールのスタジアムで勝利をたたえ合う大学生、算数の試験でよい成績をおさめたことを鼻にかける小学生など、勝利に対する強迫観念があらわになっているケースがよく見られる。これらは文化的な強迫観念と言える
―社会心理学者エリオット・アロンソン―


競争は、学習された現象である。人々は、勝とうとか、競争しようという動機をもって生まれてくるわけではない。勝利を目指す生き方は、訓練を通じて、また環境の影響によってもたらされる。君は、念には念を入れて、教え込まれてきたのだ
―スポーツ心理学者トーマス・トッコ―


アルフィ・コーンも、「生存していくためには、対抗しあうよりも、協働することが必要」と語っている。

けれど、こんな考え方もある。

競争のないところにサービスは生まれない

言葉通り、競争があったからこそ技術は進歩し、よりよいサービスが生まれてきたのもまた確かなことだ。
僕は若い頃から口にしていた。「税金で飯を食う人間をもっと減らすべきだ」って。そう、競争の中に身を置け、ということだ。

たとえばスーパーがイオン一社だったとしたら。あるいは西友一社だったとしたなら。
たとえばコンビニがセブン・イレブン一社だったら。あるいはローソン一社だったなら。
僕たちが受けるサービスも価格も現在のようではなかったろう。

公共料金の支払いは相変わらず郵便局や銀行に行き、番号札を取って長々と待つことになっただろうし、宅急便は遠くの営業所まで行くことになっていただろう。

競争といえば、今年の4月から電力の自由化が始まる。
原発再稼働を相次ぎ始める電力各社も寝惚けているが、最たる寝ぼけ老人であり無責任体質の東電の尻にも火が点き、サービスの強化に走るだろう。

役所を始め公共機関のサービスも、競争に晒されている民間が入ればもっといいものになるに違いない。

けれど、サービスを向上させ料金を下げようとすれば必ずどこかにしわ寄せが来る。一番削減しやすいのが人件費だろう。労働時間や内容も含めて、働く人たちの負荷が必ず増す。

少ない人件費で過分な利益を上げようとすれば、どこぞのブラック企業になる。それを回避するのは経営者の資質にかかってくるのだろうが、それは夢のまた夢。

セブン・イレブンができたとき、朝の7時から夜の11時まで営業していることに世間は驚いた。どこも店開きしていない時間にオープンして、どこもかしこも閉店した以降も営業している。

それが今は、コンビニ各社24時間営業になっている。マツキヨも一部の店舗は24時間営業をしている。これらはお客様のためという大義名分を振りかざし、実際のところは勝負に勝とうとしている。

便利になった。信じられないくらいに便利になった。

それでもなお、この競争社会をこえていかなければならないと僕は思う。他人の不幸、不利益が我が身の幸福であってはならいと思う。足を引っ張り合うのはそろそろやめにしよう。

仕事の都合上箱根駅伝を見ることはないのだけれど、あのワンチームを地球、人類と考えてみたならば、僕のジレンマも消えるのかもしれない。

年末年始はどこのお店も開いていなかったあの頃へ、お醤油がなくなれば隣に借りに行ったといわれるあの時代へ、僕たちは帰ってもいいのではないだろうか。それで誰かが不幸になったなんて、僕は聞いたことがない。

昭和な男のひとり言。


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―昭和―

「あのーすみません」私は片足だけを店内に入れて遠慮がちに声を掛けた。
「はい」

「後でお伺いしようと思うのですが、今年って、何年でしたっけ?」
――来るはずもないのに、何て姑息な手段を使うのだろう。
しかし、恥を忍ばねば。

「えーと、今年、ね……今年ことし……」店主はちょっと天井を見上げた。

「最近物忘れが激しくて」私は眉を下げて見せた。
「私も似たようなもんですよ。どうぞ、中に入ってください」
「あ、すみません」確かに、開けっ放しでは店内も寒かろう。言葉に甘えて引き戸を閉めた。

店主はカウンターの奥から新聞を取り上げ、目を細めて読み上げた。
「1982年ですよ。昭和57年の12月17日。よもやお忘れではないでしょうが、金曜日です」
店主は、はははと笑った。
「どうもありがとうございます。助かりました」私は精一杯の笑顔で頭を下げた。

