涼風文庫堂の「文庫おでっせい」350 | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<戸板康二、

田宮虎彦>

 
 

1062「團十郎切腹事件」 

直木賞受賞作品

戸板康二
短編集   小泉喜美子:解説  講談社文庫
目次
 
1.車引殺人事件
2.尊像紛失事件
3.立女形失踪事件
4.等々力座殺人事件
5.松王丸変死事件
6.盲女殺人事件
7.團十郎切腹事件 (直木賞受賞作品)
8.奈落殺人事件
 
 
謎を残す八代目團十郎の死を
名探偵老優 雅楽が卓抜な着想で推理する
直木賞受賞の表題作の他、
『車引殺人事件』『奈落殺人事件』など、
花道と奈落の明暗の境に生きる
役者の世界に材をとる七篇を収録。
 
頭脳明晰にして洒脱、ユニークな名探偵 雅楽を得て、
歌舞伎の虚構美と謎解きの論理性が
みごとに結晶した本格推理短篇集。
 
                        <ウラスジ>
 
舞台裏の難事件に挑む名探偵 雅楽。
江戸川乱歩激賞の記念すべき初期傑作八篇収録。
直木賞受賞!
 
                         <帯スジ>
 
現在、
創元推理文庫から全集が出ている(はず)の
名探偵・中村雅楽の探偵譚。
 
戸板康二(といた・やすじ)さんは、
『歌舞伎への招待』(岩波現代文庫)などの著作でも知られる、
もともとは演劇・歌舞伎の評論家。
 
それが江戸川乱歩のすすめで筆を執ったのが、
歌舞伎役者・中村雅楽もののミステリー・シリーズ。
 
ここに収められている『車引殺人事件』が処女作で、
その後、
『團十郎切腹事件』で直木賞、
『グリーン車の子供』で日本推理作家協会賞(短編部門)
と立て続けに受賞され、推理短編の世界に名を残されました。
(長編は二つ)
 
<本題>
小泉喜美子さんのそれぞれの作品評から、
代表作二編の概要を載せていきます。
 

『車引殺人事件』

ホームズ役の中村雅楽、

ワトソン役の東都新聞・演劇記者の竹野、
レストレード刑事役(?)の江川刑事、
の設定が確立した記念すべき一作目。
安楽椅子探偵の要素が強い一編。
 
『團十郎切腹事件』
”現代の事件ではなく、歴史に残された事件の謎を
現代人が資料を頼りに推理する形式をとっており、
歴史ミステリーの一典型です。
 
そして、その探偵役が入院中のつれづれに
この問題に挑むのは寝台(ベッド)デテクティヴの形式であり、
この二つを結びつけた名作に
イギリスの女流ジョセフィン・テイの
『時の娘』があります。”
 
                <小泉喜美子:解説より>
 
 
八代目 市川團十郎(1823~1854)についての考察。
 
私のように歌舞伎に詳しくない者でも
突っかかることなく読めるミステリーです。
 
ちなみに『時の娘』の翻訳は小泉喜美子さん御自身。
 
高木彬光の『成吉思汗の秘密』なんかもそうだな。
 
<余談>
このシリーズはテレビの二時間ドラマで映像化され、
短編ゆえか、二作で一本のドラマとして提供されていました。
 
中村雅楽役は、やはり歌舞伎役者の ”中村勘三郎” ――。
 
と、ここで歌舞伎役者との ”付き合い方” について
少々持論を。
 
雅楽を演じたのは、
”十七代目・中村勘三郎” 
で、私らの世代からすると、何の違和感もない名称でした。
 
 
 
で、ある種、夭逝とも言えた、
”十八代・中村勘三郎”
は、私にとっては、
”中村勘九郎” 
の名前のほうが馴染みがあって、しっくりくるのです。
 
 
名前を継ぐことで歴史の重みを伝える効果がある反面、
<○○代目>と冠を付けないと、
世代によって違う役者を指している、
という事態も起こりえます。
 
 
旧態依然と言われようが何と言われようが、
自分にとって、一番その役者を観ていた時の名前が、
すなわち自分にとってのその役者の<名前>なのです。
 
ちなみに、
現在の『松本白鷗』さんは、二つ前の『市川染五郎」。
 
大河ドラマ『黄金の日日』で、呂宋助左衛門を演じていた頃です。
『ラ・マンチャの男』を演り始めたのも、
『染五郎』時代だったと思います。
 
で、父君の中村白鷗さんは ”松本幸四郎”
元祖・『鬼平犯科帳』。
 
のちに長谷川平蔵を演じ、今は鬼平と言えばこの人、
といった感じの中村吉右衛門。
 
彼は若き時代、”松本幸四郎版・鬼平” で
平蔵の息子演じていました。
じつの親子がドラマでも親子を演じたわけです。
 
しかし、この親子、兄弟はちょっとややこしいか……。
 
 
 
 
 

1063「落城・足摺岬」

田宮虎彦
短編集   石塚友二:解説  新潮文庫
収録作品
 
1.落城
2.末期の水
3.かるたの記憶
4.天路遍歴
5.土佐日記
6.絵本
7.足摺岬
 
 
明治維新前夜、徳川譜代の小藩黒菅藩は
おしよせる万余の官軍を相手に絶望的な抗戦を続け、
十歳にみたぬ幼児までが封建倫理に殉じて全滅する。
 
絶対忠義という至上観念が無残な破滅を迎える顚末を描いた
『落城』。
 
足摺岬で死のうと思った ”私” は
ひとりの老巡礼の姿に心を洗われる。
昭和10年前後の暗い時代における
作者の学生生活に取材した『足摺岬』ほか
『末期の水』『天路遍歴』など全7編。
 
