元J民の色々考察ノート

元J民の色々考察ノート

思うがまま好き勝手に考察を書いていきます

チャーチルの『第二次世界大戦回顧録』のなかにこんなことが書いてある。

 

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。
すると議会は、いままで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると、
今度は笑みを浮かべていた日本人がまったく別人の顔になって、
「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」
と言って突っかかってくる。

                             日下公人『繁栄のヒント』

 
 
日本においてエホバの証人が悪質なカルト教団として問題視されている理由は、
 

「世界本部」

「日本支部」

「信者達」

 
この3者が併さって最悪の相乗効果をもたらしていることが原因にあると思う。
 
 
 
「世界本部」
 
エホバの証人はアメリカ人はアメリカ国内で作ったキリスト教の亜種であり、
アジア圏の東洋人や、クリスチャン以外の異教徒への布教を目的に生まれたわけではない。
元々はキリスト教徒を改宗させることを目的としており、そのための教義が構築された。
言い換えれば、従来のキリスト教の教義の否定から始まっており、
根本には自分達を除くすべてを拒絶し、断罪する精神が根付いていると言えるだろう。
だから「エホバの証人以外は間近に迫ったハルマゲドンで滅ぼされる」
つまりエホバの証人に改宗しない人間は生きる資格が無いと長年に渡って公言してきた。
 
そんな連中が、
「自分達の発信する情報がアジア圏の特定の種族に意図しない影響を与えるのではないか」
なんて空気を読んだ配慮を、自主的にするはずがない。
奴らの主要な目的は、他者の需要に合わせた供給ではなく、
自分のやり方を他者にも要求することなのだから。
 
ただ、世界本部は、
自分達の教義が意図しない形で日本で広まっていることを理解していない可能性がある。
後述するが、
「なぜ」自分達から発信した指針が日本で問題になっているのか、他者から言われれば
何らかの改善策を取っていたかもしれない。
 
でも、そうはならない。
適切な解決策を取ろうともせず、日本の信者達を代表して本部に是正を求めることもしない、
「翻訳」以外は百害あって一利ない中間管理職が「上」と「下」の間に鎮座しているからだ。
 
 
 
 
「日本支部」
支部委員と言った方が良いのか?
 
「世界本部」の定めたルールを「神」からの直接の命令であるかのように扱っており、
そのルールを「現役信者」にそのまま垂れ流して従わせるための環境づくりに尽力してきた。
そして、それ以外なにも考えていない。
「一人でも多くの人を永遠の命に至る道に導く」
という宗教上の建前すらまるで頭にないから
組織がどれほど世間から疎まれるような状況に陥っても平気で悪手を打ち続ける。
 
おそらく米国から指示されてもいないであろう聖書の改変を自主的にやらかす連中だ。
「我々はこれほどまでに統治体からの指針に忠実に従っている!」という
「過程」のアピールを最優先する。
その「過程」が悪い結果しか生まないのであれば、有害な努力でしかない。
 
タチが悪いのは、
日本がどうしてこうなっているのかは組織の中枢にいる以上当然察しているはずなのに
自分から問題の解決に着手しようとする素振りが一切ない。
おそらく国内の問題の全容を世界本部に報告していないようにも見受けられる。
それでいながら「自分達は上からの指示に忠実に従い続けている」フリをしているので
当然「米国の本部」や「エホバ」が批判の対象に巻き込まれる。
全方位に対して不義理を働いているようなものだ。
 
ユダ・イスカリオテはキリストから「生まれてこない方が良い人間だった」と評された。
状況を悪化させることしかできない無能な働き者は組織内には存在しない方がマシだ。
 
 
 
 
「現役信者」
 
私は、自分も含めた「日本人」に対して、こういう偏見を抱いている。

 

主体的に行動できない。

主体的に行動できない人間が集団で固まって、

現状の秩序を維持しようとし続けるから、

悪い状況を打開する力が決定的に欠けている。

 

