涼風文庫堂の「文庫おでっせい」467 | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<大岡昇平、

高橋和巳、

ヴァン・ダイン>

 

1408「俘虜記」 横光利一賞受賞作

大岡昇平
長編   吉田凞生:解説  新潮文庫
目次
 
1.捉まるまで
2.サンホセ野戦病院
3.タクロバンの雨
4.パロの陽
5.生きている俘虜
6.戦友
7.季節
8.労働
9.八月十日
10.新しき俘虜と古き俘虜
11.演芸大全
12.帰還
附  西矢隊始末記
あとがき
 
 
著者の太平洋戦争従軍体験に基づく連作小説。
 
冒頭の「捉まるまで」の、
なぜ自分は米兵を殺さなかったかという感情の、
異常に平静かつ精密な分析と、
続編の俘虜収容所を
戦後における日本社会の縮図とみた文明批評からなる。
 
乾いた明晰さをもつ文体を用い、
孤独という真空状態における
人間のエゴティスムを凝視した点で、
いわゆる戦争小説とは根本的に異なる作品である。
 
日本人はいまも敗者として、
生かされ続けているのかもしれない。
 
大岡昇平生誕101年の夏。
今読みたい戦中戦後文学の傑作。
 
                  <新潮社:書誌情報>
 
……いつの情報だ?
 
 
じつのところ、
私が最初に接した大岡昇平の作品は、
他ならぬこの作品でした。
 
高校の頃の「現代国語」の教科書の中での遭遇。
 
その時からしばし、
大岡昇平のイメージは<戦争文学>と
切っても切り離せないものになってしまいました。
 
ただ、
戦場でのカンニバリズムで有名な『野火』
とか、
ひたすら実直に戦局を描いた『レイテ戦記』
などを除いて、
 
ラディゲを彷彿とさせる『武蔵野夫人』、
自身の愛人に言及したような『花影』
みたいな艶っぽい作品――
 
フランス文学者としての翻訳書、
スタンダールの『パルムの僧院』『恋愛論』。
 
はたまた
日本推理作家協会賞を受賞した『事件』
なんかのミステリーも書いています。
 
(小学生の頃、漱石を読む前に
  ルパンやホームズを読みだし、
  爾後五十余年の推理小説ファンであると言う)
 
(戦争末期にフィリピンで捕虜となり、
  収容所で『そして誰もいなくなった』や『幻の女』
  等を読んでいる)
 
            <世界の推理小説・総解説より>
 
ふところが深い。
 
晩年のエピソードで印象深いのは、
コッポラの『地獄の黙示録』を観て、
挿入曲の『The End』が気になって、
ドアーズのアルバムを買ったというもの。
 
ジム・モリソンもびっくり。
 
(この辺は筒井康隆さんとのやりとりで知ったような)
 
 
 
それでは、
収容所内での ”読書” に特化して、
二か所ばかりピックアップ。
 
 
 
私は終日軍医から貰った雑誌や探偵小説を読んで暮した。
(102P)
 
しかし私はどんな本を読んでいたろう。
百頁の中で五人も人が殺される探偵小説か
十頁の間に純情の乙女が
詭計によってチャンスを掴む雑誌小説である。
(110P)
 
探偵小説、強し。
 
最後にパラパラと捲り直して、
予期せぬところにあった波線を付けた文章を。
 
 
レマルクは砲弾によって頭を飛ばされ、
首から血を噴きながら三歩歩いた人間を物珍し気に描き、
(『西部戦線異状なし』か?)
メイラーもまた首なし死体を克明に写しているが、
(『裸者と死者』か?)
こういう戦場の光景を凄惨と感じるのは
観者の眼の感傷である。
 
戦争の悲惨は人間が不本意ながら
死なねばならぬという一事に尽き、
その死に方は問題ではない。
 
<余談>
『東海道戦争』のラストみたい、
なんて茶化してはいけません。
 
 

1409「悲の器」 文藝賞受賞作

高橋和巳
長編   宋左近:解説  新潮文庫
 
 
大学教授で世界的な刑法学者 正木典膳は、
妊娠した家政婦 米山みきに損害賠償を請求され
スキャンダルの渦中に叩きこまれる。
 
法をもって人を律することを己の学問的信念とする典膳は、
名誉毀損の訴えを起して法の戦いに挑む。
 
愛と理性の相剋の中で破滅の淵に立ちながらも、
自己の権威の絶対化と渇望する
愛の観念に生きようとする知識人の全体像を、
格調高く重厚な文体で描いた長編。
 
                        <ウラスジ>
 
なにやら昨今、
世間を騒がせているような事件(?)と
似たような主題でして……。
 
この作品、”私” と言う
「正木典膳」の一人称を使うことで、
内面の動揺や移ろい、心理の葛藤の描写などに
底知れぬ効果をあげています。
 
一発目の文章がこう。
 
一片の新聞記事から、
私の動揺がはじまったことは残念ながら真実である。
 
そして新聞報道。
 
妻をはやく喉頭癌で失った某大学法学部教授
正木典膳まさきてんぜん(五十五歳)は、
ひさしく家政婦と二人、
不自由な暮しをしていたが、
このたび友人である
最高裁判所判事・岡崎雄二郎氏の媒酌で、
某大学名誉教授・名誉市民 栗谷文蔵くりやぶんぞう文学博士の
令嬢・栗谷清子(二十七歳)再婚するはこびとなった。
 
