630冊、終了。
<W・M・ケリー、
レーモン・クノー、
アップダイク>
631「ぼくのために泣け」
ウィリアム・メルヴィン・ケリー
短編集 浜本武雄:訳 集英社文庫
収録作品
1.リバティ街でたった一人の男
2.敵の縄張り
3.ポーカー・パーティ
4.リーナ・ホーンにゃ似ても似つかねえ
5.アギー
6.祖母の家
7.聖パウロと猿たち
8.酔っぱらった水夫
9.偉人とすごしたクリスマス
10.コニー
11.召使いの問題
12.カーライル兄貴
13.救われた魂
14.雪掻き
15.美しい脚
16.ぼくのために泣け
命のかぎり歌い続け、
弦の切れたギターを抱いてこと切れた黒人の姿に、
人間とは何かを問う表題作。
白人と黒人社会の断層を皮肉に見る 「召使いの問題」 等、
アメリカ社会のひずみを若き黒人作家の目でとらえた
いぶし銀のような諷刺作品。
アメリカ文学に新視点を拓いたケリーの傑作短編集。
<ウラスジ>
個人的に好きだったのは、
『聖パウロと猿たち』。
大学院に行って弁護士になるべきなのか?
もっと違う道も摸索して見たいという主人公チッグを
婚約者のエイヴィスは詰ります。
挙句、婚約指輪を抜き取り、チッグに差出します。
しかし、その指輪をもぎ取ると、エイヴィスは気を失い、
仰向けに倒れてしまいます。
チッグは、これは芝居に違いないと思いながらも、
時間の経過とともに不安になってきます。
そして――。
――だが、今もしこの体に手をふれたら、
キスをしてしまうだろう、という事が自分でわかっていた。
もしキスをすれば、その次には指輪を元戻りにはめてやり、
そして結局は大学院に行くことになるだろう。
そして最後の一文。
――彼女の体に二度とふれないだけの
強い意志が持てるようであってほしいと
ねんじながら。
チェリーボーイにとっての
”女体” の魔力たるや、凄まじいもの。
<追伸>
アメリカ作家で、
たまたま黒い肌をもって生れてきたものは、
次のようなユニークな問題に直面することになる。
「いわゆる黒人問題の解決策や解答が、
その作品に含まれているのではないか、
と読者から往々にして期待される」
ということである。
<はしがき>
上述した 『聖パウロと猿たち』 も、
黒人の日常生活を描いたものとして読んだわけではないし、
そんな感じすら受けることはありませんでした。
ケリーははしがきで、
ある種<黒人作家>の宿命めいたものに言及したあと、
黒人問題の解決策を示すのは自分の領分ではなく、
作家はむしろ疑問を提出すべきものだと書いています。
それにしても、この作品を読んだ頃は、
『黒人文学も様変わりしたなあ』
と感じたものでした。
で、このあと読む事になるアリス・ウォーカーで、
今度は『黒人問題』プラス『女性問題』に
直面させられることになりますが……。
にしても、大丈夫か?
この表紙のイラスト……。
632「地下鉄のザジ」
レーモン・クノー
長編 生田耕作: 中公文庫
田舎からパリにやって来た少女ザジは、
地下鉄に乗ることを一番の楽しみにしていたのに、
あいにくの地下鉄ストで念願果たせず、
警官か誘拐魔か奇妙な男につきまとわれたりしながら、
なんともおかしな人生体験をする……。
庶民の精神風俗の鋭い観察、
言葉の可能性の執拗なまでの探求から生み出された
新しい小説形式の秀作(本邦初訳版)。
<ウラスジ>
ちょっと<エグイ>生田耕作さんの解説。
抵抗文学の似非(エセ)ヒロイズムと
実存主義のお説教調で
慢性憂鬱病におとし入れられていた
当時(1959年)の読書界が、
『地下鉄のザジ』のドタバタ喜劇調と、
女主人公ザジが連発する
<ケツくらえ>の名せりふに
久方ぶりに腹の皮をよじらされ、
つきものが落ちたような
爽快感を味わったのも当然であることは、
この邦訳をお読みいただければ、
じゅうぶん納得いただけることと思います。
ここでも実存主義が槍玉にあげられてる……。
まあ、生田さん御自身は、
バタイユとマンディアルグがご専門みたいだから……。
クノーに関してのプロフィールは、
中公文庫の折り返しにあるものをあえて脇に置き、
「世界のオカルト文学・幻想文学・総解説」
に記載されているものを目安にしています。
レーモン・クノー(1903~1976)は
シュルレアリスムの中で青年期をすごしたフランスの散文家。
戯曲形式の『イカロスの飛行』は『地下鉄のザジ』と共に
彼独特の言語遊戯を展開した彼の代表作。
……ということで二冊とも読ませていただきました。
『イカロスの飛行』
は、かなり後にならないと登場しませんが、
”原稿の中に逃亡した作中人物と作者の追跡劇”
という内容です。
ああ、忘れてた。
映画でも多分(?)使われたであろう、
最後の最後のザジの名セリフ。
そこに至るまでのザジと母親の会話も含めて。
「で楽しかった?」
「まあまあね」
「地下鉄は見たの?」
「うゥうん」
「じゃ、何をしたの?」
「年を取ったわ」
もひとつ、フランスで地下鉄って言うと、
映画 『望郷』 を思い出します。
”メトロの香りがする女”
彼女のせいで、ペペ・ル・モコ(ジャン・ギャバン)は
命を落とすことになります。
633「同じ一つのドア」
ジョン・アップダイク
短編集 宮本陽吉:訳 新潮文庫
収録作品
1.フィラデルフィアの友だち
2.追いこまれたエース
3.明日が、そして明日が、またその明日が
4.歯科医と疑惑
5.少年の口笛
6.黄昏どき
7.グリニッジ・ヴィレッジに雪が降る
8.黄色いばらを黄色にしたのは誰?
