<伊藤整、
水上勉>
1216「典子の生きかた」
長編 瀬沼茂樹:解説 新潮文庫
父を早く失い、
母もまた再婚して別れ、
叔父の家に養われている津田典子は
二十歳になったばかりの娘である。
思慮深く、行動力があり、
激しい性格の持主でもある彼女は、
叔父の家を出て、
喫茶店に住みこむが
むなしい騒々しさに耐えられない。
孤独に対して体ごとぶつかって、
自分の生き甲斐を求めてゆく一人の女性の
ひたむきな生きかたを通して、
著者の芸術思想を語る青春小説。
<ウラスジ>
前回の『青春』についで書き下された(1940年)第二の長編小説。
<ウラスジ>に ”青春小説” とあるのはその名残か。
主人公の名は、津田典子。
”津田典子” って名前が何かを暗示してるような……。
<津田典子とは>
津田典子は二十歳になったばかりの娘であるが、
気性がしっかりしていて、自立の精神に富んでいる。
しかも、
自分の内側の気持をつきとめ、
生命の向うところを深く考えようとする
内省的な内向への性向をもっている。
このひとりで考え深く生きようとする気性の強さのために、
時には「バネ仕掛けの人形」のように、
何か急に思いきったことをしかねない果断さをみせることがある。
一言でいうと、
思慮の深い、独立の精神をもち、
そのくせ実行力もある、激しい性格の若い娘ということになる。
典子といういう娘は、若い娘にしては珍しいぐらい、
性格のはっきりとした女性である。
<瀬沼茂樹:解説より>
ちょっと前に紹介した、
宮本百合子の『伸子』といい、
この『典子』といい、
戦前の<進歩的>と言われた女性たちは
”戦う” しかなかったようです。
で、この作品におけるヒロイン、典子の立場境遇について――。
作者はひとりの独立した女性の生き方を問うために、
典子を孤児において、考えたのであろう。
戦前の社会では、
家族制度が確乎としてあったから、
こういう制度から比較的自由に、
本人の思うままに身を処するのは
普通の娘ではむつかしく、
孤児を必須の要件としたといえよう。
<瀬沼茂樹:解説より>
母は健在、叔父の家に身を寄せていた若い娘、津田典子――。
これで「孤児」?
ちゃんとした家(?)の娘なら行動は起こせない。
天涯孤独の孤児なら次の次に紹介する
『五番町夕霧楼』の夕子のように娼妓になっていそう。
このあいだぐらいに位置する
ちょっとボヤっとした状態を作るための
仕掛け――。
なるほど、この時代(1940年発刊)で
若い女性に制約なしに自由な生き方を模索させるには、
このちょっと歪な境遇が必要で、
作者は前提としてその部分に腐心したのでしょう。
<余談>
同じ ”ノンちゃん” でも、
『ノンちゃんの冒険』 柴田翔
の ”ノンちゃん” とは大違い。
隔世の観がありますね。
1217「女性に関する十二章」
目次
第一章 結婚と幸福
第二章 女性の姿形
第三章 哀れなる男性
第四章 妻は世間の代表者
第五章 五十歩と百歩
第六章 愛とは何か
第七章 正義と愛情
第八章 苦悩について
第九章 情緒について
第十章 生命の意識
第十一章 家庭とは何か
第十二章 この世は生きるに値するか
結びの言葉
ただの願望じゃん。
松田道雄さんの
1218「五番町夕霧楼」
長編 吉田健一:解説 新潮文庫
……ってリンク先でも書いてる。
とにかく、
文庫目録を読んでも、<ウラスジ>をチラ見しても、
寒々とした物語を予感させる文言があふれているように感じます。
この『五番町夕霧楼』を始め、
リンク先の『雁の寺・越前竹人形』、
『越後つついし親不知』
『はなれ瞽女おりん』
『凍てる庭』
<「悲惨小説(と思われる作品)」の読みかた>
私の場合、
読む前に一度気合を入れて
<予防線>を引く作業を行います。
それから取り掛かると、
悲劇の大団円まで、
すんなり読む事ができますので。
また、
「思ったほど非道くねえじゃん」
みたいな、”うれしい誤算” もあります。
『橋のない川』 (住井すゑ)
『人間の運命』 (芹沢光治良)
『人間の条件』 (五味川純平)
『神聖喜劇』 (大西巨人)
などがそれに当たります。
でも、
これってみんな<大河小説>だから、
幾分割り引いて考えなくちゃいけません。
作品の長さで悲惨さが薄まってるように
感じただけなのかもしれませんし。
フラットに全体像を見ると、
かなり陰惨なものもあるような……。
<結論>
ただ、しつこいようですが、
最後ハッピーエンドで終わると解っていても、
『小公女』はきつかったなあ……。