「よかったら持って行きますか」肩口で新聞を振った。気さくな人でよかった。
「ああ、いいんですか? 頂いていきます」

「ちょっとシワになってますが、今日の朝刊です」新聞をパンとはたいて畳んだ店主がカウンター越しに差し出した。



「ありがとうございます」歩み寄った私はそれを受け取った。
「静かなんですね」
「ええ、ええ、さっきまで忘年会の貸し切りがありましてね。もう店じまいしてもいいぐらいの実入りがあったんですが、これからの時間に来る常連さんも多いんで、閉めるわけにもいかないんですよ」

カウンターの端には居酒屋には珍しくテレビが置かれていた。スイッチは入っていないが、もちろんブラウン管のテレビだった。



「どうもありがとうございました」
「お安いご用で」
店主の笑顔に、私は再び頭を下げて外に出た。

昭和57年……何てことだ。
30年以上も前の世界じゃないか。

昭和57年……私は記憶をまさぐった。

そうだ、500円硬貨が発行された年じゃないだろうか? だとするならペットボトルが誕生したのもその年のはずだ。両方を得意げに手に持った写真が残っているからよく憶えている。


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新年の言祝(ことほ)ぎをブログに乗せて……

皆様いかが新年をお迎えでしょうか。

帰省中でしょうか。
ご自宅でご家族そろってでしょうか。
あるいは、おひとり様でしょうか。

ゆっくりできない方もいらっしゃるでしょう。お休みでも気の休まらない方もいらっしゃることでしょう。
ご苦労様です。

僕は年明けの15分ぐらい前に帰り着き、バタバタと支度をして、「ゆく年くる年」を見ながら晩酌を始めました。
もちろん、おひとり様で。

当分休みはなさそうです。

2016年は申年ですね。
いったいどんな年になるのでしょうか。

皆様が実り多い一年となりますように。
本年もどうぞよろしくお願いします。

おっと、もう就寝時間になりました。
自由時間のなんと少ないことか……。
皆様のブログへは、またゆっくりお伺いします。



虫歯れしゅねー!

案山子/さだまさし


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―民家の群れ―

見晴らしがいい原因はすぐに分かった。景色を阻む賃貸や分譲マンションが少ないのだ。窓から明かりの漏れる家々の屋根が、高く低く夜空を切り取っている。

振り返ると看板が目に入る。〝おにぎり・お茶漬け・季節の肴〟四季はそこにあった。だとするなら、目の前に広がるこの風景は何だ。

私は小走りに商店街へ戻り左右を見た。マツキヨの黄色い看板がない。松屋もない。ドトールも見あたらない。私は惚けたように道の真ん中に立った。

商店街もその姿を変えていたけれど、あるべきものはそこにある。蕎麦屋、煎餅屋、文具屋、寿司屋、酒屋。
それぞれ佇まいは違うけれど、店名と位置関係は合っている。ここは間違いなく私の住む街だ。

そのまま道を戻り、社宅の方角へ右折した。コンビニの煌々とした明かりが見えない代わりに、リキュールショップと書かれた酒屋があった。

耳の奥で鼓動が高まる。足早に真っ直ぐ歩き、社宅のあるはずの場所に立つ。そこには立派な庭木の植わった古ぼけた屋敷が建っていた。電信柱に貼られた住所は、合っている。



時代が……違うんだ。
いつだ。今はいつだ。どこに行けば分かる。いったい、どこに行けば……。

今日は何年の何月何日ですかなどと、通りがかりの人に訊けるわけがない。

携帯を取りだしたが、当然のことながら使えなかった。道の先に見えた公衆電話ボックスへ向かった。冷たい受話器を耳に当て、10円玉を投入して177番を押す。寒さのせいばかりではなく、指先が震えていた。

〈気象庁予報部発表の12月17日午後6時現在の……〉



電話ボックスを出た私は意を決して居酒屋「四季」の前に戻った。ふぅーっとひとつ深呼吸をして、カラカラと軽やかな音を立てる引き戸を開けた。

「らっしゃい」50前後とおぼしき店主がカウンターの向こうからこちらを向いた。店内にはひとりの客もいなかった。


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今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど




