涼風文庫堂の「文庫おでっせい」403 | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<伊藤整、

水上勉>

 
 

1216「典子の生きかた」

伊藤整

長編   瀬沼茂樹:解説  新潮文庫

 

 

父を早く失い、

母もまた再婚して別れ、

叔父の家に養われている津田典子は

二十歳になったばかりの娘である。

 

思慮深く、行動力があり、

激しい性格の持主でもある彼女は、

叔父の家を出て、

喫茶店に住みこむが

むなしい騒々しさに耐えられない。

 

孤独に対して体ごとぶつかって、

自分の生き甲斐を求めてゆく一人の女性の

ひたむきな生きかたを通して、

著者の芸術思想を語る青春小説。

 

                        <ウラスジ>

 

 

前回の『青春』についで書き下された(1940年)第二の長編小説。

 

<ウラスジ>に ”青春小説” とあるのはその名残か。

 

主人公の名は、津田典子。

 

”津田典子” って名前が何かを暗示してるような……。

 

 

<津田典子とは>

 

津田典子は二十歳になったばかりの娘であるが、

気性がしっかりしていて、自立の精神に富んでいる。

 

しかも、

自分の内側の気持をつきとめ、

生命の向うところを深く考えようとする

内省的な内向への性向をもっている。

 

このひとりで考え深く生きようとする気性の強さのために、

時には「バネ仕掛けの人形」のように、

何か急に思いきったことをしかねない果断さをみせることがある。

 

一言でいうと、

思慮の深い、独立の精神をもち、

そのくせ実行力もある、激しい性格の若い娘ということになる。

 

典子といういう娘は、若い娘にしては珍しいぐらい、

性格のはっきりとした女性である。

 

                 <瀬沼茂樹:解説より>

 

ちょっと前に紹介した、

宮本百合子の『伸子』といい、

この『典子』といい、

戦前の<進歩的>と言われた女性たちは

”戦う” しかなかったようです。

 

で、この作品におけるヒロイン、典子の立場境遇について――。

 

作者はひとりの独立した女性の生き方を問うために、

典子を孤児において、考えたのであろう。

戦前の社会では、

家族制度が確乎としてあったから、

こういう制度から比較的自由に、

本人の思うままに身を処するのは

普通の娘ではむつかしく、

孤児を必須の要件としたといえよう。

 

                 <瀬沼茂樹:解説より>

 

母は健在、叔父の家に身を寄せていた若い娘、津田典子――。

 

これで「孤児」?

 

ちゃんとした家(?)の娘なら行動は起こせない。

 

天涯孤独の孤児なら次の次に紹介する

『五番町夕霧楼』の夕子のように娼妓になっていそう。

 

 

このあいだぐらいに位置する

ちょっとボヤっとした状態を作るための

仕掛け――。

 

なるほど、この時代(1940年発刊)で

若い女性に制約なしに自由な生き方を模索させるには、

このちょっと歪な境遇が必要で、

作者は前提としてその部分に腐心したのでしょう。

 

 

<余談>

同じ ”ノンちゃん” でも、

『ノンちゃんの冒険』 柴田翔

の ”ノンちゃん” とは大違い。

 

 

 

 

隔世の観がありますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1217「女性に関する十二章」

伊藤整
長編   瀬沼茂樹:解説  角川文庫

目次

 

第一章  結婚と幸福

第二章  女性の姿形

第三章  哀れなる男性

第四章  妻は世間の代表者

第五章  五十歩と百歩

第六章  愛とは何か

第七章  正義と愛情

第八章  苦悩について

第九章  情緒について

第十章  生命の意識

第十一章  家庭とは何か

第十二章  この世は生きるに値するか

結びの言葉

 
 
 
恋愛、結婚、家庭、幸福、男性など
女性にとって無関心ではいられない問題を
十二章にわたって説く著者初めての女性論である。
 
チャタレイ裁判裁判に関する随筆
「伊藤氏の生活と意見」
を書いたと同じ辛辣な筆法を用い、
博識を背景にウィットを駆使して優しく話しかける
フェミニスト伊藤整の名著。
 
                        <ウラスジ>
 
”こういうのも、<啓発本>のたぐいだろうか?”
と友人は言ってましたっけ。
 
(1970年代、この頃は<啓発本>なんて言葉は
 一般的じゃなかったんで別の表現をしていたと思いますが、
 如何せん、思い出せない)
(<啓蒙本>だっけ?>
 
それは曾野綾子さんの『誰のために愛するか』が
ベストセラーになっていたころだったと思います。
 
ただ、
女性が女性のことを書く分にはいいが、
男性が女性のことを書くとなると――。
 
『こんな女と暮らしてみたい』 高橋三千綱
 

ただの願望じゃん。

 
ちょっと脱線しますが、
私たちが中高生のころ、
若い世代の今で言う
<啓発本>のカリスマだったと言えるのが
加藤諦三さん。
 
雑誌『○○時代』とリンクして、
『あやまちだらけの青春』
『俺はいま何かしなければ』
俺の胸に火をつけた言葉』
 
ペットにするならライオン。
ちょこちょこした愛玩動物は好きではない――
 
――みたいなことをプロフィールに書いておられました。
 
今思うと、そんな答えや、”俺” という一人称など、
ちょっと ”痛い” 感じがしないでもないですが。
 
ただ著作は面白かった。
 
まあ、
良くも悪くも ”青春時代にしか読めない”っていうのは
この手の本のような気がします。
 
太宰治じゃなくて。
 

松田道雄さんの

『恋愛なんかやめておけ』
なんかもインパクトがあったなあ……。
 
 
 