ところが突然、家政婦 米山みき(四十五歳)により、
地方裁判所に対し、不法行為による損害賠償請求
(慰謝料六十五万円)が提起された。
 
この記事のあとに、家政婦 米山みきの写真と、
肉体をふみにじり、
女ひとりの運命をもてあそんだ人非人とまで極言した、
はげしい憎悪の言葉が掲載されている。
――
 
う~ん。
ますます今の状況の近似値っぽい。
 
も一つ。
不幸な女の行く末を、
自分との関係性で描いた作品で言うと、

遠藤周作の『わたしが・棄てた・女』

 
こちらは、”ぼく” の一人称。
 
 
とにかく ”意識の流れ” 的なものと、
俯瞰にも取れる「会話体」の多さで、
物語はエンタメまがいに推移してゆきます。
 
そう、
高橋和巳って言うと、
(左翼のオピニオンリーダーみたいな扱いを受けて)
どうもお堅いイメージで囚われがちですが――
 
『邪宗門』
なんかはハラハラドキドキの展開で、
モデルとなった<大本教>を写し取り、
読む者を飽きさせません。
(そこはまた本編で)
 
閑話休題
 
そして、
最終章の何と殺伐としたことか。
 
法廷において、
婚約者・栗谷清子の証言で
米山みきが俄然不利になるや――
 
 
この女(米山みき)は
遠からず自殺するだろうと私は予感した。
 
一歩ごとに階段のきしむ安アパートの四畳半の部屋で、
人生になにかはりがあるように思わせる家具や調度もなく、
米山みきは夜更けに独り、梁に背のびして立って、
首をくくるだろう。
 
何たる冷徹さ。
 
最後の最後は
主観と客観がカオスとなったようで、
ひとしきり友人に思いを馳せた挙句、
女性たちには心の内でこう叫び、
物語は終焉します。
 
さようなら、米山みきよ、栗谷清子よ。
優しき生者たちよ。
私はしょせん、あなたがたとは無縁な存在であった。
 
 
誰かも襟懐にて、
似たような思いを囁いているかも。
 
<余談>
「襟懐」なんて言葉、
何十年ぶりに使っただろう。
 
昔、大阪の<紀伊國屋書店>で
カップルが、”くっちゃべていたセリフ”
 
「ああ、『どっこいショ』があるわあ」
「まだ読んでへんの?」
「うん」
 
何気ない会話――
これを傍で聞いていて、
 
”いいなあ” と襟懐にでつぶやく、
 
とかなんとか日記かノートに書いて以来のこと。
 
ちなみに
『どっこいショ』(遠藤周作)
は未読です。
 
<追記>
「襟懐」って、
「きんかい」って打っても漢字変換してくれない。
 
なんで?
 
 
 
 
 

1410「カシノ殺人事件」

S・S・ヴァン・ダイン
長編   井上勇:訳  創元推理文庫
 
 
待望のヴァン・ダイン第八作。
 
毒殺されたと推定されるのに
胃から毒物が検出されぬ謎。
 
ただの水をのんでは、
つぎつぎと倒れる被害者――
 
ただの水にはたして毒物が含まれているのだろうか。
 
H2Oのモチーフをたどるファイロ・ヴァンスは
ついにD2Oにたどりつく。
 
重水ははたして毒性か否か。
 
カシノのルレットの輪のように、
ひとの運命をのせて、
いずこにとどまるとも知れず
旋回をつづける事件は、
一発の銃声とともに、
ぴたりとその回転をとめ、
全貌を白日のもとにさらす。
 
                        <ウラスジ>
 
先細りの先駈け。
 
「カジノ」じゃなく、何で「カシノ」なんだ?
 
そもそもこの題名は相応しいのか?
 
キーワードは「水」。
 
「D2O」=重水。
普通の水=軽水。
 
重水は50%が致死量らしい……。
 
毒物検査は胃の内部にとどまらない。
 
ベラドンナの成分をどこに忍びこませるか?
 
その他もろもろ。
 
<追記>
あといくつあるんだっけ?
 
ヴァン・ダイン。
 
雑っ。
 
 
これで1410冊。