涼風文庫堂の「文庫おでっせい」459 | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<田村隆一、

ネルーダ、

本多勝一>

 

1385「インド酔夢行」

田村隆一
長編   吉増剛造:解説  集英社文庫
目次
 
1.プロローグ
2.コモリン岬に夕陽を追う
3.ガンジスの流れに沿って
4.ネパール酔夢行
5.エピローグ
 
 
 
ナップザックの中には紙パンツと鎌倉八幡宮のお守り。
 
ウィスキーを片手に縦横にインドを旅する詩人が出会うものは、
太陽、土、花、水、聖者、
そしてコモリン岬の世界で一番美しい夕陽、
ヒンドウ―の神々……など。
 
永遠と現在の交錯するカオス、
B.C.とA.D.が同時に存在する
神秘の国インドをめぐる軽妙で深遠な紀行。
 
                        <ウラスジ>
 
 
田村隆一というと
日本の戦後の詩を語るときには
忘れることの出来ない、
詩史上もっとも重要な詩人の一人である。
 
                 <吉増剛造:解説より>
 
 
……とは言うものの、
田村隆一、鮎川信夫、北村太郎、
という詩誌『荒地』を創刊した三詩人は、
私にとって、翻訳家――
 
しかもミステリーのトランスレーターとして
最初にお目見えした方々だったのです。
 
いくつか私が読んだものから。
 
田村隆一 『予告殺人』『牧師館の殺人』(クリスティ)
     『あなたに似た人』(ダール)
     『屠所の羊』(A・A・フェア)
鮎川信夫 『Xの悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』
     『レーン最後の事件』(クイーン)
     『試行錯誤』『レディに捧げる殺人物語』(アイルズ)
北村太郎 『悪魔のような女』(ボワロー&ナルスジャック)
     『チャーリー・ヘラーの復讐』(リテル)
     『夢果つる街』(トレヴェニアン)
 
<余談 1>
え~
そんなこんなで本業の『詩集』及び『詩』の方は、
全く読んでおりません。
 
かろうじて現代詩の部類に入る詩人は、
谷川俊太郎さんと吉野弘さんを
角川文庫で読んだだけです。
 
……どこかで書いたと思いますが、
思潮社の<現代詩文庫>シリーズには
手を付けませんでしたから。
 
<余談 2>
解説の吉増剛造さん。
 
詩部門の先輩のお気に入りの詩人で、
ちらと読まされたことがあります。
 
なんか、
”ジーナ・ロロブリジーダはインポを嫌うだろう”
みたいな出だしの詩でした。
 
<現代詩文庫>の一番最初の詩。
インパクトありました。
 
<追記>
インドはどこ行った?
 
ガネーシャ。
ハヌマーン。
マハーバーラタ。
カーマ・スートラ。
 
サタジット・レイ。
タゴール。
 
取りあえず知ってる単語を並べてみました。
 
憧れる人、多いよなあ。
 
魂の浄化・解脱。
ガンジスの流れ。
遠藤周作の『深い河』。
 
 
 
 

1386「ネルーダ最後の詩集」

チリ革命への賛歌

パブロ・ネルーダ
大島博光:訳   新日本文庫
 
 
チリが生んだ20世紀の情熱の詩人パブロ・ネルーダ、
1973年クーデターのさなかに
波瀾の生涯をとじたこの偉大な詩人が、
チリ革命の三年間を燃える思いでうたい、
クーデターの策謀を予知して鋭く告発した生前最後の詩集。
 
祖国と人民への限りなき愛をうたった
「大いなる歌」、
マチルデへの熱烈な恋をうたった
「百の愛のソネット」
をも抄録。
 
                        <ウラスジ>
 
 
* 今は亡き(無き)新日本文庫。
*左翼文学の殿堂。
 
 
さて、
一応 ”詩集” なので、恒例の一編を。
 
まずは目次にも載ってない巻頭詩。
 
「腹黒い奴ら」
 
ニクソンと フレイと ピノチェトめ
ポルダベリと ガラスタソと バンセルども
今日 この一九七三年九月のなんと酷たらしさ
おお 貪欲なハイエナども
多くの血と火でかちとった旗をかじりとるネズミども
大農場でたらふく満腹している奴ら
極悪な略奪者ども
千回も身を売った腹黒い奴ら
ニューヨークの狼どもにけしかけられた裏切者ども
わが人民の汗と涙を絞りとり
わが人民の血で汚れた機械ども
アメリカのパンと空気を売りこむ売春屋ども
淫売宿のボスども ペテン師ども
人民を拷問にかけ むちうち
飢えさせる法律だけしかもたぬ死刑執行人ども!
 