9.日曜のいらだち
10.最良のとき
11.一兆フィートのガス
12.近親相姦
13.市からの贈り物
14.仲なおり
15.鰐
16.最も幸せだったこと
大学出ではあるが貧しい両親をもつ少年ジョンは、
教育はないが金持の両親をもつガール・フレンドの家を訪れる。
彼女の父に最新型の自動車の運転をさせてもらう
ジョンの至福を描く処女作 『フィラデルフィアの友だち』
をはじめとする短篇16編を収録。
自らがくぐりぬけた生活を題材に、
生の重さの中で光彩を放つささやかな祝福の瞬間を凝縮した
鬼才アップダイクの初期短編集。である。
<ウラスジ>
<ウラスジ>にもある、”ささやかな祝福” とは、
たとえばこんな事。
『追いこまれたエース』
クビになって、いろいろな思いが頭をよぎっている時、
エース(主人公の名)はふと、高校時代に残したバスケの記録が
まだ破られていない、という新聞記事を見知る事になる。
『明日が、そして明日が、またその明日が』
主人公はシェイクスピアを高校生に教える
中年のマーク・ブロッサー。
生徒の殆どはまともに授業なんて聞いてやしない。
そんな中で、ブロッサー先生は
グロリアという女生徒のメモを見つける。
そこには
「先生を愛していると思うの。
ほんとうに≪愛して≫いるんだわ。ほんと」
と書いてあった――。
その実、グロリアは他の先生にも似たような文言を
書いていることが判明するのですが、――。
それでもそのメモを見たときの心地よさが忘れられない――。
ささやかな祝福。
ここからは訳者である宮本陽吉さんの言葉を借りて――。
そうした祝福は、
すぐに跡かたもなく消えることを作者は知っている。
そして、また重い足どりに戻らねばならないことも。
だから、アップダイクのことをペシミスティックな作家だという
意見も生れてくる。
しかし、祝福は、
人が無限の幸せをやすやすと
手にいれる瞬間であって、
生の重さのなかに置かれるときに
はじめて光彩を放つものなのだ。
……こうして見ると、
<ウラスジ>はこのあたりの文章を頂戴してますね……。
<余談>
私にとって、
アップダイクはサリンジャーと
セットになっています。
それぞれ新潮文庫で数冊発刊され、
アップダイクは背表紙の色が緑。
サリンジャーは背表紙の色が水色。
これは言わずもがなのことでしょうが、
お互い、ホントの(?)代表作は、
ともに白水社からでていて、
文庫化されていない。
アップダイク 『走れウサギ』(未読)。
サリンジャー 『ライ麦畑でつかまえて』
(読了)。
だから何なんだって、話でしょうが、
こういう自分なりの法則性や共通項の<紐づけ>が、
それこそ私の読書における ”ささやかな至福” を
形作っている訳なのです。
【涼風映画堂の】
”読んでから見るか、見てから読むか”
◎「地下鉄のザジ」
Zazie Dans Le Metro
1960年 (仏)
制作:ルイ・マル
監督:ルイ・マル
脚本:ルイ・マル / ジャン=ポール・ラプノー
撮影:アンリ・レシ
音楽:フィオレンツォ・カルピ
原作:レーモン・クノー
出演
カトリーヌ・ドモンジョ
ヴィットリオ・カプリオリ
イヴォンヌ・クレシュ
ユベール・デシャン
ジャック・デュフィロ
アニー・フラテリーニ
カルラ・マルリエ
フィリップ・ノワレ
* ルイ・マル。
* ヌーヴェルヴァーグの監督で、
トリュフォーの次によく見た監督。
* やっぱり、
『死刑台のエレベーター』 ですね。
* でも監督デビューは、『沈黙の世界』。
* あのクストーとの共同監督だったということ。
* ジャック=イヴ・クストー。
* 『海の恋人』、『海底の案内人』、『実在版のネモ船長』。
* カリプソ号、日テレの『驚異の世界』、
テーマ曲とともに蘇える。
* もとい
* ルイ・マルのお話。
* そうそう。最後はキャンディス・バーゲンと
添い遂げたんだっけ。
* 『ルシアンの青春』 も響いた。
* ザジを演じた女の子。
* カトリーヌ・ドモンジョ。
* なんじゃこの名前は?
* カトリーヌ・ドヌーヴ と ミレーヌ・ドモンジョ を
くっつけたような名前。
* 本名なのか、
フランスを代表する女優二人にあやかったのか?
* なんか、ジュリアーノ・ジェンマ が名乗っていた
”モンゴメリー・ウッド” を思い出す。
* こっちは
モンゴメリー・クリフト と ナタリー・ウッドの合成。
* ほかは余り知らない俳優陣ばかり。
* フィリップ・ノワレだけは、
1988年の 『ニュー・シネマ・パラダイス』 で、
”ちゃんとした(?)” 脚光を浴びる。
* 息の長い、<おっちゃん俳優>。
<余談>
このポスターを見て、
スケートの「髙木菜那選手」を思い浮かべたのは
私だけでしょうか・