昨日の続きですが、広げ放題を最終的に回収する予定ではあります。
しばしお付き合いくださいませ♪
今日は、ともぴさんのお話してくれた、怒りの壺について感じたことです
http://ameblo.jp/thste708/entry-12173916390.html
怒りの壺のお話はこちら
一回怒りのスイッチが入っちゃうと過去のことも紐付けして、相手にぶちまける、という性質。
非常に納得しました。
あったな、って。
で、いま。
壺の中身はないのですよ、わたし。
そもそも、なぜ壺がいっぱいになるか、というと。
自分と同じように思ってもらいたい、わかってもらいたい、が根っこにあって。
理解してもらえない悲しみがひとつ、またひとつ、って大事に取っておいてしまうのですね。
今度は、なぜ私の壺の中身がないかというと。
我慢しなくなったから、です。
私は、それは嫌だ。
私は、良くないと思っている
私は、嬉しくない。
いちいち伝えます。
我慢できるような小さいことこそ、自分の感情を大事にします。
小さいことの積み重ねで壺がいっぱいになるのは経験済みです。
そして。
思い通りにしようとしない。
検証してませんが、前者の怒りの壺にひっかかるのは後者の自然な姿だったりするように思います。
つまり、勝手に心配して怒っています。
さらに、後者は一つ一つの出来事がつながっていない
http://ameblo.jp/mukae-443/entry-12152074405.html(向江さんによる説明)
ということが分かれば、壺を吐き出したところで、自分が悲しみに暮れるだけ、という残酷な結果が待っていることも分かってしまいます。
とはいえ。
大体は、その場で伝えればわかってもらえるので、壺に入れる怒りも発生しません。
あとは、本人が大丈夫と思っているのだから、信じる、ということ。
ここまで。
自分の体験のみです。
しかーし。
前者同士で怒りの壺が溜まる、とかはないように思います。
そして。
人として、こじらせていない前提です。
前者であっても自分と向き合う必要のある人は、怒らせ上手なようなので壺以前の話です。
これ以上広げると収集がつかなくなるので、やめます。
思っていたことをつらつら書いてみただけなので、感じ方はそれぞれね~、っていうくらいの目線で見ていただけるとよいかなーと思います。
次は、前者アプリについて、書きます。
自分のエネルギーがあるタイミングでいきます。
おやすみなさい。