フレイ=元チリ大統領
ピノチェトー=チリ軍事評議会議長
ポルダベリ=ウルグアイの独裁者
ガラスタソ=ブラジルの独裁者
バンセル=ボリビアの独裁者
 
 
「あいつを」
 
凶悪犯よ おれは おまえを告発して
おまえを裁く人たちに 引き渡してやる
おまえを裁く 貧乏なひとたちの手に
 
きのう 焼き殺された 死者たちの手に
もう ものも言えず かくす秘密もなく
めくらで 眼も見えず すっ裸で
腕をもがれ 脚をきられ 傷だらけで
令状なんか なくとも ニクソンよ
おまえを 裁き罰する 人たちの手に
おれはおまえを 引き渡してやる。
 
 
<ウラスジ>にあるように、
いくつかの恋の詩もありますが、
総じて紹介した二編の詩の如く、
”ニクソン” への攻撃が半端なく行われています。
 
アメリカの大統領を ”リンチにかけろ!”
って堂々と言い放っているんですから。
 
ちょっと圧倒されます。
 
こっちの知識としては、
 
チリのクーデター
ピノチェト政権
チリ戒厳令
 
この辺は
コスタ・ガヴラスの映画『戒厳令』(舞台はウルグアイ)
とか、
五木寛之さんの小説『戒厳令の夜』(もろリンクしてる)
で何となく知っていたぐらい。
 
ラテン・アメリカの「赤化」を阻止するために
アメリカやCIAが蠢いていた頃と思います。
 
<余談>
のちにブーム(?)となる
”ラテンアメリカ文学” 。
 
最初に手にした文庫は、
ボルヘスでもなく、ガルシア=マルケスでもなく、
このパブロ・ネルーダだったということを、
改めて確認いたしました。
 
<追記>
『戒厳令下チリ潜入記  ある映画監督の冒険 』
                    (岩波新書)1985年
書いたのはガルシア=マルケス。
 
 
 
 

1387「中国の旅」

本多勝一
長編   高史明:解説  朝日文庫
目次
 
1.中国人の「軍国日本」像
2.旧「住友」の工場にて
3.矯正院
4.人間の細菌実験と生体解剖
5.撫順
6.平頂山
7.防疫惨殺事件
8.鞍山と旧「久保田鋳造」
9.万人坑
10.盧溝橋の周辺
11.強制連行による日本への旅
12.上海
13.港
14.「討伐」と「爆撃」の実態
15.南京
16.三光政策
17.あとがき
 
 
高史明氏

侵略した側とされた側の関係において、

侵略した側の姿を赤裸に見ようとするなら、
侵略された側の証言をまずもって聞くほかないのである。
 
しかしまた、
人々にとってそれはまことに至難のことと言えるだろう。
 
本多勝一記者のいま上げた言葉の中に、
「直接たずね……直接ききたい」
とこう「直接」という言葉が
二重も重ねられているのが注目される。
 
恐らくそれは
氏のジャーナリストとしての
真摯な姿勢のあらわれであろうが、
それと同時にこの取材の重さが、
氏の肉体において受けとめられていることの
あらわれでもあると言えないだろうか。
(本書「解説」より)
 
                        <ウラスジ>
 
左からの風、吹き止まず。
 
日本人が日本という国に誇りが持てなかった時代。
日本人が日本という国を大嫌いだった時代。
 
そんな風潮を野放しにしていた頃の
自虐的ルポルタージュの代表作。
 
南京で、上海で、
日本軍がいかにして
残虐な行為を行ったかの羅列、
そのオンパレードを聞き取り調査。
 
ある意味よくここまで書けるもんだと
その執念めいたものに恐ろしさを感じてしまいます。
 
私の場合の本多勝一遍歴は、
『殺される側の論理』『殺す側の論理』
と、ベトナム戦争に関するルポから始まりました。
 
その時は、
「これはアメリカが悪い」
と言っときゃ多数派でいられたという安心感で、
本多勝一氏に対してもフラットな態度で臨めました。
 
しかし、
この『中国の旅』で反転します。
 
そして、
次の『アメリカ合州国』で
完全に離れました。
 
<追記>
とは言うものの、
”こういうルポがあったんだ”
という事実は封印することなく――
 
影響を受けやすい、
年端のいかない青少年を除いた、
”大人” の年齢層の人たちが読む分には
一定の価値を見い出せるかもしれません。
 
今の中国を見ればねえ……。