<ワイリー、
ヴァン・ヴォ―クト、
パンシン>
601「闘士」
フィリップ・ゴードン・ワイリー
長編 矢野徹:訳 伊藤典夫:解説
早川文庫
ヒューゴー・ダナーは超人だった!
彼がまだ母親の胎内にいたとき、
生物学教授である父が注射した特殊な血清のために、
人並はずれた筋肉と明晰な頭脳を持つ
不死身の人間として生れてきたのである。
しかし彼は決して幸せとはいえなかった。
その驚くべき力ゆえに、
人々は彼を怖れ、妬み、憎悪したからだ!
――世界を支配できるだけの力を持ちながらも、
その超人的な力をひた隠しに隠し、
人間社会のさまざまな弊害を乗り越えて、
力強く生き抜こうとする一人の超人の苦悩と勇気を、
ヒューマニズムあふれる説得力と
格調高い筆致とによって描きだした
超人テーマの古典的名作!
<ウラスジ>
あの 『スーパーマン』 の
下敷きになった(と言われる)
1930年の作品。
またこの作品が、SF史のなかで不朽の名をとどめているのは、
これがSFにスーパーマンのアイデアを本格的に持ちこんだ
ほとんど最初の長篇でもあったからである。
<伊藤典夫:解説より>
悩める超人。
1960年代、テレビドラマだった
『スーパーマン』 も 『バットマン』 も、
さほど悩みもせず、
どちらかと言えば脳天気に回をこなしていました。
それが80年代に映画化が始まると、
途端に懊悩するヒーローになりはてます。
悪役にも背景を求めるハリウッド的
”似非ヒューマニズム” 批評が、
主人公を悩める子羊にしてしまった観が
拭いきれないんですが……。
スタート当時の 『キン肉マン』。
ウィル・スミスの 『ハンコック』。
とにかく巨大な能力を持て余していて、
平常時には何かと煙たがられ気味の ”超人” たち。
この作品のラストにもあるように、
最後に大仕事をして、
神との対話に入るというパターン、
これ定番の一つのような気がします。
あと1930年だから、世界大戦は、<第一次>なんですね。
第一次大戦と言ったら、レマルクの
『西部戦線異状なし』。
映画だとゲーリー・クーパーが
一回目のアカデミー主演男優賞を獲った
『ヨーク軍曹』。
いずれも塹壕戦ですね。
もひとつ言わずもがなのことを。
神と超人、これ、
ニーチェの 『ツァラトゥストラかく語りき』 を忍ばせます。
602「 ス ラ ン 」
アルフレッド・エルトン・
ヴァン・ヴォ―クト
長編 浅倉久志:訳 早川文庫
スランだ!
殺せ!
一瞬にして街路は阿鼻叫喚の坩堝と化した。
敵意に満ちた人々の執拗な追跡のなかを、
まだあどけない顔立ちの少年は逃げる。
黒髪にまじる一房の金色の巻き毛を風になびかせながら。
追いかけてくるのは死、
待ちうけるのは恐怖!
だがその幼い少年こそ、秘密の鍵――
並みはずれた知能と能力を持つがゆえに虐げられ、
迫害される新人類スランの未来を開く鍵を握る
ただ一人の人間だった!
壮大なスケールと錯綜するプロット、
迫力ある筆致によって濃密なSFムードを醸しだす達人――
ヴァン・ヴォ―クトがみごとに描きだした
ミュータント・テーマの不滅の名作!
<ウラスジ>
1940年。
ヴァン・ヴォ―クトの処女長編。
”スラン” とは並外れた知力と体力と読心能力を持つ新人類で、
外見的には額の触毛と二つの心臓とが人間とは違っている。
スランには ”亜種” が存在していて、
これが一大勢力を持っています。
その名も、人の心が読めない ”無触毛スラン”。
よって対立の図式的には、
人類 vs 無触毛スラン vs 純スラン
となっていますが、それほど混み入ってはいません。
ジョミー・クロスとキャスリーン・レイトン。
この二人の恋の行方が、今風で言う<萌えポイント>。
竹宮恵子さんの 『地球(テラ)へ…』 の
主人公ジョミー・マーキス・シンは、
『スラン』 のジョミー・クロスにちなんだものだそうです。
しかし、竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子 の
”御三家” に山岸涼子。
あの頃はホントによく少女漫画を読まされました。
でも、個人的にはこの小説の疾走感だとか展開の速さが
大友克洋の 『AKIRA』 を思い起こさせるんですよね……。
あとは――『スラン』 と訊くと
『宇宙少年ソラン』 を思い出す世代。
宇宙リス・チャッピーとのテレパシー会話の演出が印象的でした。
それから、あの丸くて透明なソランの<乗り物>
”エンゼル号” が忘れられません。
『W3(ワンダースリー)』 の
”ビッグローリー”
『スーパージェッター』 の
”流星号”
そして 『宇宙少年ソラン』 の
”エンゼル号”
この三つが私の子供時代の ”スーパー・メカ” でした。
603「成長の儀式」
アレクセイ・パンシン
長編 深町真理子:訳 早川文庫
人工爆発による大戦争で地球は滅び、人類はかろうじて、
百余の植民惑星と八隻の巨大な<船>とに散って生きのびていた。
その<船>のひとつで生まれた多感な少女マイア――だが、
14歳を迎える彼女には厳しい試練が待ち構えていた。
<船>の規律により14歳になると、
30日間を敵意に満ちた植民惑星で生活し、
そこで生きぬいた者のみが、
一人前の成員としてみとめられるのだ。
この<成長の儀式>を間近にひかえ、
マイアもまた苛酷な世界で生きぬく勇気と知識を
学びとらねばならなかった!
一人の少女の成長過程を、
情感豊かにみずみずしく描きあげた1968年度ネビュラ賞受賞作
<ウラスジ>
この表紙、なんだかハインラインの
『宇宙の孤児』 に似ていませんか。
巨大な、いわゆる<世代宇宙船>を舞台にしているところなんか、
まるまんま、アイデアの租借でしょう。
それもそのはず、パンシンは熱狂的なハインラインのファンで、
研究書まで書いているほどなのです。
もっとも、
その研究書で作風変化について、
やいやい言ったらしく、
当のハインラインから出版差し止めまでくらいかけたようです。
で、この 『成長の儀式』 は、
ハインラインの変貌に対する
抗議の意味で書かれたとか。
まあ、ここまでやるファンとか、どんなもんなんでしょう?
ファン気質は大まかに言って三つあることは結構知られています。
(1)対象を神の如く崇め奉る。
(2)自分がその対象になろうとする。
(3)対象が変容すると手の平を返す。
(3)のパターンが一番多いかな。
で、こういった現象を真っ先に思い出します。
ボブ・ディランがエレキ・ギターを使った時に
ファンたちが一斉にブーイングした。
日本でも、岡林信康さんや吉田拓郎さんが
同じ目に遭ったと聞いています。
ちなみに、ディランのバックは<ザ・バンド>。
岡林信康さんのバックは<はっぴいえんど>でした。
もとい。
しかし、ハインラインの変化って、
どの辺を指しているんだろう?
作風に限らず、いろいろと<変ってみせた>ハインラインです。
『宇宙の戦士』で右翼といわれ、
『月は無慈悲な夜の女王』で左翼といわれ、
『異性の客』でヒッピーといわれました。
なんか、つらつら思んみるに、
パンシンのハインライン崇拝は、
<未来史シリーズ>あたりで終わっているのかも。
だとしたら、
はや。