涼風文庫堂の「文庫おでっせい」  325. | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<プーシキン、

ワイルド、

石川達三>

 

988.「スペードの女王」

アレクサンドル・セルゲーヰッチ・
プーシキン
短編集   中村白葉:訳  新潮文庫
収録作品
 
1.スペードの女王
2.ロスラーヴレフ
3.客は**家の別荘に
4.ドゥブローフスキー
5.キルジャーリ
6.エジプトの夜々
 
 
表題作は
三枚のカルタの秘密をめぐって展開する幻想的な怪奇譚で、
簡潔、明確、単純という散文の三要素をみごとに具現し、
「古典美と大理石の冷たさをたたえた」 珠玉の短編。
 
ほかに、ナポレオンのロシア遠征に取材して
政治、社会、道徳の各方面に明快な批判を下した 『ロスラーヴレフ』
など、6編を収録。
 
近代ロシア文学の確立者として
不朽の名をとどめるプーシキンの短編集である。
                               <ウラスジ>
 
 
プ―シキンについては是非ともこちらをご覧下さい。
 
さて。
この中村白葉訳でも神西清訳でも、
”カルタ”
とされているこのゲーム。
<ファロ>という名のゲームらしいが、
全く馴染みがない。
というか、結局、トランプじゃん。
 
 
そのカルタ必勝法を聞き出さんがために、
老伯爵夫人を死に至らしめたゲルマン、
彼の寝台に夫人の亡霊が近づいてきて、
こう教示します。
 
『3』 と 『7』 と 『1』 、
――こうつづけて張れば、お前の勝ちです。
が、ひと晩に一枚以上張ってはなりません。
そして一生涯、もう二度とカルタを手にしてもなりません。
 
そうは言われても、
当然のように、忠告を無視して勝ち続けるゲルマン。
 
それによって、墓穴を掘っていることに気付きません。
 
最後は、
 
「婆あだ!」
と恐怖に駆られて叫びだした。
 
   結末
ゲルマンは気が狂った。
彼はオブホーフ病院の十七号室にいて、
何をきかれても返事をせず、
ただ異常な早口でつぶやいている――
「3,7,1 ! 3,7,女王 !……」
 
 
まさに、簡潔、明確、単純。
それはともかく、
それぞれの作品に訳者の白葉が簡潔な解題を施しているので、
それをまた濃縮して添えておきます。
 
『スペードの女王』
済み。
 
『ロスラーヴレフ』
ウラジーミル・ロスラーヴレフの恋の話。
時代はナポレオンのロシア侵攻のころ。
ロスラーヴレフが見染めたポーリナという女性の運命やいかに。
そして彼女に下された評価は。
未完。
 
『客は**家の別荘に』
クレオパトラに関する断片。
未完。
 
『ドゥブローフスキー』
中編。
いわゆる盗賊譚。
通俗物語。
厳密には、未完。
 
『キルジャーリ』
盗賊譚。
こちらの方が
”写実的で空想味少なく、よくまとまった、地方色ゆたかな好個の小品”
で、
”簡素な話術の巧みがかなり高く買われている佳品”
ということ。
完成品。
 
『エジプトの夜々』
これまたクレオパトラに関する断片。
未完。
 
……こうして見ると未完の作品が多いなあ……。
 
 
 

989.「ドリアン・グレイの肖像」

オスカー・ワイルド
長編   福田恆存:訳  佐伯彰一:解説
新潮文庫
 
舞台はロンドンのサロンと阿片窟、
美貌の青年モデル ドリアンは、
快楽主義者ヘンリー卿の感化で
背徳の生活を享楽するが、
彼の重ねる罪悪はすべてその肖像に現われ、
いつしか醜い姿に変り果て、
慚愧と焦燥に耐えかねた彼は
自分の肖像にナイフを突き刺す……。
 
快楽主義を実践し、
堕落と悪行の末に破滅する美青年と
その画像との二重生活が奏でる
耽美と異端の一大交響楽。
                              <ウラスジ>
 
 
子供のときは 『幸福の王子』。
大人になったら 『ドリアン・グレイ』。
 
とりあえず、ワイルド初出のところを。
 
 
オスカー・ワイルド 
Oscar Wilde (一八五六ー一九〇〇)
の名を耳にすれば、たちまち、
「世紀末」 だの 「デカダン派」 だの
「唯美主義」 だの 「芸術のための芸術」 だのといった、
もろもろの古風な亡霊が、
多くの読者の眼前にうごめき始めるにちがいない。
 