「出る杭は打たれる」という言葉通り、

自分の主義主張を押し通すために自分を前面に押し出すことで

周囲から廃絶されることを恐れるから、

納得いかなくても理解できなくても

妥協して従順に従うことをみずから選ぶ

ここまで、欧米人と日本人の国民性の違いが
輸入されたエホバの証人の教義をさらに激しく歪ませて
宗教2世問題をはじめとする諸問題に発展したというロジックを長々と語ってきた。
 
 
私は日本の信者達が、そんなことにも気づけないような愚図揃いだと蔑んではいない。
自分ですら思いつけるようなことだ。
組織に長年とどまっており、外国との相違を知っている信者の多くは、そんなことは
とっくに気づいているだろう。
とっくに気づいているし、他にも何が問題だったのかはいくらでも思いつくだろう。
では、それらの諸問題を解決しようと動いている日本人がどれぐらいいるだろうか。
 
 
世界本部は合理的だ。
裁判で敗訴した瞬間に「排斥」の取り決めを覆した。
日本人のように今までの過ちを反省したり、心に傷を負った人に気遣いを示すことはなく、
自分達の慈悲深さだと恩着せがましく己惚れる。手のひら返しを恥とすら思わないのは、
日本人のように人目を気にすることがなく、
自分達を取り巻く一般社会よりも自分達の方がずっと偉い というスタンスだからだ。
そんな絶対的に自己中心的な思考回路だからこそ、自分達にとって不利な状況になれば
長年据え置きしてきたルールを即座に覆すぐらいの柔軟な対応力はあるのだ。
 
 
だから、もし日本の信者達が
 
「宗教2世の訴えは虚偽ではありません!」
「私たちも実際に体験してきたんです!」
「それを真っ向から否定したら、私たちの組織は人々からの信頼を失ってしまいます!」
「このまま社会の反感が強まれば、私たちは今までのような活動ができなくなります!」
「どうか組織の代表者として、心ある態度を表明してください!」
「私たち信者の立場ではどうすることもできないからこうしてお願いしているのです!」
 
みたいに皆で声を上げていたら、
もしかすると世界本部は異なる対応を取っていたかもしれない。(ルカ18章2節-8節)
 
彼らは愛も憐れみも無いけれど、
自分達にとってデメリットにしなからない状況を無意味に放置し続けるマゾではない。
 
 
しかし日本人は集団で是正を求める訴えを起こさなかった。
 
エホバの証人がエホバの教えだと今でも思い続けているけど、
2世世代の受けた被害や、それに対する組織の対応に心を痛めている現役信者達はいる。
エホバの証人であることを今すぐやめるつもりはないけれど、
組織の教義や体制の諸問題に対しては懐疑的で、批判を露わにしている現役信者もいる。
 
「中」にいる人間は、
心の中で「上」に責任を責めるだけで、自分で環境を変えようとはしない。
「外」から叩き潰そうとする声は、こんなにも多く、たくさんあるのにな。
 
「下」が言われたことしかしないのなら、
「上」だって言われなければ何もしないんじゃないか?
 
 
「理不尽だ」と感じていても
「道理が通らない」と思っていても
辛抱強さを美徳と信じて耐え忍ぶだけでは、「上」はどこまでだってつけあがる。
そんな無意味なこだわりをどんなに続けても、状況は改善しない。
 
 
ホフニとピネハスの蛮行に酷く悩まされながらも手をこまねいていたエリのように
今なお「組織」を甘やかし続ける「信者」にも、責任はあるのではないだろうか。
 
もしも日本において組織が活動制限を課されるような事態に陥った場合、
アメリカの世界本部もさすがに重い腰を上げて本気で対応に当たるかもしれない。
その時、奴らは日本人に対してこう言い放つのが目に見える。
「ドウシテ誰モ何モ言ワズ黙ッテイタンダ。コレハオマエ達ジャパニーズの責任ダ」
 
