<クーパー、
ステープルドン、
シラス>
1435「アンドロイド」
エドマンド・クーパー
長編 小笠原豊樹:訳 早川文庫
水爆戦争に備える政府の冷凍計画に従事していたマーカムは、
ふとした事故から冷凍状態のまま150年の時を眠っていた。
やがて意識を回復した彼の見たのは、
妻にそっくりの超高度ロボット――
アンドロイドのマリオンAだった。
政治にいたるまでの一切の仕事が
忠実なこれらのアンドロイドに委ねられている22世紀にあって、
マリオンAはマーカムに人間的感情を教えられる。
だが、
それがいつかマーカムへの恋心となったとき、
アンドロイド万能の社会に反旗を翻す彼の前で、
みずから彼女が選んだのはもっとも人間的行為――
自殺だった。
不朽のアンドロイド女性を生んだ名作登場!
<ウラスジ>
生き残ったのは少数の人間と、
それに仕える多数のアンドロイド。
至れり尽くせりの状況に飼いならされ、
世界の支配権は完全にアンドロイドに握られている人類。
ここに現われた20世紀人マーカム。
自分の私用アンドロイド<マリオンA>を教育し、
アンドロイド支配に抵抗する
”逃亡者” と呼ばれる人々の中に身を投じ、
解放軍を組織します。
そしてこの戦いに勝利――。
……『マトリックス』の先駈けもいいとこ。
映画『マトリックス』の時も、
「夢を見るのがなぜ悪い?」
「余計なことをするな」
的な少数(?)意見もあったけど……。
この『アンドロイド』の読後感としても、
「おれならアンドロイド側につく」
「このままでいい」
とか言ってた奴もいたっけ。
<アンドロイドの成り立ち>
ロボットや電子計算器が実用化され始めた時期は、
一九四〇年代初期にまでさかのぼる。
<中略>
初期のロボットは、戦車タンクに似た重たい怪物だった。
<中略>
初めロボットは危険な仕事あるいは
変則的な仕事のために設計された。
それがやがては普通の工場労働者や、農民や、
事務員の仕事を引き受ける器械となった。
そして、
すでに存在している器械を
ロボットは使用しなければならないから、
器械をそのままのかたちにしておく上は、
ロボットを大よそ人間に近いかたちに
製作しなければならなかった。
<中略>
ロボットは工場の人的資源という問題を解決した。
次に発生するのは、必然的に、
家庭の労働力という問題である。
とりあえず、
大きな足をしたぶざまな怪物が、
台所や庭で使われるようになった。
しかし、かれらの家庭労働の能力が進むにつれて、
器械らしさの少ない、もっと人間に似た――
要するに、
台所だけではなく居間や子供部屋でも使えるような
ロボットの出現が、待たれるようになった。
食卓の支度をしたり、子供の面倒をみたり、
ベッドをこしらえたり、掃除をしたりするロボット……
カクテルを作り、子供にお伽話をきかせ、
チェスやブリッジやホイストの相手もするロボット……
誕生日や会合の約束を記憶しているロボット……
孤独な人の話相手になり、老人の付添いになるロボット……
これがアンドロイドの始まりだった。
<本編42~44P>
<最後>
マーカムは生身の人間の女性ヴィヴェインと
どうにかなりそうです。
それを踏まえたマリオンAは、
死ぬことで身をひきます。
泣ける。
何度か書いたと思うけど、
筒井さんの『お紺昇天』。
「ジャイアントロボ」の最終回。
人の心を持ってしまった ”機械” は
涙腺を緩ませてしまうことが多いようです。
<余談>
本編解説でも、
『世界のSF文学:総解説』でも、
触れていた、
アシモフの<ロボット三原則>。
「クーパーのアンドロイドは、
<ロボット三原則>に代表される
アシモフのロボット哲学を越えてしまっている」
「ここに登場するアンドロイドは、
アシモフが定義づけた<ロボット三原則>を超え、
もはや機械というよりも疑似生命というべきだろう」
『ターミネーター』なんか見ると、
とっくにその ”箍たが” は外れてんだけど。
1436「オッド・ジョン」
オラフ・ステープルドン
長編 矢野徹:訳 早川文庫
歩くことも這うこともできない発育不全の赤ん坊が、
実は五歳だった。
彼の名はオッド・ジョン……
だが、
その子供は高等幾何学を解し、
テレパシー、催眠術などのさまざまな超能力をも持つ
ミュータントだったのだ!