出会いの数だけ別れがあって、悲しいかな、破れ去る希望もまた同じぐらいあるのかもしれない。

叶わなかった希望を、絶望という名の暗闇色に塗り替えるのは、たぶんきっと人の心。

人の世は無常。
いいことばかりの人生もない代わりに、悪いこともずっと続きはしない。


この人の歌、とってもいいです。ぜひ聴きながら読んでください。戻ってきてお金を入れて去っていく、首にタオルを巻いた黒い服着たおじさんがいい味出してます。
冨田麗香 「時代」 高円寺路上ライブ


そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう

まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみ繰り返し
今日は別れた恋人たちも 生まれ変わって めぐりあうよ


作詞:作曲 中島みゆき 「時代」



仕事納めの人も多かったのでしょうか。

あっという間に一年が過ぎていきました。
今年はどうだろう。帰宅途上、うーん、深夜のスーパーで買い物をしながら新年を迎えそうな気がします。例年なら仕事中に新年を迎えます。

みんなにとってどんな年だったでしょう。

僕?
うーん……なかなか厳しい年だったかな。

言葉はあるとき人を傷つけ、時として人を救う。僕は数日前に唐突にそんなことを考えた。
人を傷つけるのは人で、救うのもまた人だって。

猫に傷つけられちゃって……ってそれはまた違う傷だろうね。
心の傷や実生活のダメージは、にゃんこが二三本残した傷のヒリヒリなんて表現じゃ追っつかないから。

今日が土砂降りだって、明日が晴れなくたって、あさっては、しあさっては、きっと晴れる。

雨の日は心に傘を差そう。
投げやりになってずぶ濡れになるより、何も考えずに、誰も恨まずに、心に傘を差そうよ。


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「涙は女のカタルシス」そう言ったのは誰だっけ?

子供の頃、泣いてから本気で強くなる奴がいた。
泣かせたら怖い奴がいた。
もう、両腕を風車みたいにぐるんぐるん振り回して強い人間に向かっていく奴がいた。

泣くのは弱さじゃないってそいつは教えた。
だからってわけじゃないけど、泣いたっていいんだ。

涙にはストレス物質コルチゾールを体外に排出する役目を持っているってことをつきとめたのは、アメリカのウィリアム・H・フレイ博士だったね。
泣くとストレスが消えるんだね。

だから、泣いたっていいんだ。
いや、むしろ、泣くべきなんだ。

僕は慰めたりはしない。それは自浄作用が起こすいっときの嵐だと知っているから。
ただ、君の背を、「よし、よし」と叩く。
君のストレスが全部全部流されますようにと。

冬、南の空に並ぶオリオン座は東京の空には見えない。
でも、それはそこにある。
君がそこにあるように。

君の輝きを見ないのは、その人の目が曇っているからだ。
君は誰と比べようもなく、天上天下唯一の君だ。

悲しければ、悔しければ、泣けばいい。
僕はそっと、君のそばにいる。
少し、おろおろとしながら。


泣いたのは僕だった
弱さを見せないことが そう
強い訳じゃないって君が
言っていたからだよ
I believe



ORION / 中島美嘉


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―四季―

ショルダーバッグをひょいと深くかけ直し、私は駅の階段を下りた。
いつものようにスーパーで総菜を買って部屋で晩酌をする手もあるけど、軽く一杯引っかける手もあるな……。

師走の人混みの中、あれこれ迷いながら駅の改札を出た私は、吹き込んだ枯れ葉が舞う通路を、社宅のある方角へと向かった。

イルミネーションに彩られた駅前を過ぎ、立ち止まった信号でまたぞろ迷って、こんなことでここまで悩むとは、とひとり苦笑した。



さてさて、どうしたものだろう。
あ、ラーメンやカレーという手もあるな。少し歩みを緩めて看板を見つめた私は、それでも商店街をそのまま歩いた。いつの間にやらスーパーへの横道も通り過ぎた。残るはどこかで一杯引っかけることか。

そうだ、新しいもつ焼きの看板が出てたな。あそこにでも行ってみようか。私は通りを左へ入った。
商店街を出ると辺りは急に暗くなり、寒々とした夜空が広がっている。

とそのとき、買い置きの薩摩揚げと真空パックの焼き鳥があったことを思い出し、その賞味期限が心配になった。
まあ、少しぐらい過ぎても問題はないのだが、買い置きを忘れて、ずいぶんと古いものが冷蔵庫の奥から出てきて驚くことがある。

先月は、豚足をダメにした。今月は豚の軟骨スライスをダメにした。ビールはまだあったからまっすぐ帰ろう。

――おや?