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自分はそんな現役信者達を責め立てたり見下したりすることはできない。
 
もし仮に自分が今現在も組織に留まっていたとしたら、
上で言ったような行動を自発的に取ることはないだろう。というか、それを思いつかない。
 
「さっさと上に対して訴えを起こせばいいじゃないか」
なんてのは、組織の外にいる身分だから軽々しく発せられる言葉だ。
 
個々の信者には、組織全体を改善するために主体的に行動するという選択肢が
実質的に存在しないことを知っている。
 
自分ができもしないようなことを、他人に要求などできやしない。
 
 
 
2世の身分で、何十年と全時間宣教を続けてきたベテラン信者がこんなことを言っていた。
「日本の2世のまともな子はみんな辞めていったんだよなぁw」
そりゃそうだ。
 
 
日本人は主張しない。
自分にとっての不利益よりも、相手に敵視される事態を嫌う性格だから、
ぐっと我慢して妥協と譲歩を積み重ねる。
これ以上は耐えられない段階まで追い詰められた時、はじめて捨て身の覚悟を決める。
 
 
世界本部は「納得できなくても」「理解できなくても」絶対に従うように求めてきた。
「アメリカ人の組織」の秩序を守るための指示としては、間違っていないのかもしれない。
でも、それは日本人に言うべきでは無かった。
「耐えられる以上の」理不尽な仕打ちを受けた時、身を守るため覚悟を決めて立ち上がる
最後の切り札となる爆発力を生み出す両の足の腱を、事前に切り落とすようなものだから。
 
抗うことは許されない。
環境も絶対に変わることはない。
そうなると、残された道は限られている。
 
自我を捨てて迎合するか、
騙し騙しやるか、
去るか、だ。
 
最も厳しかった環境下で育って組織に残っているのは、
組織からの指示に従う以外の選択肢が思考回路に存在しないロボットのような奴と、
年若い時から今に至るまで、影で「世」と慣れ合いながらうまい具合にごまかしてきた人
二極化される傾向にあるように見える。
 
しかし、同じ世代でも2世が割と残っている環境はいくつか見てきた。
ある会衆では、若い頃に組織を離れた2世信者の数名が復帰していたり、
世の人とイタシた学生がそこから現役の続投を選ぶなんて珍しい事例が複数あった。
 
その会衆では流行りの番組やら漫画やら子供向けの娯楽がほとんどフリーで制限が無く
懲らしめの鞭も多くてせいぜい数発が一般的という、当時としては異色の環境だった。
はっきり言えば、昔のエホバの証人の言うところの「世」に寄っている。
そこで組織の未来を担うことになる2世の数多くが、組織に身を置くことを選んだのは
「エホバの証人」と、数限りない「嫌な思い出」が、結びついていないからなのだろう。
 
彼らが組織にとどまったこと自体が良い結果なのかは分からないが、これだけは言える。
 
 
日本の信者は良かれと思って厳しくした結果、
若い芽を根こそぎ摘み尽くした
 
 
「世界本部」が発信した指示を
「日本支部」「日本人」気質や需要に合わせて調整していたら、
これほど多くの「宗教2世被害者」は生まれなかっただろう。
 
そして今に至るまでの二十余年の間、
「信者達」皆が、この問題について率直な意見を上に申し出て、
それを受けた「日本支部」が「日本」で何故この宗教が問題視される状況になったのか
「世界本部」に正直に報告していれば。
2世信者に対し、組織側から然るべき誠意が示された可能性は、無いとは言い切れない。
そうなれば、
この宗教が悪質なカルトとして日本中から嫌われる結果にも至らなかったかもしれない。
 
某事件を契機に世間から注目を浴びた時、
つまり世間からも「自分たちより良心基準が低い」とレッテルを貼られる状況に陥った時、
これこそが自力で体制を改善する最後のチャンスだった。
 
