母
は
私の祖父
のことを
私に話すとき
決して、
あなたのおじいちゃん
とは言いません。
私のお父さん
という言い方
をします。
母にとって、
家族
は
自分の生まれ育った家族
だけ
なのでしょう。
姉
が
中学生の頃、
どうして私を生んだの?
と
泣き叫んで
母に訴えたことがありました。
姉に
母は平手打ちをしました。
きっと
答えることができなかった
のでしょう。
小さいころ
私も
もっとソフトな表現
で
母に尋ねたことがある
のですが、
その時は
結婚すれば子どもを作るもの
と思っていた
と
答えてくれました。
可愛いのは自分だけ。
私は愛されていない。
という思いが
姉にも
おそらく
あるのでしょうが、
私も
同じ気持ちになることがあります。
父の将来性と結婚した
と言い放ち
世間体
に流された
母の結婚は
失敗だった
と思います。
おそらく
母とは
まったく
違う
人生
心境
を
生きてこられた
と思いますが、
母と私
の
心理的な関係
は
おそらく
書道の先生
の
母娘の
心理関係
と
似通っている
ところがある
のだろうなぁ
と
思うことがあります。
いがみ合っている
わけではない
けれど、
許せないものがある。
それに
一人にするわけにもいかないし、
自分にも理があるから、
共存している
というような。
九十歳近くになっても
ヨガや社交ダンス
で
筋肉を鍛え、
八十歳を超えてから、
骨折しても
復活された
先生
には
きっと
娘の手を煩わせられない
という思いだけでなく、
きっと
娘の介護は受けられない
という危機感もある
のだろうなぁ
と。
それが
逆に
元気の秘訣
なのかもしれませんね。
私の
母にも
それくらい
ピリピリしたものがある
ほうが
ちょうどいいのだろう
と思います。
一度
我が家
に
先生が来られて、
母が応対したことがある
のですが、
先生は
好きなように生きなさい
と
おっしゃったようです。
それは、
きっと、
行きつく先は
野垂れ死に
だから、
思うようにやりなさい
好きなようにやれば、
野垂れ死にでも構わない
と思えるから
という
ある種の
悟りの言葉
だったのだろう
と思います。
きっと
父のような
死に方
は
母にはできない
でしょうから、
先生の言葉
を
よくよく
かみしめてほしい
と思いますが、
おそらく
もう
忘れちゃってる
でしょうね。
このままであれば、
何もかも忘れて、
自分がいるのがどこかも分からなくなって
自分さえも分からなくなって、
というのが
母の最期かなぁ
と
うっすら
感じています。
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