<石川達三、フレミング、
武者小路実篤、
谷崎潤一郎、庄司薫>
81「青春の蹉跌」
長編 青山光二 新潮文庫
開始早々、こんな文章が目に飛び込んで来ます。
――とにかく資本主義を倒すことだ。そのためには革命的青年を育成しなくてはならない。つまり社会革命の前に、まず人間革命が必要なんだ。
人間革命は誰がやるんだ。
それは教育だ。教育だけしか無い。
いきなり左翼学生の演説を聞かされるようですが、御心配なく。
これは主人公・江藤賢一郎の友人・三宅の言葉であって、賢一郎自身はこう考えています。
――彼は現実主義者であったから、三宅のような遠いはるかな理想にあこがれたりはしなかった。彼は階級闘争を計画する代りに、自分自身がブルジョア階級にはいって行くことを考えていた。
詰まるところ、貧しい法学生の賢一郎が、資産家である伯父の娘・康子と結婚するために、邪魔になった遊び相手の登美子を殺してしまう、というお話です。登美子は妊娠していて、しかも堕ろそうとしなかったことが引き金となりました。
最後にちょっとした驚きが用意されています。
解説にもありますが、こういうストーリーは必ずと言っていいほど、ドライサーの「アメリカの悲劇」との類似を取り沙汰されてしまいます。確かにボートのシーンなんかは露悪的なほどに似せていますが――。
私としては「赤と黒」に類似性を見たのですが、この作品にせよ「アメリカの悲劇」にせよ、どちらの解説でもジュリアン・ソレルの名を挙げる人はいませんでした。
読みかたが間違っているのかなあ。
そう言えば、アイラ・レヴィンの「死の接吻」も同じような話だったけど、これも比較のお仲間には加えてもらってないなあ。
フランス文学とミステリーは眼中にないのかなあ――。
映画も観ました。
神代辰巳:監督です。
登美子の妊娠が発覚したあと、賢一郎の心象風景を顕わす演出として、スクリーンいっぱいに赤ん坊の笑顔を映し、♫~Baby~♫ とBGMを流すシーンが何度かありました。
ここら辺が、”若者に媚びてる” とかなんとか批判されていましたが、劇場で笑いが起こっていたのを考えると、この演出は成功したと言えるのではないでしょうか。
ああ。逆か。受けちゃいけないんだ。
で、出演者の顔ぶれは以下の通りです。
萩原健一、桃井かおり、檀ふみ <敬称略>
誰が誰を演じたか、一発で判るような配役でしょう?
82「007 ロシアから愛をこめて」
長編 井上一夫:訳 厚木淳:解説 創元推理文庫
ここで007かあ。
なんちゅうチョイスだ。
映画「007 危機一発」の原作です。
映画配給会社に勤めていたころの水野晴郎さんが名付け親であることは有名な話です。
ですが――。
以前にもどこかで書きましたが、この題名が流布したせいで「一発」から「一髪」に軌道修正するまでにどれだけの時間を要したことか。
多分、高校時代まで引きずっていたと思います。
東側スパイをあいついで摘発されたソ連情報部は、その報復としてジェームズ・ボンドを殺害する事を計画します。しかも 「はずかしめて殺すべし」 という死刑執行令状を作成して。
これを公式殺人機関のスメルシュに委託するところから話は始まるのですが――。
西側に亡命したいというソ連情報センターの暗号係の女性を迎えに行くべく、ボンドはイスタンブールへ旅立ちます。現地で一仕事したあと、ボンドはタチアナと言うその女性と、彼女が亡命の ”おみやげ” として持ち出したという暗号解読機とともに、オリエント急行に乗り帰路につきます。そこでボンドを待ち受けているものは?
