今夜はブラタモリを観ながら:豊後森藩と久留島氏庭園(村上海賊としまなみ海道) | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)
 
今夜のNHK総合番組ブラタモリは、しまなみ海道と、瀬戸内の覇者・村上海賊(村上水軍)です。
私が一昨年、ブロ友の、くさせんりさんと訪問した大分県玖珠町の三島公園は、村上水軍の来島村上氏の末裔で、江戸時代に玖珠町を治めた豊後森藩主・久留島氏の森陣屋跡になります。
 
 
この、旧久留島氏庭園は、国指定名勝に登録されています。
 
 
江戸時代に豊後森(玖珠)藩主となった、久留島氏は、本来は来島氏と云い、
中世~戦国時代に瀬戸内海を支配した村上水軍の棟梁でした。
村上水軍は来島村上氏・能島村上氏・因島村上氏の三流に分かれており、
来島村上氏は伊予国守護・河野氏に仕えていました。
来島村上氏の棟梁であった村上通康は、毛利元就が陶晴賢を破った厳島合戦
で毛利川に味方するなどして次第に力をつけ、やがては河野氏から自立して
いきました。
村上通康の子、道総は、本拠地の名を採って来島道総と名乗り、豊臣秀吉の
有力な水軍衆として活躍。伊予国今治1万4000石の大名に取り立てられますが、
朝鮮出兵に水軍を率いて参加して戦死しました。
来島道総の子、来島長親は、関ケ原合戦で西軍に味方したものの、福島正則
らの取り成しで豊後国森に領地を与えられ、豊後森藩を立藩しました。
しかし、これにより、村上水軍の棟梁筋であった来島氏は完全に海と切り離され、
水軍大名としての血統は失われました。
この為か、来島長親は若くして亡くなっています。
来島長親の子、通春は、水軍大名の時代と決別するかのように、来島を久留島
と改め、豊後森藩主・久留島氏は明治維新まで続きました。
 
 
ところで、豊後森藩の城下町で会った玖珠の各地にある童話のモニュメント。
 
 
「日本のアンデルセン」と呼ばれた玖珠出身の童話作家・久留島武彦。
豊後森藩主・久留島氏の末裔なんですね。
 
 
他にも、同じ三島公園内にはC11-270号機の展示がある他、近くの旧豊後森
機関庫(経済産業遺産)には9600形蒸気機関車29612号機が美しい状態で
展示されています。また、玖珠町に行きたくなりました・・・。