私は道の先にある看板に目がとまった。
この街に引っ越してきて以来、ずっとシャッターを下ろしたままだった店に灯が灯っている。

「清酒大関」の下に「四季」と店名が書かれた協賛看板も、2階建ての木造家屋も風雨にさらされ、哀れさの滲む佇(たたず)まいだった。

それが、看板も外装も新しくなって軒先を照らしている。店名が変わらないということは、息子さん辺りが脱サラして継いだのだろうか。私は道向かいで立ち止まり、看板とのれんを見つめた。

――今度寄ってみようか。

歩き始めて間もなく、奇妙な感覚に囚われた。立ち止まり辺りを見回した。冷たい風が、頬と耳を冷やしていく。それでも私は動けなかった。

そしてようやくその理由に気がついた。ずいぶんと見晴らしがいいのだ。

――景色が違う。

頭を一度整理する。確かに会社の行き帰りに使う道ではないが、通ったことのない道ではもちろんない。もう、10年も住んでいるのだから。

――ここはいったい、どこだ……。


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神(イエス)は言われる わたしは裸で生まれた

あなたが自我を脱ぎ捨てるために

わたしは貧者に生まれた

あなたがわたしを唯一の富と見なすために

わたしは馬小屋で生まれた

あなたがどんな場所をも聖とするために

神(イエス)は言われる わたしは弱者に生まれた
あなたがわたしを怖がらないように

わたしは愛のために生まれた
あなたがわたしの愛を疑わないように

わたしは夜中に生まれた
わたしがどんな現実でも照らせることを

あなたに知ってもらうために

神(イエス)は言われる わたしは人間として生まれた
あなたが神の子となるために


わたしは被害者に生まれた
あなたが困難を受け入れるために

わたしは質素な者に生まれた

あなたが装飾を捨てるために

神(イエス)は言われる わたしはあなたの中に生まれた

あなたをとおしあなたと共に
すべての人を父の家に連れていくために


By Lambert Noben(ランベルト・ノーベン)
*神では辻褄が合わないので(イエス)は僕個人が入れました。



War is over, if you want it
争いは終わる、きみが望めば

War is over now
争いはいま終わるんだ

Happy Xmas
ハッピー・クリスマス

John Lennon - Happy Christmas


目覚めぬ人たちは、人生が一度きりだと思っている。
神が自分を褒めたり罰したりするなどと、おそよ信じられない勘違いをしている。

だから邪(よこしま)な人たちは我が事ばかりを考えて、平気で人を傷つけ踏み台にする。

僕は口にしてみる、こんな世界はもう終わりにしてもいいんじゃないの? って。
そう、高見の見物ばかりをしている神を叱ってみる。
だって僕は神の欠片なのだから、充分すぎる権利がある。

