本日26日、BUSINESS INSIDER JAPANより【XB-70 ヴァルキリー、アメリカ史上“最大、最速”の爆撃機になれなかった冷戦の産物】との報道がありました!/( ̄へ ̄)
XB-70 ヴァルキリー、アメリカ史上“最大、最速”の爆撃機になれなかった冷戦の産物
NASA
ナショナル・インタレスト(The National Interest)によると、その機はアメリカ史上“最大、最速の爆撃機”だった。
XB-70 ヴァルキリーは自らの衝撃波に乗って飛び、最高速度はマッハ3、高度7万フィート(約2万1000メートル)に達することができた。
だが、同機は量産されず、今は世界に1機が残るのみ。オハイオ州デイトンの国立アメリカ空軍博物館(The National Museum of the US Air Force)に展示されている。
XB-70は1950年代に敵の迎撃機や防空網を振り切る目的で開発されたが、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の登場によりその存在意義を失った。
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1961年、ジョン・F・ケネディ大統領はXB-70の計画を打ち切った。だが、機自体は1969年まで研究目的で飛び続けた。
初飛行は1964年9月。
1機目のXB-70Aはマッハ2.5以上で飛行、一度だけマッハ3を超えた。2機目のXB-70Bは翼の角度を5度だけ調整し、操縦性が向上した。XB-70Bの初飛行は1965年7月。
全長185フィート(約56m)。
全幅105フィート(約32m)。
全高30フィート(約9.1m)。
エンジンはゼネラル・エレクトリック製YJ-93ターボジェットエンジン 6基。
巡航飛行を行うXB-70。高速飛行中は主翼の先端を折り下げ、操縦性を向上させた。
最高速度はマッハ3、最高高度は7万フィート(約2万1000メートル)を超えた。
コックピット。
機内後方からの別ショット。
1966年6月8日、高速飛行のテスト中に追跡機のF-104Nと衝突。F-104のパイロットとXB-70の副操縦士が死亡した。機長は緊急脱出したが、大怪我を負った。
F-104とXB-70が衝突する直前の写真。XB-70を中心に、T-38A、F-4B、F-104(尾翼がオレンジ)、YF-5Aが編隊飛行を行った。
XB-70Bが失われたあと、1機目のXB-70Aのみが残った。
1969年2月まで、XB-70は研究目的で飛び続けた。研究の多くは、B-1爆撃機の開発に貢献した。
2015年10月、世界に1機のみのXB-70は国立アメリカ空軍博物館の新しい建物に移動。
今日に至る。
との事です。
なを、詳しくは下記のURLから各自で確認をお願いします↓
https://www.businessinsider.jp/post-167213