この記事を書いている最中に、能登半島を震源とする震度6強の地震が発生しました。私ども夫婦もこの連休に金沢を訪問しておりまして、地震発生時に観光されていた方もきっと多かったでしょうから、とても他人事とは思えません。まずは地震に遭われた皆様のご無事を祈っております。
(中編の続き)ホテルでしっかりと朝食をいただき、出発の準備をする。
お世話になった三井ガーデンホテルをチェックアウトして、車へ荷物だけ置きに行く。ありがたいことに午後2時過ぎまで駐車料金の追加無しである。
気持ちの良い天気の下、身軽になって金沢市街を歩き始める。
まず尾山神社へ行き、さらに裏から橋を渡り金沢城へ入ると玉泉院丸庭園である。
これ、兼六園とは別なのだが、こういうの名古屋城にあったらいいなー。
いま名古屋城は天守木造再建で手一杯なのか、二の丸庭園が少々残念なのだ。
だから彦根の玄宮園とか、こういう城内庭園がうらやましかったりする。
ナマコ壁も実際に見るのは初めてだが、さすが加賀百万石、たいへん上品なたたずまいである。
石垣もすき間なくモザイク細工みたい。
石川門を抜けて兼六園へ・・・有名なことじ灯籠しか知らなかったのだが、実際行ってみると大変立派な庭園であった。
面白かったのが、逆サイフォンの原理で金沢城内へ水を供給するにあたり試作した噴水。
少し考えればこんなすごいもん(辰巳用水)無断で作って幕府に見つかったら相当ヤバイわけで、かなり気を使って完成させたらしいが、では誰の普請と思えばむべなるかな、あの鼻毛の利常さんであった。実の所いろいろな場所で名前を見かけるのは、有名な利家公よりも利常さんや綱紀さんだったりする。
・・・という話をしても嫁さんはどこ吹く風、さっきから時雨亭を探している。ようやく見つけて立ち寄ると、なんと和服の御婦人方による接待でお庭を見ながら抹茶と和菓子をいただけるのである。
ここまでで嫁さんもう大満足。この旅もミッション達成である( ̄ー ̄)ニヤリw
その後ひがし茶屋街へ向かう途中で、これも前日夜に見つけた泉鏡花記念館へ立ち寄る。

アタシんちの近所の桑名市に「歌行燈」本店があり、昔からたまに饂飩を食べに行っていたので泉鏡花とかかわりがあることは知っていた。また元鉄オタのアタシからすると「高野聖」のはじめに出てくる米原から柳ケ瀬へ至る描写は北陸線の旧線のことであって、北陸自動車道の余呉湖から先は殆どこの旧線跡に沿っていて、アタシの大好きな景色でもある。
曇空の下ここを走るとまさに高野聖の景色そのもので、前日も那谷寺へ行く途中、薄雨のなか北陸道下り線を走り抜けたのだが、木之本あたりから両側から山がどんどん迫って、こんなところを汽車が走ってたんだなーと胸熱になっていると北陸道柳ケ瀬トンネルへ吸い込まれていく。
この北陸道の現柳ケ瀬トンネルはすぐに通り抜けられるが、好事家の方は旧柳ケ瀬トンネルを通り抜けることを是非お勧めする。これこそ高野聖の語り部である「私」と宗朝大和尚が敦賀へ向かう汽車で通り抜けたトンネルそのものなのだ・・・
そんな私的な思い入れがあり、鏡花の作品もある程度読んで人となりを知っていたので、記念館で鏡花愛用の火鉢とか携帯用消毒綿入れを見せられてもアタシは消化できたのだが、嫁さんは完全に???であった。そもそも泉鏡花って誰?という人が多いと思われる。
鏡花自体も潔癖マニア、作品のストーリーも異様、それを古典的情感あふれる言葉遣いで包み込み鏡花独特の世界ができあがるので、展示内容もわかる人にはわかるマニア向けwww
さらに谷崎潤一郎や芥川龍之介との交遊についても展示があって、谷崎の放埓ぶりには笑ってしまったwww知らんかったぞ、こんなの。
この日は平日だったが金沢だけあって観光客も多く、記念館の外では修学旅行中の女子高校生(スカート短め)がソフトクリーム舐めながら「いま谷崎潤一郎おったしー(記念館の主である泉鏡花には興味なし)」とけらけら笑って通り過ぎる→しかし記念館の中はマニア向け、来るのは同類と思しき中年ばかりwww実は今回の旅で一番面白かったのがここでした。
そんな訳で、ひがし茶屋街へ着くころにはメンタルお腹いっぱい・・・
茶屋街の風情はどこへ・・・といっても今どきお茶屋遊びできる人、そうはおらんわな。
衰退して姿を変えて生き残る、これも時代の流れ。
お土産を買って、帰路に就く。実に楽しい2日間であった。
(終)