僕は真っ向神に物申す。信じて愛して疑わない神に物申す。
もう、こんな虚構の世界は終わりにしていいんじゃないのって。

僕はクリスチャンではない。それどころかどんな宗教も信じない。そこには我利と我欲が入るから。

けれど、どんな宗教をも超えて、神はそこに在る。

地上にあまねく、神の愛が届きますように。
世界から、痛みと悲しみの涙が消えますように。

愛する君にハッピークリスマス。

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―常夜鍋―

「あ、常夜鍋が残ってるんですけど、食べますか?」
二人でいろんな話をしながら、安いトリスの水割りを飲んだ。ひとりで飲むより格段と美味しく感じた。

「じょうやなべ?」
「劇団で役者やってる姉から教わったんですよ」
「へえ、お姉さん役者さんなんだ。それ、食べてみたいな」

「今温めますから」コタツを出た僕は台所に立った。
ガスに火を点け、おじさんを振り返った。

「作り方は簡単なんですよ。白菜の間に豚バラ肉を挟んでいって、包丁でザクザク切って、土鍋に入れて火に掛けるだけです。水も味付けもいらないんですよ」

「水もお酒も、だしをとったりもしないの」ほろ酔いのおじさんは、ウィスキーのグラスを持ったまま怪訝そうな顔をする。

「はい。使うのはほうれん草とか小松菜とか、もちろん味付けをするレシピもいろいろあるらしいけど、これが日本で一番シンプルな常夜鍋だと思います。超安上がりです」

「へえーそのまま食べるの?」
「ポン酢です。豚肉はそのときの懐具合で何でもいいんです」

「あ、いい匂いがしてきたよ。ところで、お姉さんの舞台は見たことあるの?」

「はい、一回だけ。他の劇団の客員で出たものを見ました。シェイクスピアの真夏の夜の夢って知ってますか? 妖精の女王ティターニアをやったんです」
ふつふつと沸き始めた鍋に箸を入れて緩く混ぜた。

「池袋の東口だったかな? 屋根裏部屋みたいな階段を上がったところにも客席でがある小さい劇場でした。
でもダメですね。何かとちりやしないかと、そればかりが心配で集中できませんでした」


ジョゼフ・ノエル・ペイトン作「オーベロンとタイターニアの和解」

話題は尽きなかった。
小野洋子という日本人女性と結婚し、日本を愛し日本の神道に惹かれ、その影響を受けて書いたとされる1971年に発表された名曲「イマジン」

その詞は僕の心の真ん中に決定的な核を作った。
そのジョン・レノンが2年前に射殺された悲劇的な事件。

ジョンは日本語の「おかげさまで」が世界でもっとも美しい言葉だと言った。

それから原宿の「竹の子族」のこと。今年開通した東北・上越新幹線のこと。政治の話、食べ物の話、恋愛談義、人生論。

いい人だった。

追想から戻った私は顔を上げた。電車の車窓に映り込む、吊革につかまった姿が見えた。ちょっとくたびれた自分の姿が。

お粗末な常夜鍋を、美味しい美味しいと、あの人は食べた。
けれど、目覚めた朝、おんぼろアパートから忽然と消えていた。夢だろうかと思った。けれど灰皿には私のハイライトとあの人のセブンスターの吸い殻が残っていた。

Imagine - John Lennon


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―雨と子犬―

「いえ、特にファンってわけでもないんですけど」僕は言い訳がましく、おじさんの顔とポスターを交互に見た。

「薬師丸ひろ子、いいよねー」おじさんは顔をくしゅりとさせた。
「さっきの、とろんとした目は何だったんですか?」
「ああ、くしゃみが出そうだったんだよ。寒くて風邪を引いちゃったかも」
「そう、ですか……」

「布団はひとつしかないのでコタツでいいですか」コタツの横には万年床が敷いてある。
「充分充分。コタツで寝るの大好きだから」
「ウィスキー飲みますか? ビールと行きたいとこだけど、お金がなくて」
僕の言葉に、おじさんは分かる分かるといわんばかりに頷いている。

「ぼんぼんとは違って家が貧乏ですからアルバイトで細々と食いつないでいます。ウォークマンを買ったからますますお金がなくて」僕は笑った。



「そんな人のウィスキーを飲んじゃっていいのかなあ」
「いいですよ! トリスですけど」

「乾杯」不揃いのグラスを軽く合わせた。
「家はすぐそばなんですか?」チーカマにかぶりつきながら僕は尋ねた。
「うん、このちょっと先なんだ」おじさんは肩越しに人差し指を後ろに向けた。

「家には誰もいないんですか?」
「うん、実家に帰っていてね」おじさんはコクコクと頷いた。仕草が年齢に似合わずかわいらしい人だ。



「寂しい週末ですね」
「いやいや、せいせいしてるよ」両手を肩口でパッと広げた。
「そんなもんですか」
「うん、しょんなもんらよ」さきいかを口にくわえたまま笑った。


サントリートリスCM「雨と子犬」


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