涼風文庫堂の「文庫おでっせい」  28. | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<太宰ふたつと堀辰雄ひとつ>

 
 

73.「走れメロス」

太宰治

短編集   奥野健男:解説  新潮文庫

収録作品

 

1.ダス・ゲマイネ

2.満願

3.富嶽百景

4.女生徒    (透谷文学賞)

5.駆込み訴え

6.走れメロス

7.東京八景

8.帰去来

9.故郷

 

初対面の方にも安心して薦められる、数少ない(?)太宰治の短編集です。

「人間失格」を薦めてこちらの人格が疑われるような事はありません。

 

「走れメロス」、この臆面もなく突きつけられる友情物語はどうでしょう。

「富嶽百景」は「走れメロス」と同じく、教科書掲載の常連組です。

 

この中ですぐに目をひくのは「ダス・ゲマイネ」という字面でしょう。ドイツ語で ”通俗性” や ”卑俗性” を表わす言葉であるとともに、津軽弁の、”ん・だすけ・まいね”(それだからだめなんだ)をもじったものだとも言われています。

 

私はしばらく『ダス・ゲマイネ』と『ゲッセマネ』を混同しておりまして、題名だけを思いだしたときに、「キリスト教に関係した話だっけ」などと誤った想像をしていました。

 

これは ”太宰治” と言う青年含め、四人の若者が雑誌を出そうというお話です。

 

『ゲッセマネ』は『駆込み訴え』の方ですね。当然ながら。

 

ああと。例によって書きたい事はまだまだありますが、最後は解説の奥野健男さんのこの言葉で締めくくりたいと思います。

 

一度愛読者になると太宰治は、その人間にとって特別の存在になるのだ。

 

ああ、もう一つ忘れてた。

返歌だ、返歌。

 

太宰治にとっての『走れメロス』」は、三島由紀夫にとっての『潮騒』だと思います。

 

 

 

 

74.「ヴィヨンの妻」

太宰治

短編集   亀井勝一郎:解説

 

収録作品

 

1.親友交歓

2.トカトントン

3.父

4.母

5.ヴィヨンの妻

6.おさん

7.家庭の幸福

8.桜桃

 

さあて、戦後の太宰だ。病んでくるぞ。

 

ここはまず、太宰の友人でもあった亀井勝一郎さんの解説から。

 

【太宰は虚構の名人である。空想力の実に豊かな作家である。彼はつねに彼を描いた。作品はすべて告白の断片にちがいない。だが事実を事実として描いたものはおそらくただの一行もあるまい】

【身辺を題材としながら、そこからアフォリズム(箴言)を直感的に思いつき、それを基として展開したり、或いは作中にばらまくことが屡々ある。『父』『家庭の幸福』などに端的にみられると思う】

 

この2番目の文章、目から鱗が落ちるとはこの事でした。

以前にも書いたと思いますが、私は「葉」を始めとする太宰のアフォリズムに魅せられ、他の様々な ”アフォリズム本”を読み漁りました。

 

ラ・ロシュフコーの「箴言と考察」、アナトール・フランスの「エピクロスの園」、アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」、ブレーズ・パスカルの「パンセ」、芥川龍之介の「侏儒の言葉」……。

 

……読み通すのに無茶苦茶苦労しました。

箴言・格言の連チャンはきつい。たとえそれがどんなに心に響こうとも。

 

こういった本はきちんと向き合って読む本ではない事を悟りました。

 

ちょっとした空き時間に数ページ読む、これぐらいの感じがちょうどいいでしょう。机の上でじっくり読み進めるのはかなりの精神力を必要とするはずです。

 

箴言・格言集は間食にしましょう。

 

では、なぜ太宰の箴言はすんなり入って来るのか、その答えを教えてくれたのが、ほぼ50年ぶりに読み返した「ヴィヨンの妻」における亀井さんの解説だったのです。

 

”バラまいてたんだ

 

だからこそすぅっと入ってきたんですね。

サブリミナルと違って、太宰のアフォリズムはしっかりと文字になっています。

改行していかにも、と言うものから、文章中に何気なく放り込んでくるものまで、いろいろです。

 

*親が有るから子は育たぬのだ。

*曰く、家庭の幸福は諸悪の本。

*子供より親が大事。

 

ありていに言えば心に残る箴言めいたものは、小説を読んでいる内に自分で見つけるもんだ、ってことですね。

 

 

 

 

 

 

 

75.「風立ちぬ・美しい村」

堀辰雄

中編   丸岡明  新潮文庫

収録作品

 

1.美しい村

2.風立ちぬ

 

 

風立ちぬ、いざ生きめやも。

 

堀辰雄自身の訳だそうですが、良い響きですねえ。

岩波文庫の鈴木信太郎さんの訳だと――。

 

――風 吹き起る……生きねばならぬ。

                                ポール・ヴァレリー「海邊の墓地」より

 

これはこれでいいと思いました。言ってる意味も把握出来ましたし。あは。

 

堀辰雄は「美しい村」で出会った少女と9年後に婚約します。

その一年後、その許嫁を伴って富士見高原の療養所に赴きます。

そしてその冬、彼女は亡くなります。

「風立ちぬ」はその直後に書かれた、いわばレクイエムです。

 
ただ私は「風立ちぬ」から、どうしても暗い感じや悲壮なものを感じる事が出来ません。
そもそも題名からして<死>を予感させますし、ヴァレリーの詩の舞台も物語の舞台も、ともに
<死>が身近に感じられる場所であるというのに。
 
これはひとえに、一緒に読んだ「美しい村」のせいだと思っています。
「美しい村」にもサナトリウムの影がちらつきますが、何と言っても軽井沢の蒼穹の下、風になびく草原のなかで、白い半袖のワンピース姿という出で立ちの少女が、風で飛ばされないように片手で白い麦わら帽子を押さえている――こんな光景を焼き付けてくるのです。
 
少女趣味。
 
ですから私の「風立ちぬ」の印象は、殆どが「美しい村」」に侵食されてしまったようです。思いっ切り引っ張られています。
 

この印象を変える気はありません。