<五木寛之登場。
新美南吉、深沢七郎>
76.「青春の門」 筑豊編 上
初めての五木作品でした。
読書初心者からすると、難敵の<2巻モノ>でしたが、スラスラと読めました。
会話に方言が多用されていますが、もともとのネイティブに近いので何の支障もきたしませんでした。逆に登場人物に親しみを感じたほどでした。
五木さんの文体は、”繊細なハードボイルド風” だと私は思っています。
地の文において、簡潔で無駄がなく、ガサツさや尾籠なところがない。
心象風景が多いところは、ガチガチのハードボイルド調とは言えまいが、そこで選ばれている言葉も頗るスマートなものである。
高校時代、ある友人がこう評していました。
「五木寛之は洒落た文章を書くからなあ」
言い得て妙だと思います。
さて、この小説を語るにあたって、ふたつばかり言っておきたいことがあります。
まず、いわゆる<大河小説>を読む場合、完結したものを一気に読むのが私の主義です。
進行中のものを発刊される都度 ,飛び飛びで読んでいくという形を取ったのは、この「青春の門」以外にありません。
「青春の門」の場合、<筑豊編>と<自立編>のあと、40年のブランクを経て次の<放浪編>を読みました。さすがに細部は忘れていましたが、信介と織江の”鉄板筋”で何となく物語に入っていけました。で、そのあとも飛び飛びで読み続けています。
読み始めた時点で完結していないという事情があったにせよ、この読みかたを良しとしたのは、私が「青春の門」を ”大河小説” ではなく、”シリーズ物” として捉える事が出来たからでしょう。
ですから間が開こうと、新たに新刊が出ようと(重箱?)、何の差し障りもありません。
五木さんはン十年ぶりに「青春の門」を小説現代で再開されたようですが、それも書籍化されるまで気ままに待っていようと思います。
この感じ、『ダーティペア』の読みかたに近いんだなあ……。
もうひとつ。
ラスト近く、信介がをキャバレーの女給になった織江に会いに行き、一夜を共にするシーン。
織江が信介に言います。
「うち、あげな男たちに、いろんないたずらされたり、恥ずかしい目にあわされたりしたばってん、まだ、本当はいっぺんもあれはさせとらんとよ」
そうして信介と織江は、”イノセント同士”で結ばれます。
この場面を「具体的な例を挙げる事によって、織江は完璧な嘘を信じ込ませる事に成功した」と捉える人もいます。
実際、映画では「こげんところに居って、キレイな体でおらるると思うね?」的なセリフで織江の男性経験を吐露させています。そのほうが自然だろうという改変でしょう。
しかし、これは信介の物語であり、信介と織江の恋の行方という太い幹に沿って進んでいく話でもあります。
信介と織江は互いに初めての相手だった、という事が重要で、そこを誤るとその先の構成が危うくなって来るのです。
現に織江を商売女寸前に変えてしまった映画は、続編を作れず仕舞いになってしまいました。
――デビューして間もなかったとはいえ、”ナチュラル・ボーン・アクトレス” の大竹しのぶさんなら原作通りの織江を演じられたと思うのですが……。
純潔だ、処女性だのは時代遅れでナンセンスだという事は判りますが、少なくともこの物語においては固執するべきもので、無暗に改変するものではないと思います。
ああああ。何を力説してんだろ。
でもこの後の展開を見ると、”引っ掛かっているのは、もしかしてそこか” と思えるような行動を取っちゃってんだよなあ……信介が。
78.「牛をつないだ椿の木」
短編集 巽聖歌:解説 角川文庫
収録作品
1.張紅倫
2.正坊とクロ
3.ごんぎつね
4.てぶくろを買いに
5.病む子の祭
6.久助君の話
7.川
8.嘘
9.うた時計
10.屁
11.ごんごろ鐘
12.和太郎さんと牛
13.花のき村と盗人たち
14.おじいさんのランプ
15.牛をつないだ椿の木
北の賢治、南の南吉。
「ごんぎつね」の題名を見ただけで涙腺が緩んで来る方は、決して少なくはないと思います。
ああ、いかん。
『ごんぎつね』『てぶくろを買いに』『うた時計」『おじいさんのランプ』、これらは小学校の教科書に載っていました。
