それは、とても単純なクエスチョンでした。神とはなんだろう。それは存在するのだろうか。
まだ頭が柔らかくて、知識欲が旺盛で、なぜ、なに、が夏空の入道雲のようにわき上がる十代のころでした。
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仏陀(ゴータマ・シッダールタ)とキリストは実在したんだろうか。彼らはどんなことをして、どんな言葉を残したのだろう。
さらには、人は死んだらどうなるのだろう。「死後の世界」はあるのだろうか。
あるとすれば、どんなところなんだろう。たくさんの「なぜ」は泡のようにぷくぷくと生まれていきました。
はたして、生まれ変わりはあるのか──。この疑問を探り始めたのは、二十代も半ばだったと記憶しています。
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ちなみに、輪廻転生(りんねてんせい・てんしょう)の思想は仏教にはありますが、キリスト教にはありません。
輪廻の考え方は釈迦以前から存在していたもので、初期キリスト教には、それがあったとする説もあります。
輪廻の状態を脱することを、解脱(げだつ)=涅槃(ねはん)と呼びます。煩悩から脱して自由になることを指します。悟りの境地と言えばわかりやすいかもしれません。解脱は仏教の究極の目標とされます。
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仏陀はこう言いました。
「有情(うじょう=人間のこと)、輪廻して六道に生まるること、なお、車輪の始終なきがごとし」
『心地観経』(しんじかんぎょう)
六道(ろくどう・りくどう)とは、「天」「人間」「阿修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」という六つの領域を指します。その世界で輪廻を繰り返す、とするのが「六道輪廻」です。
「畜生道」があるのですから、動物も生まれ変わります。輪廻を「苦」とし、解脱を目指すのです。
「千と千尋の神隠し」では、食べ物を貪り食う千尋の両親が豚になってしまいました。「人間道」から「畜生道」に落ちてしまったのです。
お釈迦様の話をする予定ではありませんので、これ以上の詳細は省きます。
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疑問は続きます。苦難はなぜ起こるのだろう。ひとはなぜ痛みに苦しみ、なぜ病み、なぜ突然、愛する人たちを残して斃(たお)れるのだろう。
祝福の中オギャーと生まれ、この世に思いを残しながら死んでいく。「死にたくない」と思いながら死んでいく。そこにいったい、どんな意味を見出せばいいのだろう。
短い命をつなぎながら、人類はどこへ向かっているのだろう。
死が不可避な壁であることを知りながら生きている人間。それらを背負ってしまった理由が知りたい。
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マイクロソフトのOS「ウィンドウズ95」が発売された1995年が「日本のインターネット元年」とされます。
覚えているでしょうか。オウム真理教が、凶悪なサリン事件を起こした年です。まだ30年も経ちません。ネットが一般化する以前に、頼りになるのは書籍だけでした。
そんな模索の中、おぼろげながらも見えたことは、苦難や災難、それぞれに「原因」はあっても、思い悩むことには、あまり意味がないだろうこと。大切なのは、どう受け取るかに違いない、ということ。
怒や悲しみ、あらゆるものに、支配されてはいけないということ。言うは易く行うは難しですが。
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そして理解したのは、死後の世界は存在するということ。要求したり、拘束するものは神ではないこと。
その結果として、あらゆる宗教を否定する立ち位置にいます。お金が絡む宗教は疑ってください。入信させようと躍起になるものも同じです。
神は聖書の中にも、あらゆる宗教の中にも存在しません。ただ、イエスや仏陀が遺した言葉のエッセンスは、生きていくうえで糧になるだろう思っています。
ならば、神は存在しないと結論づけたのか。
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いえ、果てしのない宇宙(宇宙年齢は137億年。膨張を続ける宇宙は、それよりはるかに大きいと推測されている)を創り出した「意思」は存在するはずです。
現在定説とされている「ビッグバン」と呼ばれるものが、人知を超えた「存在」抜きで、たまさか起こった現象とは、とても思えないのです。
宇宙の外にも宇宙がある。あるいは、生成の可能性がある、とされますが、天文学者や物理学者たちの研究は推測の域を出ず、その実体は、僕たちの想像の域をはるかに超えているものと思われます。
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日本人は無宗教といわれますが、その指摘は的を外しています。そもそも、聖書の「God」を「神」と訳したことが間違いのもとでした。唯一絶対神の「God」と日本人の「神」とは異なるものだからです。
「God」の概念を持たないだけで、山や川、吹く風、昇る朝日。自然のあらゆるものに宿る「神」を感じながら暮らしてきたのが日本人です。
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日本各地にある「お祭り」は、祈りと感謝です。神輿に乗せた御霊の力で災害を鎮める願いもあります。お祭りは「祀り」に由来しています。
その敬虔な生きざまを理解していないキリスト教圏、あるいは唯一神を信仰する人たちに、日本人はGod(信仰)を持たない、と思われても仕方のないことだといえます。
古来、さまざまな神様を受け入れてきたからこそ、赤ちゃんを連れて神社で「お宮参り」をし、「お神輿」を繰り出し、命を終えたら、お寺で「戒名」をもらわないと収まりがつきません。
そして、ツリーを光らせて、チキンとケーキでクリスマスを過ごします。
そのことに、なんらの不都合も感じませんし、心が咎めることもありません。
たとえば「七福神」。その中で日本由来の神様は、海の神「恵比寿天」一柱(ひとはしら)のみです。
よくペアにされる、打ち出の小槌を持った大黒天は、インドのヒンドゥー教の主神のひとつです。破壊神シヴァが姿を変えたマハーカーラが大黒天であるとされます。
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飲んで美味しい
「YEBISU」さま。もちろん、釣竿と鯛を持った恵比寿天が描かれています。
話は逸れますが、「恵比寿駅」は元々、ヱビスビールの出荷用貨物駅として1901年に開設された駅です。
ご存知のように、「ゑ」と、ヱビスビールの「ヱ」は漢字の「恵」が変形してできたものです。
「ゑ」は、その昔(鎌倉時代の前)の発音は、今にも吐きそうな「we」だったそうです。
話を戻します。
それほどしなやかな日本人が、唯一神を信仰するのは無理があるのでは、と思うのです。
「トイレの神様」という歌が流行りましたが、あれこそが日本人の感性だったのです。(2010年・植村花菜)
そんな僕が手にしたもののひとつが「聖書」です。ここで「メメント・モリ」的なことを書くつもりはありません。
日本古来の神道における観念「八百万の神」を否定するものでもありません。というより、大切にするべきだと思っています。
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「井上あずみ - いつも何度でも」
ジブリ作品はいろんな方が歌っていますが、「千と千尋の神隠し」“いつも何度でも”は木村 弓さんが歌いました。
かなしみの数を言い尽くすより
同じ唇でそっとうたおう♬
貼ったYouTubeは、宮崎駿監督作品
『天空の城ラピュタ』・「君をのせて」
『となりのトトロ』・「さんぽ」「となりのトトロ」「おかあさん」「まいご」を歌った井上あずみさんの歌声です。
さて、「愛」とはなんだろう。
イエス・キリスト編をふたたび始めます。
と言いたいところですが、今日はここまでにします。
では、また。
─To be continued.─