涼風文庫堂の「文庫おでっせい」190 | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<ワイリー、

ヴァン・ヴォ―クト、

パンシン>

 
 

601「闘士」

フィリップ・ゴードン・ワイリー

長編   矢野徹:訳  伊藤典夫:解説

早川文庫

 

 

 

ヒューゴー・ダナーは超人だった!

 

彼がまだ母親の胎内にいたとき、

生物学教授である父が注射した特殊な血清のために、

人並はずれた筋肉と明晰な頭脳を持つ

不死身の人間として生れてきたのである。

 

しかし彼は決して幸せとはいえなかった。

 

その驚くべき力ゆえに、

人々は彼を怖れ、妬み、憎悪したからだ!

 

――世界を支配できるだけの力を持ちながらも、

その超人的な力をひた隠しに隠し、

人間社会のさまざまな弊害を乗り越えて、

力強く生き抜こうとする一人の超人の苦悩と勇気を、

ヒューマニズムあふれる説得力と

格調高い筆致とによって描きだした

超人テーマの古典的名作!

                        

                        <ウラスジ>

 

 

あの 『スーパーマン』 の

下敷きになった(と言われる)

1930年の作品。

 

またこの作品が、SF史のなかで不朽の名をとどめているのは、

これがSFにスーパーマンのアイデアを本格的に持ちこんだ

ほとんど最初の長篇でもあったからである。

 

                 <伊藤典夫:解説より>

 

悩める超人。

 

1960年代、テレビドラマだった 

『スーパーマン』 も 『バットマン』 も、

さほど悩みもせず、

どちらかと言えば脳天気に回をこなしていました。

 

それが80年代に映画化が始まると、

途端に懊悩するヒーローになりはてます。

 

悪役にも背景を求めるハリウッド的 

”似非ヒューマニズム” 批評が、

主人公を悩める子羊にしてしまった観が

拭いきれないんですが……。

 

スタート当時の 『キン肉マン』。

ウィル・スミスの 『ハンコック』。

 

とにかく巨大な能力を持て余していて、

平常時には何かと煙たがられ気味の ”超人” たち。

 

この作品のラストにもあるように、

最後に大仕事をして、

神との対話に入るというパターン、

これ定番の一つのような気がします。

 

あと1930年だから、世界大戦は、<第一次>なんですね。

 

第一次大戦と言ったら、レマルクの 

『西部戦線異状なし』。

 

映画だとゲーリー・クーパーが

一回目のアカデミー主演男優賞を獲った

『ヨーク軍曹』。

 

いずれも塹壕戦ですね。

 

もひとつ言わずもがなのことを。

 

神と超人、これ、

ニーチェの 『ツァラトゥストラかく語りき』 を忍ばせます。

 

 

 

 

 

 
 
 
 

602「 ス ラ ン 」

   アルフレッド・エルトン・

     ヴァン・ヴォ―クト
長編   浅倉久志:訳  早川文庫
 
 
スランだ!
殺せ!
 
一瞬にして街路は阿鼻叫喚の坩堝と化した。
 
敵意に満ちた人々の執拗な追跡のなかを、
まだあどけない顔立ちの少年は逃げる。
 
黒髪にまじる一房の金色の巻き毛を風になびかせながら。
 
追いかけてくるのは死、
待ちうけるのは恐怖!
 
だがその幼い少年こそ、秘密の鍵――
並みはずれた知能と能力を持つがゆえに虐げられ、
迫害される新人類スランの未来を開く鍵を握る
ただ一人の人間だった!
 
壮大なスケールと錯綜するプロット、
迫力ある筆致によって濃密なSFムードを醸しだす達人――
ヴァン・ヴォ―クトがみごとに描きだした
ミュータント・テーマの不滅の名作!
                               