<余談 1>
残念ながら私の<伊藤整>文庫は、
これにて終了です。
 
このリンク先にある
武田泰淳、三浦哲郎
のように、買いそびれた作家の一人が
伊藤整でした。
 
『イカルス失墜』 (『馬喰の果て』でも可。
多分内容は一緒だと思う)
『氾濫』
『鳴海仙吉』
『若い詩人の肖像』
『伊藤整詩集』
『小説の方法』
以上の新潮文庫はこれからも探してゆきます。
 
<余談 2>
私が所有する数少ない(3冊)伊藤整の文庫の解説だった
瀬沼茂樹さん。
 
ふたりは大学時代からの友人だそうで、
この他にも伊藤整・瀬沼茂樹のコンビによる文庫は
存在するようです。
 
太宰治の奥野健男、
山本周五郎の木村久邇典、
 
みたいなもんかな。
 
<余談 3>
伊藤整・瀬沼茂樹コンビが通っていたのは、東京商科大学。
つまり、今の一橋大学。
 
一橋大出の作家って言うと、
石原慎太郎・元都知事、それに田中康夫・元長野県知事
ぐらいしか思い浮かびませんでした。
 
で、調べてみると数は多くありませんでしたが、
「おおっ」というようなかたがいらっしゃったので、
ここに紹介しておきます。
(私が読んでいる作家の方に限定)
 
二葉亭四迷
城山三郎
五味川純平
森田誠吾
吉村達也
 
<P.S.>
『森と湖のまつり』
は、つい最近読みました。
 
古本市で見つけて。
講談社文芸文庫で。
 
伊藤整作品も見つかるといいな。
 
ついでに
『完訳・チャタレイ夫人の恋人』
も。
 
息子である伊藤礼さんの補約で完成したやつ。
 
しかし、削除された部分って
いわゆる「性描写」のところですよね。
 
そこだけを延々と拾い上げてゆくって、
かなりのシンドイ作業ですよね。
 
 

 


 

1218「五番町夕霧楼」

水上勉

長編   吉田健一:解説  新潮文庫

 
 
京の遊郭に娼妓となり、
西陣の蔵元の大旦那に水揚げされながらも、
かつて故郷の寒村に薄幸の日々をともに送った
不遇な学生との愛に生きて行く
貧しい木樵の娘 夕子。
 
しかし
その胸はいつか病魔に蝕まれ、
夏の闇夜に炎上する国宝建造物鳳閣とともに、
悲恋は終りを告げる。
 
色街のあけくれに、
つかのまの幻のようにゆらめく
はかない女のいのちを描き
胸に迫る珠玉の名編。
 
                        <ウラスジ>
 
* 本来、この文庫には<ウラスジ>がなかったのですが、
  ネットで後の新潮文庫の<ウラスジ>らしきものを
      見つけたので、ここに載せておきました。
* これがなければ、
  次に挙げた<解説目録>だけになったことでしょう。
 
 
京都五番町の遊郭に娼妓となった貧しい木樵の娘 夕子。
 
色街のあけくれの中に薄幸の少女の運命を描いて胸に迫る
水上文学珠玉の名編。
 
                 <新潮文庫:解説目録>
 
 
不幸を絵に描いたような、とはこのことか。
 
ミステリーではない一連の水上作品は、
一様に
「悲劇」「悲惨」「哀感」「不幸」……
などの言葉が付きまとってるように思えます。
 

 

 

 

……ってリンク先でも書いてる。

 

とにかく、

文庫目録を読んでも、<ウラスジ>をチラ見しても、

寒々とした物語を予感させる文言があふれているように感じます。

 

この『五番町夕霧楼』を始め、

リンク先の『雁の寺・越前竹人形』、

 

『越後つついし親不知』

『はなれ瞽女おりん』

『凍てる庭』

 

<「悲惨小説(と思われる作品)」の読みかた>

 

私の場合、

読む前に一度気合を入れて

<予防線>を引く作業を行います。

 

それから取り掛かると、

悲劇の大団円まで、

すんなり読む事ができますので。

 

また、

「思ったほど非道くねえじゃん」

みたいな、”うれしい誤算” もあります。

 

『橋のない川』 (住井すゑ)

『人間の運命』 (芹沢光治良)

『人間の条件』 (五味川純平)

『神聖喜劇』 (大西巨人)

 

などがそれに当たります。

 

でも、

これってみんな<大河小説>だから、

幾分割り引いて考えなくちゃいけません。

 

作品の長さで悲惨さが薄まってるように

感じただけなのかもしれませんし。

 

フラットに全体像を見ると、

かなり陰惨なものもあるような……。

 

 

<結論>

ただ、しつこいようですが、

最後ハッピーエンドで終わると解っていても、

『小公女』はきつかったなあ……。