                        <ウラスジ>
 
歴史もの4編に、現代もの3編。
そのうち、『落城』と『末期の水』は、
同じ<奥羽黒菅藩>を舞台にした幕末ものです。
 
奥羽黒菅藩、二万三千石を領した譜代大名といっても、
これは田宮氏の創作の場として設定された架空の藩であり、
藩公であり、またその藩士たちでもあって、
歴史上に実在したものではない。
 
                 <石塚友二:解説より>
 
『落城』
 
黒菅(くろすげ)藩、首席藩老の山中陸奥が見届ける、
落城の際の凄惨な光景。
なかでも婦女子の行く末を描いたところには、
言い知れぬ嫌悪感が付きまとう。
 
 
土民の女たちよりも武家屋敷の女たちの美しいことは、
薩摩も長州も黒菅といささかの変りもなかった。
源之介は女の首をおとすと、
抱きかかえて城の方へあるき出した。
味方の女が、
死んでも西国勢の獣慾の対象になることもまた
知っていたからである。
 
 
徐々に追いつめられる藩士たち。
皆が城の中で最期を迎えます。
 
 
慶応四年十一月三日、
雪は城をうずめて降りつもっていた。
 
その雪の上に士格のものは畳を、
軽格のものは蓆をそれぞれ敷いて、
天守にあらわれた重治(藩主)に最後の暇乞いをした後、
まず自刃の出来ぬ老人や病人を
それぞれに身寄りのものが首をはねた。
 
ついで赤児を母親がその咽喉をついて殺した。
 
次に子供たちが割腹の出来るものは割腹をし、
出来ぬ程幼いものは向きあわせてお互いに左の胸をつかせた。
<中略>
子供たちが死ぬと今度は女たちであった。
<中略>
格式と年輩の順で一人一人左の乳下をつきさしてうつぶせた。
 
夫のあるものは夫が、ないものは親が、
夫も親もすでに死んでいるものは身寄りのものが介錯した。
 
 
この描写のなかで、
赤ん坊や幼児の扱いに胸を痛めます。
 
 
『足摺岬』
 
さて、現代もので、表題にもなっている『足摺岬』。
 
自殺しようとしていた私に、
その決意を翻させた同宿の老いた巡礼――。
 
その巡礼が私に語り出します。
 
「おぬし、黒菅を知っておるか」
 
この巡礼は『落城』で滅んだ黒菅藩の生き残りだったのです。
 
……架空の小藩、
その滅亡間際から始まる話のいくつか。
 
これは<サーガ>になりうるんじゃないでしょうか。
田宮虎彦による<黒菅藩サーガ>。
 
次の『霧の中』も細部を変えれば――。
 
 
 

1064「霧の中」

田宮虎彦
短編集   猪野謙二:解説  新潮文庫
収録作品
 
1.霧の中
2.梅花抄
3.顔の印象
4.比叡おろし
5.朝鮮ダリヤ
6.幼女の声
7.異端の子
 
 
薩長の官兵に肉親を凌辱、惨殺された旧幕臣の遺児が
日本の強大な新権力を仇とねらい、
激しい復讐心を秘めながら落魄流浪の剣士として、
明治、大正、昭和の三代を生きぬくという、
凄惨な人生の裏街道を描いた傑作『霧の中』。
 
庶民的な日本の女の哀しい生涯を追究した『梅花抄』。
 
ほかに『顔の印象』『比叡おろし』『朝鮮ダリヤ』『幼女の声』『異端の子』の全7編を収録。
 
                        <ウラスジ>
 
 
続けさまのの田宮虎彦・ワールド。
 
ちょうどこの頃だったか、昼メロ枠で、
『銀(しろがね)心中』がやっていた気がします。
で、
新潮文庫から出ていた田宮虎彦もの三作品、
その中で『銀心中』だけ読んでない、と。
 
明治の剣客というと、”緋村剣心” でしょうが、
この中山荘十郎は立場も逆だし、
明治の御代になっても剣を極めようとするも、
チャンチャンバラバラするわけでもない。
 
 
荘十郎は招魂社の境内で剣舞をみせた。
鞭声粛々といった古い詩の間に、
必ず小栗上野や榊原健吉や河井継之助などの詩を交えた。
 
……<ガマの油売り>を思い出す。
 
 
秩父暴動やオッペケペーの川上音二郎一座など、
歴史上の事件や人物に絡ませながら、
荘十郎は、幕末・明治・大正・昭和と生き抜いてゆく。
 
その間、ページにして50ページ足らず。
 
 
これ以外はほぼ”現代もの”。
 
<余談>
 
この二冊で私の田宮虎彦遍歴は終わりますが、
今回あるところで、
”忘れられた作家・田宮虎彦”
という表現を見つけて、
『う~ん。さもあらん』と感じてしまいました。
 
解説の中にも、
 
田宮は、武田麟太郎、丹羽文雄、中山義秀から、
さらに徳田秋声の名をあげて、自分の位置を
「そうした線の末端にあるひとつの点にしたい」
と述べている。
 
                 <猪野謙二:解説より>
 
こうして見ると、
文庫にならなかった作家たち
もしくは、
文庫で読めなくなった作家たち

が並んでいるような。

 
武麟なんかは、
わが敬愛する織田作の先達とも言える、”大阪” の作家。
 
読みたい読みたいとは思っていたものの、
私が現役の本読みだった頃は文庫になっていなくて
(もしくは廃刊になっていて)、
ついぞ、手に取ることが出来ませんでした。
 
今は講談社文芸文庫から出てるんだ……。
 
<追記>
脳梗塞の後遺症で、ペンが握れなくなったとて、
田宮虎彦は投身自殺を図っています。
享年76歳。
 
ある意味、
”文士らしい選択の一つだった”
と言ったら無責任でしょうか。