涼風文庫堂の「文庫おでっせい」31 | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<野坂昭如、庄司薫、

魚返善雄、

浜田広介、北山修>

 
 

86「受胎旅行」

野坂昭如
短編集   富士正晴:解説  新潮文庫
 

収録作品

 

1.受胎旅行

2.マッチ売りの少女

3.スケコマシ同盟

4.現代好色かたぎ

5.猥談指南

6.パパが、また呼ぶ

7.子供は神の子

8.浣腸とマリア

9.たらちねの巣

10.娼婦焼身

 

久しぶりに手に取って目次を見たら、『マッチ売りの少女』と『浣腸とマリア』のところに、◯の印が付けてありました。

 

『マッチ売りの少女』は街娼の、『浣腸とマリア』は男娼の話でした。

 

特に『マッチ売りの少女』はすぐに思い出しました。

 

これは当時、かなりのインパクトを与えてくれた作品です。

 

五十路かに見えぬこともないお安は当年とって二十四、身持ちの悪い母親に育された父無し児、幼き頃より継父と称する男の玩具となり、なんの因果かそれが喜びとなって、男に抱かれるたびに「お父ちゃん、お父ちゃん」とのたまう始末、継父が出て行き母親を殺して大阪を出たものの、東京で出会ったスケコマシに売られ、やくざの下での売春暮らし、それでも根っからの淫乱気質、乞われる以上の奉仕に励み、その都度叫ぶ「お父ちゃん、お父ちゃん」

 

と、ここまでは、私なりの「野坂昭如・調」で書いてみました。

 

そんなこんなで、色々あったお安は大阪に戻ってきたものの、病気持ちになって誰からも相手にされず、住むところもままならず、タオルの寝巻きに半天一枚の格好で夜のドヤ街をさまようことになります。

「おっちゃん、みていけへんか」「五円にしとくわ」「縁起もんやで」

と下半身をはだけ、マッチ一本燃えつきるまでの御開帳。

 

最後は客も取れず、疲れ切ってしゃがみこむお安がマッチを取り出すところから、エンディングへと向かいます。

 

――お安は、ふと迎え火のようにマッチをすり、それはたちまち風に吹き消され、今度は裾をひろげて、身をかがめ同じくし、そのかすかなぬくもりを下腹部に感じると、思いついて、残る三本のマッチを一度につけて、大事そうに股の間にさし入れ、焔になめられて灼かれた肌の痛みを、むしろうっとりとたのしみ、「お父ちゃん、来てくれたんか、うちぬくなったよ」という間もなく、寝巻きにうつった火が、風にあおられてぼっと燃え上り、お安の体はそのまま一本のマッチの軸のように炎に包まれ、声もなく横倒しとなり、しばらくはプスプスとくすぶって、風吹くたびにこまかい火の粉をまきちらしていたが、それも消えて闇。

 

お安も幸せに昇天したのでしょう。

元祖・「マッチ売りの少女」のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

87「白鳥の歌なんか聞えない」

庄司薫

長編   高見沢潤子:解説  中公文庫

 

昔、NHKでドラマを観た記憶があります。

仁科明子さんのデビュー作かなんかだったと思います。

”透明感”という形容が当てはまるほぼ最初の女優さんではなかったかと思います。今で言うと「堀北真希」さんみたいな。

ただ、このあとのツルゲーネフ作品がねえ……。

 

まあ、いいか。

 

身近な人の死に直面した時に思うことは人それぞれでしょうが、この作品の中の老人についてはあえて触れません。いわゆるこの本の題名となった「白鳥」その人のことです。

 

ただ――死ぬ間際の人間を例えるには美しすぎませんか。

 

多くの著名人が今はの際に残したという言葉、今になって見ると、「ボケてたんじゃないか?」と思えるものも多々あります。「光を、もっと光を」なんてそれっぽい。

 

良かれ悪しかれ、現代に生きる身としては、老人の痴呆症と対峙しなければならないでしょう。

 

今読むと死にまつわる話も、死に惑わされる話も、どこか浮世離れしてるような――。

 

由美は感化されすぎ、薫クンはそれを気にしすぎ。

 

なにかこの本を読み返していくうちに、言い知れぬ反発心が沸き起こってくるのをどうしようもありませんでした。

 

そんなキレイごとじゃねえぞ。

由美って、めんどくせえ女だなあ。

上流階級の ”コップの中の嵐” じゃねえ?

 

ですが若い時に抱く死生観というものは、おおむね実際の「死」に対して大きく影響されがちです。そこを切り取って提示して見せたのがこの作品なのかもしれません。

そう考えるとしばしの猶予を与えることにも、やぶさかではありません。

 

庄司薫さんの本はまだ数冊ありますし。

 

 

 

 

 

 

88「漢文入門」

魚返善雄

魚返昭子:附記  教養文庫

この本は「漢文」の授業などとは全く関係なく、独自に購入した文庫です。

もちろん、授業には役立てたと思いますが、それをメインにしたものではありません。

 

漢字が好きだったんです。

 

自分の名前に使われている漢字の画数が多くて、小学生のころは書くのに苦労しました。

はっきりいって嫌いでした。

そんな時、中学の時の担任の先生が、苗字の由来や使われている漢字の意味をそれとなく教えてくれたのです。その先生は国語ではなく英語の担当でした。

 

それがきっかけで漢字に興味を持ち始めました。

で、この本を買ったわけです。

 

改めて中身を見ると、最初から最後まで、びっしりと線が引かれています。よほど熱心に読んだんでしょうね。授業で強制的に買わされたものなら、こうはいかないでしょう。

 

ただこの熱心さが「漢文」のテストの点に反映されたかどうかは定かではありませんが――。

 

 

 

 

 

 

 

89「浜田広介童話集」

浜田広介

短編集   坪田譲治:解説  新潮文庫

収録作品

 

1.花びらのたび

2.むく鳥のゆめ

3.ますとおじいさん

4.黒いきこりと白いきこり

5.ある島のきつね

6.あるくつの話

7.りゅうの目のなみだ

8.南からふく風のうた

9.泣いた赤おに

10.はえの目と花

11.赤いもち白いもち

12.くりのきょうだい

13.ふしぎな山のおじいさん

14.野原のつぐみ

15.みつばちのあまやどり

16.かえるのきょうだい

17.はりと石うす

18.石のかえるとひきがえる

 

 

「むく鳥のゆめ」は間接的にじんわりと、「泣いた赤おに」は直接的にぐわんと、涙腺を刺激してきました。

 

読み直そうかとも思いましたが、止めておきます。

ベルトラン・ブリエ「ハンカチのご用意を」と言われても、江國香織「号泣する準備はできていた」って感じじゃないので。

 

なんのこっちゃ。

 

 

 

 

 

 

90「戦争を知らない子供たち」

北山修

エッセイ集   角川文庫

 

この前、久々にテレビで北山修さんを見ました。

「日曜美術館」の<ファムファタール>の回だったと思います。

どこかの大学の教授になっておられたような。

”医者”になると言って、《フォークル》を辞めたと記憶してるんですが――。

 

で、「戦争を知らない子供たち」

 

時代ですかね、としか言いようがありません。

 

これはまた、次の北山修さんの時にでも……。