前者はね、
怒りの壺をお腹の中に持っているんです
前者後者座談会の打ち合わせをしていた時
向江ちゃんから
「前者の怒りってなんかあると思うんだよね~~、そもそも後者は怒りの感情をいつまでも憶えてられないし」
みたいなことを聞かれた時がありまして
たまたまその時に紅茶を飲んでいたから
目の前に紅茶ポットがあったのね
そこでふと、ひらめいた!
前者はふとしたきっかけから
過去の嫌だったこと、悲しかったこと
そんなことがよみがえる瞬間があります
それはもう随分と昔のことも
まるで昨日のことのように鮮明に
1度その記憶の蓋が開いてしまったら
ふつふつと
過去の怒りや悲しみ、悔しかった思いが
つぎから次へと思い出され
あっという間にわたしという人間はその怒りの僕(しもべ)となってしまう…
これね、旦那さんにも話したら「すっごく分かる!」って言われた…
はたから見ていて突然何か分からないスイッチが押されて、もうどうにも止まらなくなっていること
「よくあるよね」って。
旦那さんは「あー、また来たなー」と思っていたらしいです。
そう普段はね、ぎゅっと蓋をしているから
感情的になってはいけないと思っているから
でもある時突然自分の中にしまってある怒りや悲しみに繋がるキーワードに触れてしまったりすると(わりと後者旦那さん、そのスイッチに知らずに触れる…それを笑顔で地雷を踏むとも言う)
怒りの壺の蓋が開いて
あっという間に
自分では止められないほど
感情が溢れ出す
紅茶のティーバックがずらっと繋がっているような
それに近い過去の経験が紐付けられていて
悲しい、怖い、過去があざやかに怒りとしてよみがってくる…
この話を前回の座談会でもさせていただきました。
前者さんに激しく同意いただきました^ - ^
こうなっちゃうと(蓋が開いちゃうと)自分でもどうにも止められない
全部吐き出すまでは
周りのひとはただ嵐が過ぎ去るのを待つしかないという状態…
周りのひとの困った顔をみて前者自身も実は落ち込む。
ずっとこんな感じだった…
途方に暮れている
でも、心屋に来たら
記憶は700パーセント嘘^_-☆
って仁さんが言うんですよ
そっか、まるで昨日のことのように鮮明なこの怒りは
わたしがそうやって何度も思い出して
記憶に上書きしていくうちに
どんどん大きくなっていただけ
なんだ、そうなんだ、ホッ(笑)
なあんだ、そうか!
って安心したんだよね。わたしが怖がっていたのは自分が作り出した幻想だったのかって。
向江ちゃんいわく、
他人軸になりやすい前者が
唯一、自分自身の感情として捉えられる感情
それが怒り
だから否定することもないんだよね。
って。
たしかにー。
怒りという感情を否定していたよね。
出したらいけないって。
でも押し込めれば押し込めるほど
それは巨大化していくんだ
だから怒りの感情もちゃんと出してあげればいい
その怒りの裏に隠れている
悲しい、寂しいっていう自分の気持ちを見つけてあげて
ちゃんと伝えればいい(ちょっと勇気がいるけどね)
そういうことなんだね。
後者さんって
この怒りの感情、ずっと持っておくにはとっても努力して握りしめていないといけないんですって。ふっと力を抜いたらすぐに忘れしまうらしい…
そのあたりは詳しく向江ちゃんが解説してくれるでしょう。
後者さんへ
前者の地雷を踏むときっとこんなことがおこっているのでしょう…感情を出し尽くすまではほっておいてください。
ああ見えても前者、落ち込むこともあります。
(そう見えないみたいだけど!)
しばらくそっとしておいてくださいね。
くれぐれもヘタに慰めたり
火に油を注ぐような!
言葉をかけるよりも、そっと見守っていてください。どうぞよろしくお願いします。
前者も自分の感情を大切にしていったらいいと思う。ちゃんと味わう、って大事なんだよね。悲しいこも楽しいことも。
そんな前者あるあるを
座談会当日は質問いただきながらお伝えしております
そもそも前者後者って何かわからない、自分がどちらかも…?
そんな方も大丈夫、向江ちゃんが解説した上でバッサリ判定してくれますよ。
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心屋認定リセットカウンセラー
ともぴ☆でした