野間大坊へ行った(後編) | 50代親父の無為な日々

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変わり映えの無い50代の日乗とお寺巡り、モノづくりと外出の記録

(続き)

さて、野間大坊の御朱印をいただきに行く。

ご朱印自体の話は他の方のブログ等でもくわしく書かれているので、気になったものをひとつ。

真正面の白洲の中に、赤鬼が寝ころがっている。

この手のオブジェというと大原三千院のわらべ地蔵が有名だが、あれこれ言うより気取らずにポンと置いてしまう野間大坊、さすがである。

 

その後近所の安養院へ。ここは織田信孝に縁の深い場所だそうだ・・・が、切腹の地であった。

 

血染の軸(腸をつかみ出し投げつけた軸)って・・・これまた凄いパワーワードである。

辞世の句も、これまたものすごい怨のオーラ出てます。ここも歴史濃い濃いスポットであった。

 

次にとなりの密蔵院へいくと、「かじとり観音」というのがあって、下に長田父子「磔の松」!!!キタキタキタコレ!

この辺の下調べはしてなかったので、この予定調和的な胸熱展開に感動しながら、嫁さんに「行っていい?」

「いいよ」よっしゃー!

まず「かじとり観音」だが、要するに太平洋戦争中に船を撃沈され、太平洋を漂流していた救命ボートが、観音様の奇跡で船長の出身地である伊勢湾の野間へたどり着いた、というお話なのだが、その救命ボートの本物そのものである。地味にすごいな、これ。

 

「磔の松」はその奥にあるようである。

竹林を通り抜けると見通しの良い場所へ来た。どうやらここである。

これが、今は枯れてこれだけしか残っていないが「磔の松」だそうだ。

どうしてここに、と思ったら野間大坊が目の前である。なるほどね・・・

※正面の木立が野間大坊

 

ここで起こったことは諸説あるが、Wikiでも読んでください。

子供の頃からなじみのある義朝さん、いやもうおなかいっぱいで大満足である。

 

そして周辺のお寺を回ったあと、「まどか」で甘いもの食べたいと嫁さんが言い出す。

そこで再度野間大坊の「まどか」へ。

 

そこで、ふと気づいたのがこの方である。

「まどか」の暖簾とか店内の額縁の中だけでなく、野間大坊のあちこちにいらっしゃる。

小さいのを納経所でも売っていたのだが、私の実家にも10年くらい前からいらっしゃるのだ。そうか、もともと野間にいらっしゃったのね。(後から確かめたら、裏に2100円の値札シールがwww)

 

追記(4月24日)

このお地蔵さんは、実は常滑の工房ほたる子さんの作品である。ギャラリー兼工房へお邪魔すると大小さまざまなお地蔵さまが並んでいます。暖簾の絵もすべて同じ作者の方です。

是非一度訪問されることをお勧めします。いいことあるかもしれません。

ついでに、上に出てきた赤鬼も同じ作者の方だったりします。

 

 

 

周辺には、これもよくある陰陽である。両方そろいありがたいことだが、陽の方が妙に立派www

世界最初のマニ車・・・霊場巡りをしていると、ときどき出会うのだが、世界最初って・・・

あの有名な血の池が普通に民家の真ん前(本当にド真ん前)というのも面白かった。

 

しかし義朝さんの墓や磔の松、信孝さんのなど、もう縁の字が怨に見えてくるほど、この地は怨だらけである。縁結びならぬ怨結び、確かに県内有数の心霊スポットと言われるだけのことはあった。

そんな怨結びばかりの地で、野間大坊の陰陽だけがそっと縁結びを主張しているのである。陽が立派なのも、これくらいは仕方あるまいてwww

 

嫁さんはこれらの事情はどうでもよく、「まどか」で茶菓子が「波まくら」だったこと、帰りにえびせんべいの里へ寄ることの方がよほど重大な関心事であった。最初から最後まで食べどおしであるwww

 

こんな訳で、野間大坊の初訪問は、色んな意味で夫婦ともども大満足のうちに終わったのであった。

(終)