原作と映画ではラストが微妙に違っています。
しかし、007を語る場合、映画の存在を無視する訳にはいかないでしょう。とりわけ原作にわりと忠実に作られたショーン・コネリー時代のものは。
版権がなかった処女作の「カジノ・ロワイヤル」は別にして、ユナイトの007シリーズがおかしくなったのはどの辺からでしょうか。
やっぱり、ロジャー・ムーアになってからかな。「私を愛したスパイ」なんて原作と全く違うし、「ムーンレイカー」は当時流行りの「スターウォーズ」便乗見え見えでしたもんね。
ええと。
ついでにこの文庫の裏表紙を披露しておきます。
タチアナを演じた、ダニエラ・ビアンキ。イタリアの女優さんです。
83「愛と死」
長編 本多顕彰:解説 新潮文庫
「友情」と並ぶ武者小路実篤の代表作ですが……・。
片っぽが ”失恋物語” で、もう片っぽが ”悲恋物語” とはねえ……。
――之は二十一年前の話である。しかし自分には忘れられないはなしである。
で始まり、
――死んだものは生きている者にも大なる力を持ち得るものだが、生きているものは死んだ者に対してあまりに無力なのを残念に思う。
この言葉のあとに数行あって、小説は終わります。
村岡と夏子の恋は、村岡の洋行中に、夏子が流行性感冒で亡くなったことで終わりを告げます。
以上。
84「痴人の愛」
長編 本多顕彰:解説 新潮文庫
純愛ものの次は ”情痴”もの(?)です。
ナオミと譲二。
カフエエで15歳のナオミを見染めた28歳の譲二。
メリー・ピクフォードに似ているというナオミを譲二は引き取って育てます。
メアリー・ピックフォード
<夫のダグラス・フェアバンクス、チャールズ・チャップリン、監督のD・W・グリフィスとともにユナイテッド・アーティスツを創立する>
余談終わり。
……………。
いずれ自分の妻にしようという計画だったのです。
ナオミは徐々に美しさを増し、妖艶さも出て来ます。
と同時に奔放な性格を露わにしていきます。
男出入りも激しくなり、禁止しても治る気配がありません。
ついに譲二はナオミを追い出します。
しかし――。
この小説を発表した2年後に芥川とやりあうんですね。
結構面白い論争ですが、それはまた「文芸的な――」の時に取り上げる事にします。
「痴人の愛」を読んだのは高校時代ですから、 ”何でこんな女とズルズルベッタリなんだ” と義憤にも近い感情を覚えましたが、歳がいくと、女のことというよりも男のことが段々判ってきて、”ああ。自分もそうなるかも” とコペルニクス的転回を採用することになりました。
譲二は最後近くでこう言い放ちます。
――これを読んで、馬鹿々々しいと思う人は笑って下さい。
読んだ当時は、”おお。してやるともさあ” などと粋がっていましたが、今はどうでしょう。
”何にせよ、愛するものがあるのは悪いことではないでしょう” ぐらいの寛容さを持ってしまったのではないでしょうか。
85「赤頭巾ちゃん気をつけて」
ええと。
この小説にも言いたい事がいっぱいあって、何から始めればいいのか迷ってしまうのだけれど、迷うってこと自体、ひょっとしてそれほど重要なものがないからなんじゃないかと思えて来たりして、ますますミダス王の迷路状態に陥ってしまうのだ。
と、以上、私なりの ”庄司薫・調” でした。
日比谷高校、東大、と自分とはまったく関係がない環境は置いといて、私が魅了されたのはその文体でした。
解説の佐伯彰一さんに言わせると、「電話世代の語調」らしく、続けてこうも仰っています。
――あまりに都会的で、いわば甘えっ児の饒舌調には違いないけれど、それが全体としていかにも軽やかに使いこなされている。甘ったれたおしゃべりも、自己満足の押しつけがましさとならずに、機智とユーモアの余裕があり、遊びとなっている――
<この作品の女性たち>
「舌かんで死んじゃいたい」が口癖のガールフレンド由美、「好きです、あなたが」と言ってしまった美人女医、「なんの本を買うの?」と聞かれて「あかずきんちゃん」と答えた五つぐらいの女の子―-。
とどめが、
『中村紘子さんみたいな若くて素敵な女の先生について、(いまの先生はいいけれどおじいさんなんだ)優雅にショパンなど弾きながら暮そうかなんて思ったりもするわけだ。
公開プロポーズです。見事に成就されました。
三島由紀夫に絶賛されたこの作品ですが、私の周りの評価は散々でした。
”ブルジョア的だ”
確かにそのきらいはありますが、見てるとこが違っていたので……。
ですからサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」との類似を言われても、「まあね」ぐらいの感想しかありませんでした。
ホールデンと薫クンとじゃねえ。