After tone -10ページ目

心情

.


伝える事は、もう、してはいけないのかと思う。

だからせめて此処に吐き出してしまおう。

かつて、それを、"泣き言"と言われた事もあった。

誰にも言えない苦しみを ひたすら笑顔で隠すにも限界があり、自分が歪んで行くのがわかる。


言いようのない不安感を 別の言葉に委ねてみたら、“今日はどうしたの?"と一蹴されてしまう。

コントロールできない"痛み"
動かなくなって行くカラダ

立つ事は普通であり、考えてする事ではない。
歩く事は当たり前であり、努力を必要としない。
座る事に痛みは伴わず、考える事でもない。

…と言う、普通の事ができない今。

立ち上がるのに覚悟をし、支えを探しながら体重移動をする。

歩く姿は滑稽でしかない。

病巣が当たり、座ってもいられない。

唯一のラクな姿勢が寝ている事。


こんな風に人は弱って行くのだ。

12時間おきに服用するmorfine。
痛みが強い時にも飲む。

とある芸能人がクスリで捕まった報道を横目に、私にとってはその劇薬が無ければ生きていけない白い粉を複雑な思いで眺めていた。



あなたは 今の私の何をどう見ているのだろう。

家の中を這うように移動し、ベッドに倒れ込む姿を想像できるのだろうか。


真夜中に止まらなくなる涙を知る由もなく。


それでも、明日はまた笑うのだ。
無理やりにでも笑顔を作っておはようを言う。

歯を喰いしばりながら朝食を作り、杖代わりにしながらモップをかける。

重ねたクッションに座り洗濯物を畳み、アイロンをかける。

そしてピアノを弾く。


楽しい事だけを考える。


夢が夢で終わる虚しさもあるけれど、10の夢を描いたら1つだけでも叶えたい。


それだけでも生きる希望になる。






生きる希望が欲しい。








.





ふるさと

.


首里城が火災に遭った。
沖縄を愛する方々にとってその存在はかけがえのないものと思い巡らせる。
この国にとっても、世界的に見ても重大な事なのだろう。


しかし

世界遺産ではなくとも、心に風が吹くような光景は、今 この国の其処ここに散見される。


過日 甚大な被害をもたらした台風。
その濁流は、私の故郷も飲み込んで行った。


その夜、携帯電話の向こう、実家の母の声のバックにはピチャピチャと水中を歩く音が聞こえていた。
それは勿論 家の中。

冷静だと言いながら、こちらの指示を半分も理解出来ない親に、年のせいなのか、パニックになっているのか諮りかねながら、同じく離れて住む弟とラインで同時にやり取りしながら一夜を明かしたのは先月の事である。


夜が明け、駆けつけた町は見慣れたはずの景色などどこにも無く、変わり果てた見るも無残な姿だった。


そして今も、それは変わらない。


大きな通りは一見復旧したかのように見える。
しかし、一本通りを入れば沢山のゴミや瓦礫が積まれ、泥はまだまだ流れ込んだまま。



町の外れにある指定広場は毎日車が列を成し、瓦礫や不要物の運び入れが今も続く、そしてその場所は途方に暮れるほどうず高く積まれた廃棄物が減る様子もなく増え続けている。


地元の友人達も、変わり果てた街の姿に涙している。

勿論、泣いてばかりでは無く、ボランティアセンターやその采配で友人達は飛び回っているが。



震災
津波
台風
水害


数十年に1度と言う台詞が毎年更新される昨今。

もはやこれはもう、この国の日常になりはしないか。


実家の母は逞しかった。
もともと物を溜め込むタイプの人ではないが、今回は更に潔い。
浸水した物をサクサクと振り分け、この先にも必要無しとみなしたモノを容赦なく手放して行った。

箪笥も食器棚も電化製品も。
物置きと呼ばれるガレージのような場所にあったものは殆ど廃棄。スッキリとしてしまった。

家の中も然り。

ついでに寝室をリフォームすることになったのもいいきっかけだったと思う。

全損になった2台の車も、とりあえず1台急いで中古を手に入れて、生活の足も確保した。

そろそろ年配の父の車の処分をどう説得しようか考えてた所だったので、災い転じてとまでは言わないが 結果オーライだったのか?


…と、私の実家は敷地が高く作られていたからこれで済んでいる。
ご近所の皆さんは一階部分を殆ど浸水し、未だ住める状況ではない。
勿論 家具も電化製品も全て廃棄だ。




今日も暖かな一日だった。
庭先の洗濯物だけを見ていたら、いつもの秋の何でもない金曜日だ。


ふと振り向けば、実家前のグランドゴルフ場は瓦礫の山。
その隣りの駐車場は泥のまま。


3週間経ち、砂利道と化した道路が、どうにかアスファルトになってきたのがせめてもの風景。


父が毎日手塩にかけて手入れしていた芝生は泥の中だ。
薔薇や沢山の花で一杯の母の庭はただの土だけが広がっていた。


ひとつだけ

毎年、近所でも有名で、遠方からでもその姿を観に来る"皇帝ダリア"だけは、揺らぐ事なく悠然と構え、沿道に向かうように佇んでいた。


毎年11月7日に開花する。


その凛とし、揺るぎない姿。
艶やかで人々を魅了する華やかさ。

母が重なった。











.

靭さ

.


また誰かが病で旅立ったと言う。

誰にも弱さを見せず、穏やかに。

強いひとなんだろう。

周囲に弱みを見せる事なく気丈であった事を後から知る。
それは美徳のように。


自分の身に置き換える。
確かに私は泣かなかった。
覚悟を決めた時、突然の別れを告げるわけにはいかない極数人に伝えた時も、泣いていたのは友人のほうだった。



強いと言われる。
誰からも。




でも
そんなわけはないのだ。
このブログの中でも吐き出して来た。

我慢する事をしなくていい と言ってくれた人に今では 辛い時は辛いと泣く。


泣ける場所がなかったら、きっと私は壊れてしまう。


強いひとでいたいと思う。
でも それは弱さを隠すのではなく、弱さをを自分が自分で受け入れた時だ。


強くいたいと思う。

生き様ってなんだろう。

何かをやり尽くすこともあるだろうけど、生き方は、生きる姿は、もっと生々しくて切ない。



最期まで足掻いていようと思う。
生きることに。





















.