<シマック、
ブラウン、
ヴォネガット>
604.「都市」
クリフォード・ダグラス・シマック
長編 林克己/福島正実/三田村裕:訳
早川文庫
機械文明の超高度な発達の結果は、
皮肉にも人類に広場恐怖症を蔓延させた。
やがて人々は都市を離れ、次第に郊外へと、宇宙へと、
そして異世界へと旅立っていった。
都市はいつしか廃墟となり、幾世紀を重ねる間に人類の存在さえ
一つの神話と化して厖大な時の流れのなかに見失われてしまった。
いまや地球の支配は、かつて人間によって開発され、
優秀な頭脳を持つに到った犬族へと移っていた。
かれらはわずかに残る古代の文献の整理、校訂することで、
幻の人類伝説の再構成を試みたのだが……。
1953年度 国際幻想文学賞の受賞に輝く、
シマックの古典的名作ついに登場!
<ウラスジ>
う~、わんわん。
第一話 都市
第二話 密集地
第三話 人口調査
第四話 逃亡者
第五話 パラダイス
第六話 道楽
第七話 イソップ
第八話 簡単な方法
これら八つの短編を集めたオムニバス長編。
それぞれの短編の前に、『覚え書き』が付いていて、
全体の統一性を保っています。
ワンちゃんが本格的に登場するのは、<第三話>からです。
人間だとウエブスター家、
そしてその家の家政担当ロボット・ジェンキンズが
犬たちの進化のキーマンになります。
人類の痕跡を探る犬の歴史学者――
その犬の学界では、人類は神話上の存在に過ぎず、
実在しなかったものとされる意見の方が多数派を占めている――。
人類はとうの昔に地球を捨てて木星へ移住しています。
やがて他種(蟻)の殺傷の必要性に迫られた、
平和主義の犬たちが選んだ道は――。
ええ~、
世の中にはいろんな読者がいて、いろんな、
奇想天外とも言える見方をする人もおられます。
この、『都市』 に関してもそういうのがあったので、
ここに記しておきます。
その U という奴の言い分だと、
人類の後継者に、「犬」を設えたところがミソなんだそうです。
(ちなみに U は、<ケン>という名のシェパードを飼っていました)
この『都市』という作品は、壮大な、地学レベルでの、
”犬たちの御主人探し”、を暗示しているのであって、
それはすなわち、
<忠犬物語>にほかならない、と。
得意の嗅覚(?)でかつての飼い主の存在を割り出し、
最後には、ご主人様目指して、
自分たちも旅に出ることを示唆して終わる――。
スゴイこじつけですが、
一笑に付せないところがありました。
恐ろしく長いスパンでの、
「忠犬ハチ公」
「南極物語」のタロジロ。
「信じられぬ旅」(三匹荒野を行く)。
いずれも実話だからな……。
なんか、ワンちゃん目線で繙くと、何処かいたいけで、
せつなくなるようなお話です。
これは、火があかあかと燃え、北風が吹きすさぶとき、
犬の物語る話の数々です。
どこの家庭でも、みんな炉ばたにつどい、小犬たちは黙々と坐って、
話に耳をかたむけ、話が終ると色々な質問をします。
たとえば、「人間ってなあに?」とか、
「都市ってなあに」とか、
「戦争ってなあに?」と、いう風に。
このイントロで何かを感じた人。
とにかく犬好きの人。
この作品を一度ご賞味あれ。
SFではなく、幻想文学ですし。
605.「発狂した宇宙」
フレドリック・ブラウン
長編 稲葉明雄:訳 筒井康隆:解説
早川文庫
第一次ロケット計画は失敗に終った!
不運にも墜落地点にいたSF雑誌<サプライジング・ストーリーズ>の
編集者キース・ウィントンの遺体は、
粉微塵に吹き飛ばされたのか、ついに発見されなかった。
ところが、彼は生きていた――
ただし、なんとも奇妙な世界に。
そこでは通貨にクレジット紙幣が使われ、
身の丈7フィートもある月人が街路を闊歩し、
そのうえ地球は、アルクトゥールス星と熾烈な宇宙戦争を
繰り広げていたのだ!
