涼風文庫堂の「文庫おでっせい」74 | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<ウエルズ、

ウィンダム>

 
 

239「透明人間」

ハーバート・ジョージ・ウェルズ

長編   宇野利泰:訳  創元推理文庫

 

 

イギリスの寒村に、不思議な男がひとりやって来た。

 

顔じゅうをまっ白な包帯で巻いて、

外気に触れているのは鼻先だけという異様な風采だった。

 

この男の出現と同時に、

村の中には奇怪な出来ごとがつぎつぎに発生し、

ついにはおそるべき真相が明るみに出る。

 

透明になれたら、

という人類の願望をかなえる秘薬を発明した

科学者がたどる数奇な運命!

 

SF史上の古典となったウェルズの傑作!

 

                        <ウラスジ>

 

 

二人の科学者の対決模様でもあります。

 

透明人間になるグリッフィン

研究のためなら何でもやりかねない

<マッド・サイエンティスト>。

 

一方のケンプはグリッフィンの大学の同期性で、

助けを求めにやって来た彼を

警察に売ることも辞さない常識人。

 

最終的に、

ケンプは狂気じみて来たグリッフィンを

追いつめることになります。

 

 

ウェルズらしく、

人間が透明になる原理を詳細に述べている章があります。

 

 

19章  ある重要な原理

 

その中からいくつか抜き書きしてみます。

 

「物が見えるということは、その物体の光に対する反応だろう。

光が物体にあたると、その一部は反射されるか、

吸収されるか、または屈折するかのいずれかだ。

吸収、反射、屈折の、どの作用も行われないときは、

その物体は見ることができぬことになる。」

 

 

「例えば君が、赤い物体を見るとする。

赤く見えるというのは、

物体が光線の赤色部分だけを反射して、

残りを全部吸収してしまうからなのだ。

光を全然吸収しないとすれば、白い物体が輝いて見えるはずだ。」

 

 

「ガラス板を砕いて、こなごなにする。

それだけで、窓にはまっていたときよりも、

ずっと見よいものになるだろう。

理由は、粉末になったことによって、

屈折や反射を起こす表面積が、はるかに大きくなるからだ。」

 

 

「ところが、このガラスの粉末を、水中に入れてみたまえ。

たちどころに、見えなくなってしまうだろう。

なぜかというと、水とガラスの粉末とは、

その屈折率がほとんどひとしいので、

光が水からガラスの粉末に進んだ場合、

その屈折も反射も、格別めだった変化をしめさないからなのだ。」

 

「人間は、ガラス以上に透明な物質だ!」

 

「透明な物質のくせに、

一見そうとは見えぬもがたくさんあることをな。

 

たとえば紙さ。

紙は透明な繊維から成り立っている。

白くて不透明なのは、

ガラスの粉末が白く不透明なのと同じ理由からなんだ。

白い油紙は、分子と分子の間隙を油で満たしている。

したがって、表面以外のところでは、

屈折も反射も起こらないでガラスのように透明になる。

 

紙ばかりではない。

木綿、亜麻、羊毛、木材、すべての繊維についていえることだ。

 

人間を成立させている物質だって、それと同様だ。

骨、筋肉、毛髪、爪、神経、

――血液の赤の色素と、毛髪の黒い色素とを除けば、

どれもみな、無色透明の組織から成り立っているんだ。

 

われわれのからだが、見えるも見えないも、

ほんの微妙な作用といえるのだ。

生物の組織なんて、

大部分は水にちかい透明な物質から

できあがっているのだからね。」

 

 

……と、ここまでは砕けた感じの

『科学教本』を読んでいるようです。

 

 

では、

どのようにして<透明人間>になるのか?

