聖書の改ざんの話② | 元J民の色々考察ノート

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前回

近年に刊行された新しい「新世界訳」の邦訳

不自然に改変されている箇所をピックアップしてみました。

ほとんどは過去の記事で紹介済ではありますが。

 

 

 

ヨハネの福音書1章1節  「言葉は神であった」

 

三位一体、またはキリストは神であったという教義の根拠として有名なのは

「言葉」が「神」だったという言い回しです。

 

新世界訳の原語(英語)では

「the Word was a god」

となっており、英訳の多くは大抵これに近い言い回しになっています。

※冠詞は「the」だったり無かったりする

 

だから、参照資料付き聖書(ここからは旧版と呼びます)は、

「言葉は神であった」と、英訳を正確に訳していました。

 

しかし最新の新世界訳では

「言葉​は​​の​よう​だっ​た」という、

どんな邦訳にも見られないような独自の意訳に書き換えられてしまいました。

 

エホバの証人はキリストと神は別々の存在だと考えているので、

読む者にそう思わせるため、わざと違う意味になる日本語にしたと思われます。

 

ただ、エホバの証人のキリストと神を別々に考える教義が有名だからこそ、

聖書の教養がある人には、恣意的に意味を変えた、とバレてしまいますね。

 

 

 

「諸国民」

 

「聖霊」と同じく新世界訳聖書から抹消され、別のワードに置き換わりました。

新世界訳の原語(英語)「naitions」で、これも大抵の英訳が共通していると思われます。

この「naitions」というワードの元になる古代ギリシャ語は聖書中に繰り返し出てきます。

だから旧版には、「諸国民」という言葉をあらゆる箇所で見かけました。

 

今の新世界訳は、その「原語」の英訳を当てはめる方法を故意に捨てて、

「naitions」という英語が持つ複数の意味を、あらゆる箇所に使い分けて当てています。

 

私は、最悪の改変はこれだと思っています。

複数の聖句の解釈が大きく変わってくるし、

その改変された解釈こそが、エホバの証人が主張してきた予言と一致する代物になるから。

 

旧版をはじめ多くの聖書で「諸国民」と訳されている語は、

ἔθνος(異邦人 等)の複数形?であるἔθνηというギリシャ語であり、

ἔθνηは、キリスト教の歴史の中では「異教徒」を指し示す場合にも使われてきました。

 

実際、旧版が使われていた時のJWは、聖書中で「諸国民」という出てくる聖句を見る時、

多くの場合において、その「諸国民」に、〝真のクリスチャン〟であるはずの自分自身が

含まれるとは考えなかったはずです。

 

新世界訳の邦訳は、元々は一つだったであろう原語をバラバラの訳に変えてしまいました。

その結果、確実に意味が変わってしまうのが下記の聖句です。

 

啓示の書20章3節、8節です。

旧約の3節によれば、千年統治の開始後、悪魔サタンは「諸国民」を惑わせなくなります。

旧約の8節によれば、千年統治の終了後、悪魔サタンが「諸国民」を惑わし集結させます。

 

新世界訳では、この「諸国民」「人々」に置き換わりました。

 

なぜならエホバの証人は千年統治の前のハルマゲドンで諸国家が滅ぼされると教えており、

非常に長い期間に渡って、

(実質的には)エホバの証人以外の人間も全滅する、という教えを広めてきたからです。

 

その理論で行けば、千年統治の開始時点では地上にエホバの証人しかいないはずであり、

「諸国民」つまり「異教徒」もしくは「あらゆる国々(の人)」は、存在しないはずです。

しかし旧版では、

悪魔は「もはや『諸国民』を惑わすことができないように」された、と書かれています。

 

エホバの証人の教義でいくと、

千年統治が終了した瞬間に「諸国民」が敵対者として集結する状況も不自然なんです。

千年統治の期間中に復活した死者を中心とする人々が悪魔に試みられる、というように

教えられてきましたが、

聖書によれば「悪魔が人々を諸国民(または異教徒)に変える」のではなく

「諸国民」「惑わす」と書かれているので、

千年統治の終了時点で「諸国民」なるグループが存在していると解釈する方が自然です。

そもそも千年統治の期間中に死人すべてが肉体を持って地上で復活するという前提がおかしいんだが

 

この「諸国民」「人々」と書き換えてしまえば、このような疑問は生まれなくなります。

 

その目的で、翻訳者が故意にワードを書き換えたとしか思えません。

なぜなら、英語訳はしっかり「naitions」という原語に忠実な訳を統一しているから。

 

 

 

ヘブライ人への手紙11章16節 「天に属する場所」

 

これは、意味が大幅に変わってくるかどうかは微妙なところですが。

 