日本のエホバの証人には自浄作用が無い。
「下」の人間が、
辞めるわけでもなく、抗議するわけでもなく、黙って従い続けている限り、
「上」が変わることは決してない。
 
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組織を離れた自分は、
現役信者に対して「間違った宗教から出なさい!」などと命じたり、
組織の上層部に対して是正を訴えないことを責められるような立場にはいない。
もう部外者の身だし、自分が推奨した行動による結果に一切の責任を負えない。
 
 
ただ、これだけは認識しておいてもらいたい、と思うことはある。
 
 
今現在、
公の宣教活動、つまり組織の営業活動を行うことは、
「虐待を推奨した上に非を認めようともしない」など、さまざまな
悪評を轟かせる団体に、自主的に賛同しているだと公に表明する行為である。
 
 
これは個人的なレッテル貼りではない。
 
 
組織に対する悪意は、組織の表面で活動している人間に直接的に向けられる。たとえば、
「法的な意味でのブラック企業不祥事が明るみに出れば、
攻撃の矢面に立たされるのは、組織の「使者・代弁者」である「営業社員」や受付窓口だ。
彼らは生活のために働いており、好き好んで「ブラック」に身を置いているわけではない。
 
しかし収入を得ていないのであれば、望んで加担していると思われて当然である。
 
 
 
過去にテロ行為等で悪評を轟かせた過激派組織は、
そこから何十年経っても、しっかり解散した上で名前を変えた後継団体に移行しても、
悪いイメージはずっと付きまとい続けて、消えることが無い。
 
悪いイメージを持つ大衆の多くは、そういう団体の実態や内情についてほとんど知らない
報道で知って、ネットで確かめて、多くの裏付けを見れば、事実と認定して評価を下す。
そしてその大衆意識が何十年も残り続ける。
 
この宗教も、
大規模な報道がなされた時点で、
「数多くの宗教2世被害を生んだ悪質カルト教団の筆頭格」
というイメージが完全に定着した。
 
「マスコミの言うことは必ずしも正しいとは限らない」という考え方はあるだろう。
しかし、今の世の中、元2世なんて日本中にいくらでもいるのだ。
「関係者の声」の多くが、世間一般の評価と一致するだろう。
問題が明るみになったからこそ、他者に生い立ちを話し易くなった人もいるはずだ。
 
にも関わらず日本支部の広報は、体制側の関与を否定し、落ち度はないと主張した。
謝罪しないということは反省する意思も無いと公に表明したわけで、
 
「私たちは矯正不能の組織ですよ」と公に自己紹介したようなものだ。
 
そんな団体だと日本中で認知された以上、これから野外で伝道する人々は、
そんな団体の信奉者を広める手先とみなされるようになる。
 
この組織のことをよく知りもしない一般人からも忌み嫌われるようになるのだ。
 
彼らは神の名前を掲げてはいるが、この国において最も「神の名」の評判を貶めている
団体と言わざるを得ない。(ローマ人への手紙2章24節)
 
そんな団体の中に身を置き、そんな団体の「上」の指示にただ黙って従い続けて、
そんな団体の信奉者を増やすための活動を自ら率先して行い続けることが、
「正しいことなのか」ぐらいは、考えてほしいと思う。
 
「〝特定のグループ〟に所属してさえいれば、善行・悪行に関わりなく救われる
そんなものが聖書の教えなら、古代イスラエル人は全体として裁きを受けていない。
 
無数の「汚点」「きず」を放置し、改めようとしない組織に自主的に協力する以上、
たとえ「加害者」ではなく「被害者」だったとしても、
過去の所業に責任があるとは言わないが、「無関係」とは言えない。誰も、思わない。
 
 
 
 
正しい生き方がしたいのなら、
「上」の人間に合わせてわざわざ良心のレベルを「下げる」必要はない。
 
「組織への所属が救済の条件」などと考える義務はない。
 
だってキリストは追随者の組織化などしてないのだから。
 
外国人のやり方に合わせることなく、日本人らしく生きればいい。