 

 

ウェルズは<発明>するのです。

作ってしまうのです。

 

「ぼくの理論が産みだしたわけではない。

ほんの偶然の賜なのだが、、ぼくは生理学上、

画期的な大発見をしてのけたのだ」

 

「血が赤いのは、赤くなる物質があるからだ。

白くすることも可能だし、無色にもできるのだ。

ほかの機能は、現在のまま失われないでね。」

 

で、透明人間になる、

血液の色を失わせる薬を発明してしまいます。

 

この辺が、ヴェルヌとの論争で指摘されたものでしょう。

 

「彼は<作って>しまうのだ。

それなら、実際にその実物を見せてもらいたい」

 

いささか子供じみたヴェルヌの言い分ですが、

近代SF小説の黎明期にはこういった、

今では<不毛>と思えるような論争が

ほかにもあったようです。

 

一番多かったのは「理論上、あり得ない」

 

 

 

透明人間は狩りだされ、

近くの工事現場から駆け付けた

土工のシャベルのひと振りで絶命します。

 

薬がきれてきます。

 

【そこには、三十歳ぐらいの青年の、

傷だらけの死骸が、裸のままに横たわっていた。】

 

 

 

 

 
 

240「トリフィド時代」

ジョン・ウィンダム

長編   井上勇:訳  創元推理文庫

 

五月七日、

地球の軌道が緑色の大流星群のなかを通過した。

 

ところがその翌朝、

流星を目撃した地球上の人間は

すべて視力を破壊されて盲になるという椿事がもちあがった。

 

いまや目明きの人間は、たまたま、

なんらかの事情で流星を見なかった、

ごく少数の人間に限られることになった。

 

おそるべき恐慌と社会的混乱が各地に発生した。

 

おりもおり、当時人類が植物油採取のため、

厳重な管理のもとに栽培していた

トリフィドという動く食肉性の植物が野放しとなり、

猛然として盲目の人類を襲い始めた。

 

人類SOS!

 

                        <ウラスジ>

                                            

 

 

破滅テーマを扱ったSFには、

往々にして終末宗教とその狂信者が登場します。

 

映画「インディペンデンス・デイ」なんかにも現われて、

真先に殺られていましたが。

この作品にも、出てきます。

 

『新しい道徳律による新世界を建設しようとする男』

『旧道徳による世界を救おうとする男』

『キリスト教による新社会を作ろうとする女』

『新封建主義社会を作ろうとする男』

 

(登場人物)の欄より

 

                               

彼らはみな、数少ない視力の保持者で、

自分たちの王国を作り拡大していくために、

”宗教戦争” のようなものを引き起こします。

目的は、目が見える者の略奪です。

 

まあ、事が終わった後の世界でしたら、

彼等の望むものは手に入れる事が出来るかもしれませんが、

時はトリフィドの襲撃まっただ中の時代です。

 

その撃退法や退治法を見つけられない限り、

彼等の行く先は<目に見えて>います。

 

 

主人公の男女は逃げのびたサセックスの農場で、

電気柵や火炎放射器でトリフィドに対抗しますが、

如何せん数が多すぎる。

 

ある日上空にヘリコプターが現われます。

その機には知り合いが乗っていました

彼等はトリフィドの襲撃を逃れるために、

離れた島に渡って、掃討作戦に着手し始めたと言います。

主人公たちはヘリでその島に向かいます――。

 

 

 

この小説を語る上で外せないのが、

映画化作品です。

 

 

◎「人類SOS!」  

The Day of the Triffids

 

1962年 (英)

 

監督:スティーヴ・セクリー

脚本;フィリップ・ヨ―ダン

原作:ジョン・ウィンダム

撮影:テッド・ムーア

音楽:ロン・グッドウィン

 

出演

 

ハワード・キール

ニコール・モーレイ
ジャネット・スコット
キーロン・ムーア
 

*監督は知らない。

 

* フィリップ・ヨーダンの脚本作品は結構、観ています。

* カーク・ダグラスが粘着質の刑事を演じた「探偵物語」、

  ”ジャニー・ギター” こと「大砂塵」、

  大作系の「エル・シド」「北京の55日」

  「ローマ帝国の滅亡」「バルジ大作戦」。

* でもこの映画に近いのは、「黒い絨毯」かな。

 

* 撮影のテッド・ムーアと言えば、<007>。

* この映画、「ドクター・ノオ」と「ロシアより愛をこめて」

  の間に撮ったらしい。

* ああ、当時の表記でいくと、

  「007は殺しの番号」と「007危機一発」のあいだ。

 

* 音楽のロン・グッドウィンは、

  同じウィンダム原作の映画、「光る眼」も担当している。

* でも日本人としては、「素晴らしきヒコーキ野郎」ですね。

* 裕次郎が出ていた。

 