だが、そうした古風な亡霊どもの正体について、
余り気を廻しすぎるのは愚かなことだ。
 
亡霊どもには、勝手にさまよわせておくがいい。
 
ぼくのまず読者に求めたいのは、
亡霊どもの蠢動には目もくれず、成心を去って、
さりげなくこの小説を読み始められることである。
 
作者の名前すら無視なさるがよろしい。
                       <佐伯彰一:解説より>
 
 
恐ろしく気合の入った解説の ”第一声”。
 
まさに本当の意味での、<読者への挑戦状>。
 
なんか
やたら議論を吹っかけてくる文学青年みたいな感じがして、
鬱陶しくも、また懐かしくもありました。
 
ひつこい。
 
ですから、
かような感情の吐露を追っていてはキリがないので、
作品解題として破綻してしまっている一文を挙げて、
終止符を打ちたいと思います。
 
 
読者は世上多くの読物小説のように、
筋の思いがけぬ変化や発展、
また多種多様な性格の組合せなどを
期待なさってはいけない。
 
作品中に現われる警句や逆説を楽しめ、
ということらしい。
 
ああ。
私が 、
”作品中のレトリックを楽しんだ”
ラディゲのそれに通ずるものがあるかもしれない。
 
で、本編から。
 
 
「ああ、気がめいる!」
自分の肖像画に眼を注いだまま、ドリアン・グレイは呟いた。
 
「悲しいことだ!
やがてぼくは年をとって醜悪な姿になる。
ところが、この絵はいつまでも若さを失わない。
きょうという六月のある一日以上に年をとりはしないのだ。
……ああ、もしこれが反対だったなら!
いつまでも若さを失わずにいるのがぼく自身で、
老いこんでいくのがこの絵だったなら!
そうなるものなら――そうなるものなら――
ぼくはどんな代償も惜しまない。
この世にあるどんなものだって惜しくない。
そのためなら、魂だってくれてやる!」
 
で、最後の最後。
 
なかにはいって見ると、
壁には主人の見事な肖像画がかかっていた。
 
それは、召使いたちが最後に眼にした主人の姿そのままであり、
そのすばらしい若さと美しさは、ただ驚嘆を誘うばかりだった。
 
床の上に、夜会服姿の男の死骸が横たわっていた。
心臓にナイフが突き刺さっている。
 
老けやつれ、しわだらけで、
見るからに厭わしい容貌の男だった。
 
指環を調べてみてはじめて、
人人はこれが何者であるかを知った。
 
 
<余談>
肖像画に魔物の<本体>がある、
という話は、近代怪奇ゴシック小説の王道の一つ。
このブログでもかつて、ゴーゴリの 『肖像画』 のところで
言及しています。
 
つい最近、
YouTubeに挙がっていた
1966年の実写版 『悪魔くん』 の
『幻の館』 の回で、肖像画を本体とした妖怪を見ました。
 
 
最後はメフィストの杖で肖像画の方の心臓を貫かれ、
その妖怪はおのれが妖力(魔力)で作った豪奢な洋館とともに
消えて行きました。
 
……それにしても懐かしい。
『悪魔くん』 は私が子供のころ、唯一、
全部見届けた最初のテレビ番組でした。
 
<続・余談>
あともう一つ。
最後のシーンとその描写で、
なぜかウエルズの 『透明人間』 のラストに似たものを
感じてしまいました。
 
 
<結・余談>
結果として、
<ドリアン・グレイ>から、
デカダンスや耽美主義以外に、
こんなことを連想してしまう人間もいるということで、
<読者への挑戦>に答えさせていただきました。
あしからず。
 
 
 
 

990.「結婚の生態」

石川達三
長編   亀井勝一郎:解説  新潮文庫
 
 
結婚に対して否定的な考えを持っていた主人公は、
愛のない苦渋に満ちた同棲生活を送った後、
謙虚な心で結婚生活に入った。
 
だが、結婚についての疑問は永く尾を引くのだった……。
 
人生の瑣末事の悲喜劇が累積され、
不安や倦怠などのあらゆる弱点が暴露される
結婚生活の真実を語らんとする
自伝的小説ともいうべき作品であり、
結婚の理想を実行しようとした人の忍耐の記録でもある。
                               <ウラスジ>
 
新潮文庫の並びから、
『結婚の生態』
『幸福の限界』
『泥にまみれて』
 
私はこの三作品を勝手に ”結婚三部作” と呼んでいましたが、
『結婚の生態』 だけは戦前の作品。
 
しかも<自伝的要素>ありということで、
作品中の奥方の名は其志子、
実際の石川達三夫人は、代志子(さん)。
 
昭和初期の若き知識人男性による、
”関白宣言”
とも受け取れます。
しかし、徐々に緩くなってくるのは世のならい。
 
しかもこの奥さま、
ハキハキして、昔でいう ”おきゃんな” 感じ。
決して尻軽ではないが、活発な近代女性風。
竹を割ったよう、と言えば、漫画の 『サザエさん』 だが――。
 
げにおぞましきものは、
サザエさんとマスオさんのSEX,
バカボンのパパとママのSEX、
を想像することなり。
 
学生時代、誰かが言ってた。
 
もとい。
 
そんな女性にこんな事を聞く男。
 
「夫婦生活というものは当然肉体関係を伴うものだ。
それをお前は汚いもののように考えてはいないか?
一般に肉体関係は醜いものに思われているし、
殊に結婚以前の若い娘たちにはその考えが強いだろうと思う。
そのために結婚を恐怖したり
良人を恐れて飛びだしたりする女もあるようだ。
それは間違った考えだ――」
 
この後もしばらく ”性” に関して
懐柔するようなセリフが連綿と続きますが、
これは次に紹介する 『幸福の限界』 にも
繋がってゆくもののようです。
 
 
最後の方、
『生きている兵隊』 が発禁となって、
捲土重来を期すべく、
再び特派記者として戦地に赴くことになった際の奥さんの言葉。
 
 
「危いところへなんか行っちゃいやよ。
 もしも死んだりしたら、殺すわよ」
 
こんな感じのやりとりの ”元祖” かも。
 
人の生き死にをこんな風に表現するのはどうかと思いますが――
 
甘~い。
 
 
 
 
 
これで990冊。