高野山へ行ってみた 1(法話を聞いた日の思い出) | 50代親父の無為な日々

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変わり映えの無い50代の日乗とお寺巡り、モノづくりと外出の記録

去年西国三十三所を満願、嫁さんが先達就任と相成り、今はゆっくりと三十三所2周目や知多四国霊場巡りをやっているところである。しかし今年のGWは、ついに「高野山」へ行った。それも宿坊なる場所へ1泊したのであった。

 

5月1日朝6時に出発し、3時間で高野山に到着予定である。しかし橋本に着いた時点で雨が本降り・・・

雨の中奥の院を歩くのはイヤなので、2日に行く予定であった紀三井寺と粉河寺を先にして午後に金剛峯寺へ行くことに決めた。奥の院は晴れ予報の2日早朝にお参りすることにする。

 

紀三井寺と粉河寺は以前に参拝したこともあり、これといって目新しいことはなかった。紀三井寺に新しくケーブルカーが出来たこと、粉河寺でぜんざいをいただいたこと、くらいである。

 

高野山には午後1時頃に着いた。今夜は宿坊「西禅院」に宿泊の予定である。チェックインの後、少し休憩して歩いて金剛峯寺へ向かう。雨はすっかり止んでいた。

金剛峯寺では関白秀次公自刃の間とか蟠龍庭、台所など見てまわった。面白かったが、詳しい説明はガイドブック読んでください。

 

蟠龍庭の奥に新別殿といってお茶をいただけるところがあり、世話役のお母様方が「ゆっくりしていって」とおっしゃる。それで温かいお茶をいただいていると、ちょうど午後2時の法話が始まる時間になった。

 

私は、この手の話が長いと嫌だなと思う方であるが、布教師の女性僧侶の方が「10分だけ、いや12分くらい」とおっしゃる。面白そうな方で、嫁さんも聞く気満々なので、私も拝聴させていただく。

いや、大変すばらしい法話であった。

 

あの弘法大師でさえ様々な曲折の末にあのような立場になられたこと、高野山での厳しい修行の合間に見せる弘法大師の人間味、ありのままの自分でいることの大切さなど、短い時間なのに在家の私共にわかりやすく身に沁みるお話で、この金剛峯寺で布教師としてご活躍されていらっしゃるのもむべなるかな、と思わせるものであった。

 

その後徳川家霊台から霊宝館、壇上伽藍へと戻った。宿坊の西禅院は壇上伽藍のすぐ裏である。

もう午後4時30分を過ぎており、中門をくぐり壇上伽藍に入ると、私たちの他にはほとんど誰もいない。私たちは根本大塔の横を抜けて西禅院へ帰るつもりである。

 

すると右手の三昧堂の方からお坊様がお一人で歩いていらっしゃる。私と嫁さんは先ほどの布教師の方だとすぐ気付いた。通り過ぎて何気なく振り返ってみると、閉まっていて誰もいない金堂の前で手を合わせて礼拝をされていた。

その瞬間に私は小学生の時に校長先生から聞いた話を思い出したのである。

 

それは高田好胤(そう、あの高田好胤師である)というお坊様の話で、高田先生は薬師寺の再建のために全国を講演して回っていらっしゃったのだが、ある学校の体育館で講演をされた時のこと、お手洗いの下駄がばらばらになっていたそうだ。

※高田好胤師

それを高田先生はお手洗いのあと、誰も見ていないのに下駄をすべてきれいに揃えておられたのを、たまたま陰から校長先生は見ておられた(あるいはそういう話を校長が聞いたのかも)というのである。君たちはできますか?と、校長先生が子供達に問われたことを覚えている。

 

当時この話を聞いたときはそんなものかとしか思わなかったが、それに通ずる出家者の所作を実際に目の当たりにすると、自分より数万光年も先にいらっしゃる方がいることを痛感する。こういうことが当たり前にできる人、見ていない所で手を抜く人、お前はどっちかと問われているようでもある。ささいな事だが、今回の高野山参拝を振り返って、一番心に響いた出来事であった。

 

後でわかったことだが、この女性の布教師は浅田慈照さんという方です。

私はこんな立派な方だと全く知らず、新別殿で偉そうに茶を飲みながら話に引き込まれていた。失礼じゃなかったかしらと、少し心配であるwww

 

(続く)