高一の夏、本屋で新美南吉の文字を見出して、すぐさま買ったのがこの本です。
やっぱり、いい。
おしまい。
79.「楢山節考」
短編集 日沼倫太郎 新潮文庫
収録作品
1.月のアペニン山
2.楢山節考 (中公新人賞)
3.東京のプリンスたち
4.白鳥の死
私が思っていた ”姥捨て山” の話とは全く違うものでした。
私が知っていたのは、――新しい城主のお触れで山に棄てられてしまった主人公の老母が、別の国から難題(複雑に穴を穿った球の中に糸を通してみろ、のような)を突き付けられた城主を、自らの知恵を息子に授ける事で、結果的に助ける、というお話。
ウラスジにある、
――雪の楢山へ欣然と死に赴く老母おりんを、孝行息子辰平は胸のはりさける思いで背板に乗せて捨てにゆく。残酷であってもそれは貧しい部落の掟なのだ――。
というこの文章、すこし違和感をおぼえませんか。”胸のはりさける思い” ”残酷” と言う文字が見えるなか、”欣然と” という言葉は不似合いでしょう。
自ら進んで捨てられようとするおりん婆さんは、楢山行きを早めるために自分で前歯を折ったりします。貧しい家から一刻も早く、自分という食い扶持を減らさにゃあいけん、としてとった行動です。
この自己犠牲から窺える家族への情愛、それを知っている息子の辰平は、掟通り、おりん婆さんを山に捨てるのですが、なかなかその場を離れる事が出来ません。
「おれが山へ行くときゃァきっと雪が降るぞ!」
やがておりん婆さんの予言通り、雪が降って来ます。
――雪が降ってきてよかった、それに寒い山の風に吹かれているより雪の中に閉ざされている方が寒くないかも知れない。そしてこのまま、おっかあは眠ってしまうだろうと思った。
「おっかあ、雪が降って運がいいなあ」
辰平の最後のやさしさです。
「月のアペニン山」も違った意味で印象的な話でした。
ざっくりいうと、発狂した妻と別れる物語なんですが――。
「東京のプリンスたち」はロカビリーに熱狂する若者たちの話です。
「白鳥の死」は正宗白鳥追悼の話です。チャイコフスキーとは関係ありません。
正宗白鳥は生前、「楢山節考」を『人生永遠の書』と言い切って、大絶賛していました。
80.「風に吹かれて」
エッセイ集というもの、雑文集の異名を持つだけに、読む側の記憶も雑になってしまいがちです。
ただ、そんな中で強烈に覚えているものが必ず一つか二つかある、と言う事も真理でしょう。
「風に吹かれて」の中だと、「光ったスカートの娘」と題された一文が、私にとってのそれでした。
――私がCMソングを自分の名前ではじめて書いたのは、いつだろう。
その年月もはっきり憶えていないが、商品名と、歌ってくれたタレントさんのことは良く憶えている。
<中略>
日本短波放送の薄暗いスタジオで、録音が行われた。歌い手さんは私の知らない名前の人だった。用意が出来たころ、マネージャーに連れられて、一人の小柄な女学生がやって来た。カバンを下げ、セーラー服を着ている。
「この人が歌うんですか?」
私はいささかガッカリして聞いた。私は自分の最初の作品を歌うタレントさんに過大なイメージを抱きすぎていたのだった。
「だいじょうぶ。この子は凄い才能がありますよ。将来きっと大物になります」
マネージャー氏が、私をなぐさめるように言った。
「はあ」
私は半信半疑であった。何でも学期末の試験で大変疲れているという。マイクに向ったセーラー服のスカートのお尻の所が、ピカピカ光っているのが目についた。
テストが始まったとき、私は軽いショックを受けた。張りのあるパンチのきいた声と、その声の背後ににじむ可憐なお色気が私を驚かせた。
<中略>
その少女が、中尾ミエ、という名前であることを、私は後で知った。その日から私は彼女に会ったことがない――
少々引用が長くなりました。
私がこの文面を忘れ得ないのは、のちにスターとなる二人が新人時代に顔を合わせていたというところだけでなく、お二人とも福岡県人だったという事実にあると思います。
郷土愛。
……にしても、いい題名だなあ……。
ボブ・ディランの歌とどっちが先だっけ?
耳にしたのは。