                        <ウラスジ>
 
 
1940年。
ヴァン・ヴォ―クトの処女長編。
 
”スラン” とは並外れた知力と体力と読心能力を持つ新人類で、
外見的には額の触毛と二つの心臓とが人間とは違っている。
 
スランには ”亜種” が存在していて、
これが一大勢力を持っています。
その名も、人の心が読めない ”無触毛スラン”。
 
よって対立の図式的には、
人類 vs 無触毛スラン vs 純スラン
となっていますが、それほど混み入ってはいません。
 
ジョミー・クロスとキャスリーン・レイトン。
 
この二人の恋の行方が、今風で言う<萌えポイント>。
 
竹宮恵子さんの 『地球(テラ)へ…』 の
主人公ジョミー・マーキス・シンは、
『スラン』 のジョミー・クロスにちなんだものだそうです。
 
しかし、竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子 の 
”御三家” に山岸涼子。
 
あの頃はホントによく少女漫画を読まされました。
 
でも、個人的にはこの小説の疾走感だとか展開の速さが
大友克洋の 『AKIRA』 を思い起こさせるんですよね……。
 
 
あとは――『スラン』 と訊くと
『宇宙少年ソラン』 を思い出す世代。
 
宇宙リス・チャッピーとのテレパシー会話の演出が印象的でした。
 
それから、あの丸くて透明なソランの<乗り物> 
”エンゼル号” が忘れられません。
 
『W3(ワンダースリー)』 の 
”ビッグローリー”
『スーパージェッター』 の 
”流星号”
そして 『宇宙少年ソラン』 の 
”エンゼル号” 
 
この三つが私の子供時代の ”スーパー・メカ” でした。
 
 
 
 
 
 

603「成長の儀式」

アレクセイ・パンシン
長編   深町真理子:訳  早川文庫
 
 
 
人工爆発による大戦争で地球は滅び、人類はかろうじて、
百余の植民惑星と八隻の巨大な<船>とに散って生きのびていた。
 
その<船>のひとつで生まれた多感な少女マイア――だが、
14歳を迎える彼女には厳しい試練が待ち構えていた。
 
<船>の規律により14歳になると、
30日間を敵意に満ちた植民惑星で生活し、
そこで生きぬいた者のみが、
一人前の成員としてみとめられるのだ。
 
この<成長の儀式>を間近にひかえ、
マイアもまた苛酷な世界で生きぬく勇気と知識を
学びとらねばならなかった!
 
一人の少女の成長過程を、
情感豊かにみずみずしく描きあげた1968年度ネビュラ賞受賞作
 
                        <ウラスジ>
 
 
この表紙、なんだかハインラインの
 『宇宙の孤児』 に似ていませんか。
 
巨大な、いわゆる<世代宇宙船>を舞台にしているところなんか、
まるまんま、アイデアの租借でしょう。
 
それもそのはず、パンシンは熱狂的なハインラインのファンで、
研究書まで書いているほどなのです。

もっとも、
その研究書で作風変化について、
やいやい言ったらしく、
当のハインラインから出版差し止めまでくらいかけたようです。
 
で、この 『成長の儀式』 は、
ハインラインの変貌に対する
抗議の意味で書かれたとか。
 
まあ、ここまでやるファンとか、どんなもんなんでしょう?
 
 
ファン気質は大まかに言って三つあることは結構知られています。
 
(1)対象を神の如く崇め奉る。
(2)自分がその対象になろうとする。
(3)対象が変容すると手の平を返す。
 
(3)のパターンが一番多いかな。
で、こういった現象を真っ先に思い出します。
 
ボブ・ディランがエレキ・ギターを使った時に
ファンたちが一斉にブーイングした。
 
日本でも、岡林信康さんや吉田拓郎さんが
同じ目に遭ったと聞いています。
 
ちなみに、ディランのバックは<ザ・バンド>。
岡林信康さんのバックは<はっぴいえんど>でした。
 
もとい。
 
しかし、ハインラインの変化って、
どの辺を指しているんだろう?
 
作風に限らず、いろいろと<変ってみせた>ハインラインです。
 
『宇宙の戦士』で右翼といわれ、
『月は無慈悲な夜の女王』で左翼といわれ、
『異性の客』でヒッピーといわれました。
 
なんか、つらつら思んみるに、
パンシンのハインライン崇拝は、
<未来史シリーズ>あたりで終わっているのかも。
 
だとしたら、
 
はや。