多元宇宙ものの古典的名作であると同時に、
”SF” の徹底したパロディとして、
SFならでは味わえぬ痛快さと、奇想天外さに満ちた最高傑作!
<ウラスジ>
『火星人ゴーホーム』 と双璧をなす、
ブラウンの代表作。
ちなみに星新一さんは、『火星人ゴーホーム』派で、
筒井康隆さんは、『発狂した宇宙』派だそうです。
多元宇宙もののアドヴァンテージは、
<タイム・パラドックス>に囚われなくてもいいこと、だと思います。。
ここがタイムトラベルものとの違いなんですが、
その別の世界で何をしても構わないし、
たとえ殺人を犯そうとも、歴史改竄などに気を配る必要はありません。
また、逆に出発点(原点)との因果関係を提示する必要もないので、
ともすれば、制約のない、緊迫感に欠けた話になってしまいます。
ですから、そこに加えられるのは、
パロディ、ドタバタなどの喜劇要素、
もしくは
戦い、殺戮などのサスペンス要素です。
ジェット・リーの『ザ・ワン』などは
まさにそこに的を絞って作られた映画でした。
多次元の<自分たち>を皆殺しにして、
<自分>が唯一の存在【ONE(ワン)】に君臨することを目指す、と。
いやあ、ジェットリーはリー・リンチェイ 『少林寺』 時代から
ずっと観てたからな……。
どことなく中村繫之さんに似てたような……。
もとい。
爆発によって変わったモノは、
再び爆発によって変わる。
もしかしたら元に戻れるかもしれない。
主人公キースが最後の<爆発>で手に入れた世界は――。
最後に、筒井康隆さんの解説の一番最後の部分を紹介しておきます。
それにしてもこの作品をこれから読むという人、
ほんとにしあわせな人ですなあ。
606.「プレイヤー・ピアノ」
カート・ヴォネガット・ジュニア
長編 浅倉久志:訳 早川文庫
すべての生産手段が完璧に自動化され、
すべての人間の運命がパンチ・カードによって決定される世界――
ピアニストの指を拒絶し、飽くことなく自動演奏を続ける
プレイヤー・ピアノの世界がグロテスクかつシリアスに描かれた時、
『1984年』 と 『不思議の国のアリス』 とのはざまの、
奇怪な文学空間がそこに現出した。
そして、この陰気なモダン・タイムスを見つめる作者のさめた、
しかし優しさに満ちた眼差し……。
アメリカ文学の新たな担い手として、
若い世代から熱狂的な支持を受けるヴォネガット・ジュニアが、
現代文明の行方をブラックな笑いのうちにつづった傑作処女長篇。
<ウラスジ>
これがヴォネガットか、いうぐらいの、
普通うううううの小説。
特に<書き方>がそう。
会話の部分なんかには、<らしさ>が見えるけど。
しかし、この普通の(書き方の)小説で、
<SF小説作家>の烙印を押されてしまい、
しばし不遇の時を囲うことになるとは。
【舞台】
第二次産業革命後の世界である。
単純な頭脳労働は完全に機械にとって代わられている。
人々は大きく分けて、
機械を操作する立場にある管理者・技術者と、
その機械の恩恵を甘受する大衆とになる。
管理者・技術者以外の者は、
バーテン等のように機械化による
効率化が望めない職種につくか、
道路住宅補修点検部隊(通称ドジ終点部隊)や軍隊に入るしかない。
大衆に残された道は、二流の機械になるか、
機械の被保護者になるかだけなのである。
<『世界のSF文学総解説』:石川雄二>から
主人公のポール・プロテュース博士は
産業界の中枢に行くことを約束されながら、
人間の復権を求める機械破壊集団
”幽霊シャツ党” のトップに祭り上げられていきます。
機械破壊運動はやがて大きな叛乱へとつながっていくのですが……。
叛乱は徐々に尻すぼみになってゆきます。
そして、その後処理なのか、
人々は、自らの手で破壊した機械類を、
廃墟で直しはじめていました。
機械を憎みながら、機械から離れられない。
自分で壊して、自分でまた修理して組み立てる。
その一連の行動はポールにどう映ったのか。
最後は当局に、陽気に投降。
結局、機械文明って、
人間を後戻りさせないように出来てるんですね。