人間を劣等種族とみなす彼は
愚かなる人類により呪詛、疎外されている
<超人類>を結集し、
新世界を建設すべく
崇高かつ遠大な計画を胸に立ちあがった。
ホモ・サピエンスにとって代る、
新しい人類によってこの地球を引き継ぐために!
宇宙的広がりの理想主義と、
深遠な哲学的洞察を導入した、
SFの古典的名作登場!
<ウラスジ>
1934年作。
ミュータント・テーマの先駈け。
ワイリーの『闘士』1930年とともに。
このリンク先には『スラン』も含まれてるので、
そちらの方も御覧あれ。
新人類・超人とされる
”ミュータント” や ”エスパー” 。
このテーマのパターンは、
この『オッド・ジョン』のように
仲間を募って集まり結局は自滅するのか、
次の『アトムの子ら』のように――
……とそれは次のところで。
<『世界のSF文学:総解説』
によるアウトライン>
SFであることを意図せずに書かれた、
つまり小説構成上の設定から出たのではなく、
作者の哲学的構想の延長として生まれた超能力者
――正確には新人類の物語である。
したがって小説は、ジョンの誕生から二三歳の死に至るまで
最も近くにいたジャーナリストの<わたし>=旧人類
による報告という形で展開する。
<野村芳夫:『世界のSF文学:総解説』より>
<余談>
最近になってちくま文庫から
未訳だった『スターメイカー』が出て
ホント、久しぶりにステープルドンを読むことになりました。
で、
これは<余談の余談>に値することですが、
同時期に『ケプラーの夢』も拝読いたしまして、
この二冊の類似点に感興を抱いた次第です。
いずれも ”夢” のお話。
1437「アトムの子ら」
ウィルマー・ハウズ・シラス
長編 小笠原豊樹:訳 早川文庫
成績はオールB、
ごく平凡でおとなしい少年ティモシー。
だが彼はその見かけと裏腹の超天才児――
15年前の
原子力研究所の事故が原因で生まれたミュータントだった。
その若さにもかかわらず、
図書館から借りだせるすべての本を読破し、
小説や論文、はては作曲までこなす。
それほどの能力を持ちながら、
その彼にふさわしい本当の友達ができなかった。
そこでティモシーは
同じような天才児を集めて ”学校” を作るが、
やがて思いがけぬ事件がつぎつぎと……!
突然変異によって生まれた天才児たちの姿を、
女性らしい情感豊かな筆致でいきいきと描きだした
ミュータント・テーマの傑作。
<ウラスジ>
まずは宿題(?)の答え。
仲間を募ったミュータントたちですが、
現実に沿ったかたちで、ひとりひとり、
普通人のなかに入り込んでいくことに決め、
解散してゆきます。
つまりは生き延びます。
ゼナ・ヘンダ―スンの<ピープル・シリーズ>のように。
<余談>
一人一冊。
トム・ゴドウィンといえば「冷たい方程式」、
ダニエル・キイスといえば「アルジャーノンに花束を」。
こういう具合に、
その小説がその作家の代名詞になるぐらい、
その一作だけで愛されている作家がいる。
本書の作者、
ウィルマー・H・シラスもその一人といえるだろう。
<あとがきより>
その他、”この作家のこの一冊” 。
『成長の儀式』 アレクセイ・パンシン
『黙示録三一七四年』 ウォルター・ミラー
(紹介済み)
『オブザーバーの鏡』 エドガー・パングボーン
(もうすぐ登場)
『アンドロイド』や『闘士』もその部類かな。
<余談>
ミュータントの子供って言うと、
真っ先に思い出すのは、
漫画(アニメ)「エイトマン」
に出て来た ”超人類ミュータント” 。
漫画で子供を描くときの常套手段――
<頭でっかち>に加え、半ズボンのスーツ姿が
印象的でした。
……記憶は定かじゃありませんが、
確か<悪役>だったよね?
当時(1963年ごろ)、
漫画でもアニメでも、
子供の<悪役>って珍しかったから、
それで印象深かったんだと思います。
これ、漫画でもアニメでも見たはずなんだけど……。
<追記>
残っている<ミュータント>ものは、
ウィンダムの『さなぎ』ぐらいかな……。