ヘブライ人への手紙11章では、キリスト以前の善良な人達について紹介されていますが、

13節から16節では、彼らが地上の生活拠点を「一時的な居留地」のように考えており、

元いた故郷ではなく「さらに勝った場所」を望んでいた、という評価が書かれています。

 

この「さらに勝った場所」は、現行の英訳では

a better place, that is, one belonging to heaven

と説明されており、

旧版は「天に属する[場所]」と、分かりやすく和訳されています。

 

しかし、新しい新世界訳は​と​わり​の​ある​場所」と訳しました。

 

エホバの証人の、

キリスト以前の善人はすべて「天国に行かず、地上で肉体を持って復活する」

という教義に合わせて書き換えられたというのは想像に難くありません。

 

日本語の聖書の多くは、この場所を「天の故郷」「天の国」などと訳していますので、

それを普通に読めば

「古代の善人は天国に行くことを希望していたんだ」という解釈に至るでしょう。

でもそう思われるのは、エホバの証人にとっては都合が悪い。

 

仮にアブラハムが地上に復活してくるのであれば、

ルカ16章の「富豪とラザロ」のたとえ話が成立しなくなると思うんですが。

 

 

 

 

マタイによる福音書18章6節

「私​に​​を​つ​その​よう​な​た​ない​1​人​の​​を​げる​人」

 

日本の宗教2世問題とも無縁ではない話。

 

マタイによる福音書18章では、

イエス・キリストは「幼い子供」を追随者に見せて、

この子のようにならなければ天の国には行けませんよ」

「このような幼い子供を迎える人は、わたしも迎えることになるんですよ」

というようなことを言っています。

 

旧版はそこから、

「しかし、わたしに信仰を置くこれら小さな者の一人をつまづかせるのがだれであっても

その者にとっては、ろばの回すような臼石を首にかけられて、

広い大海に沈められる方が益になります

と続きます。

 

邦訳の聖書の多くが、同じく「これら小さな(い)者」という言い回しをしています。

※「子供たち」という意訳もある

 

新しい新世界訳は、

「私​に​​を​つ​その​よう​なた​ない​1​人​の​​を​げる人は~」

と、「目立たない人」という謎のカテゴリ新登場します。

 

はじめてここを見た時には

世界本部が意味そのものを変えてしまったのか、と驚いたのですが、

スタディバイブルの原語では

 

But whoever stumbles one of these little ones who have faith in me

 

となっており、

直前の5節では「such young child」という言葉が出てくるので、

つまづかせてはいけないのが「幼い子供」であることが分かります。

 

なぜ、邦訳が不自然な訳をしているのか。

 

JWは、あらゆる世界で問題視されています。

最近に注目されているのは「排斥」と「性的な虐待」ですが、

信者の家庭に生まれた子供を過剰に拘束する戒律も評判は悪く、

西欧の一部の国ではカルトとして扱われ、危険視されてきました。

 

でも「暴力的な体罰」を組織的に推奨していたことが大問題になっているのは、

私の知る限りは、日本ぐらいのものです。

※他国でもまったく同じ問題で批判されているのであれば私の知識不足です

 

2年前、宗教2世問題が報道されるようになるよりずっと前から、

エホバの証人の「虐待」という「特徴」は知られていたし、

そういう評判があったことを、日本支部が把握していないとは思えません。

さらに言えば、それが一般的だった時代の2世の大多数は、組織に残っていません。

 

「幼い子供の信仰を失わせるような者は死んだほうがマシだ」

などと正直に訳すことで、自分の首を絞めるような事態は避けたかったのかもしれません。

 

どのみち翻訳者側の何らかの意図がなければ、こんな不自然な邦訳にはならないはずです。

 

 

 

 

 

組織と関わりがあった頃から

日本の「エホバの証人」は、日本の信者達によって魔改造された姿なのではないか?

なんてことを、薄々感じていました。

 

わが国の宗教2世問題は、

宗教の原産国であるアメリカとは、かなり事情が異なるようなんです。

 

世界本部を擁護するつもりは一切無いけれど、

指示を出す側米国人の特性と

指示に従う側日本人の特性が

最悪の相乗効果を生み出した結果なのではないか…という気もします。

 

子供の頃に自分が住んでいた地域で、組織にとどまることを選んだ先輩2世は、

語学を学べる余裕がある人みんな外国語会衆や国外に去っていきました。

 

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ブログを通じて何かを強く推奨する主張はなるべく避けるつもりではいるけど、

 

最新の「新世界訳」だけを「聖書」として読むのは、やめた方が良いと思います。

 

日本で世間一般に広まっている聖書との互換性がありませんし、

なにより一部の聖句の意味そのもの翻訳者によって変えられているからです。