 

◯主演のハワード・キール。

 

ミューカル映画のトップスター。

「キス・ミー・ケイト」や「掠奪された七人の花嫁」の主役。

 

特に「キス・ミー・ケイト」の中の 

”So in love" という曲は、

淀川長治さんの「日曜洋画劇場」の

エンディング・テーマ曲として、

個人的に体が震えて来るような郷愁を味わわせてくれます。

 

 

 

 

……この映画の頃はミュージカル映画は

衰退していたからなあ……。

 

 

◯キーロン・ムーア。

 

ヴィヴィアン・リーの「アンナ・カレニナ」のヴロンスキー。

 

 

残り二人の女優はよく知らない。

 

 

さて、映画の方はトリフィドの扱いを

流星群とともに飛来した宇宙植物ということにして、

人類に仇成す外敵としての存在に絞り込んでいます。

 

盲人による目が見える人間の

争奪線のようなシーンはあるものの、

メインは人間とトリフィドの戦いです。

 

原作と同じように、

主人公・ハワード・キールたちは

電気柵を巡らせた農家に立て籠もります。

 

こうすることでトリフィドの侵入を防ぐわけですが、

この電気柵が放つ電磁波が

ほかのトリフィドを呼び寄せてしまいます。

 

無事な夜を過ごしたハワードたちが、

翌朝、電気柵の外に見たものは、

十重二十重に電気柵を取り囲んだ怖ろしい数のトリフィドでした。

 

この圧倒的な不気味さは言いようがありません。

 

電気に反応すると気付いたハワードたちは、

柵の電源をきり、静かに音をたてないようにして、

車で脱出します。

 

これはうろ覚えですが、

トリフィドの群を抜け出るまではエンジンをかけなかったか、

逆にカーラジオをガンガンにかけて

囮になったような気がします。

どっちだったろう?

車は複数台あったような気がするから後者のほうかな。

 

とのかくこのシーンの緊迫感は、

のちに観たヒッチハイクの「鳥」の

ラストを思い出させます。

 

 

一方、こっからは映画オリジナル。

 

制作にも名を列ねているフィリップ・ヨーダンの腕の見せ所。

 

 

燈台に閉じこもった夫婦にトリフィドが襲いかかります。

 

燈台の中にまで侵入したトリフィドとキーロン・ムーアの戦いは、

らせん階段を舞台にしたかつての剣劇映画のごとく、

上へ上へと上がって行きます。

 

妻がいる最上階まで、あとわずかとなったところで、

切羽詰まったキーロンはやおら消火用のホースを取り出し、

トリフィドたちに放水し始めます。

最初は無我夢中で、

次には水圧で連中を下まで落としてやろうという意図で。

 

高い塔なんかの消火は、

一番上から。

「タワーリング・インフェルノ」。

 

とこらが、あらら、消火用の海水で、

トリフィドは見る見る溶けていくではありませんか。

 

それに気づいたキーロンは放水しながら下へと降りて行きます。

その時の得意気な顔は今でも覚えています。

 

で、これは私の妄想から来る勝手な勝利宣言であす。

 

「奴らの弱点は海水だ。――海水だぞ! 

この地球上にどれだけあると思ってるんだ。

人類は助かったんだ!」

 

 

この頃のSF映画には<安心感>と<希望的観測>を

持って終わるものが多かった気がします。

 

そうじゃなかったのは

「SF・四次元のドラキュラ(4Dマン)ぐらいだったかな。

 

マックイーンの「人喰いアメーバ」は冷気に弱くて、

北極だか南極だかに運ばれていったし。

でも地球温暖化で復活するかも。

 

 

で、思い出した。

潜水艦が出て来るんだ。

 

で、囮になったハワードがトリフィドに追い詰められて、

潜水艦の浮かぶ海へと崖からダイブするんだ。

 

一緒にトリフィドも何株(?)か海におちるんだっけ?

ブクブクいうシーンとかは?

 

と、同じ海のシーンから、

もう一つの重要な挿話である

燈台のシーンに変わっていく――。

 

いわゆる<ビジュアル・マッチカット>使用で。